複雑な無駄話。
◇今日はどうやら雨も大したことはなく、東京をはじめとした各地での戦争法案に抗議する集会やデモには、多くの人が集まっているようです。新宿の様子はすごいですが、地方では30台の軽トラックが田んぼ道を行進するデモなんかもあってるんですねー。
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なので、ちょっと安心して、ややこしい話をするのですが、この間、「シールズ」の女性たちへの外見を云々する人たち、もっとひどいセクハラ的発言、その一方でスピーチの中で、母親の役割を考えさせるものがあったり、30日の森村誠一さんのスピーチも女性についての言い方を気にする人がいたり、そういうことから、フェミニズムに関する議論が法案に反対する人の間でときどき起こっているようです。
正直私は、この件についてはかなりのんきで、まあそういうちがいや議論があった方が、運動としては気持ちがいいぐらいだと思っていたし、この機会にそういう女性の問題についても皆が考えてくれたらいいと思って、そういう議論が起こるきっかけとなったスピーチをした人にも、そういう意味で感謝してもいました。
◇でも何だか、このことに関しての議論ややりとりは、むしろ、フェミニズム的な考えを述べる人たちより、それに反論する人たちが、かなり感情的になっている気がして、驚いたり困惑したりしています。
特に、何かの話のついでに、「いわれのない、ピントはずれな攻撃が『シールズ』にかけられた」、というような不快感を特別に口にする人がけっこう多いのに、私は本当にびっくりします。
この種の議論は不毛で団結を乱すから、やめよう、という論調もありますが、これはやはり大切なことなので、何かのかたちで話しつづけてほしいし、フェミニズムへの反感でこの問題が終わってほしくもない。
あまり、この問題についてのまとまったものがないのですが、さしあたりラディカル・フェミニズムについて解説した下のまとめを紹介しておきます。
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◇ここからが複雑な無駄話になります。
29日に私の住む小さな地方都市で戦争法案反対の二回目の集会とデモをして、第一回を上回る300人が参加しました。集会の内容も好評でした。まだ反省会をしていないので、わかりませんが、私はそこそこうまく行ったと思っています。
偶然ですが、最初に実行委員会の代表のおじさんがあいさつして、オーソドックスに現在の情勢やこの間の活動について述べたあとは、五人の発言者は皆女性でした。私は気にして男性もまぜたらと言っていたのですが、結果としてそうなりました。
被爆者で書家の年輩の女性が最初に心をうつ訴えをされて、その後の四人は皆若い女性で、母親や若者や外国人や教育者の立場から、それぞれ本当にわかりやすい、よい話をしてくれました。私は「シールズのまねなんか、この田舎で変にやろうとしたら、こける。やぼったくていい」という立場だったのですが、五人の方のスピーチは大都会や国会前の方々のお話と、まったく同じように洗練された自然体で、こういうのが全国的になっているのだなあとあらためて実感しました。
◇で、ここからが、今いろいろ議論されていることとどう関わるか、ややこしいのですが。
私は司会をしていました。だからスピーチの間、周囲の聴衆と向かい合っていて、その雰囲気が正面から伝わりました。そして、痛感したのですが、若い、きれいな女性たちがマイクで訴えている間、聞いている皆さんの中には多分男女を問わず、ある呆然とした陶酔のようなものが、たしかにあったと思います。
あらためて言うことでもありませんが、今の若い人は男性も女性も皆きれいです。スピーチをした人たちも普通にかわいいかっこうをして、おしゃれな街を歩いても違和感のない人ばかりでした。そのような人たちが人前でマイクをにぎって、政治や社会について等身大のことばで、きちんとアピールをする、そのことが、それを映像でさえなく、生の姿で間近に見ることが、明らかに一種の衝撃を与えていると私は感じました。
かなり広い層が参加していたとはいえ、そういう集会に来る人たちですから、高齢者の男性たちでも決して古い考えや感覚の持ち主ではないと思います。むしろ進歩的で民主的で、日常で男女平等を実践している方々も多いだろうと思います。
それでも、皆の中に、何かまぶしいものを見ているような空気があって、それが伝わって来ました。
◇この私が受けた印象や感触をどうかすれば、「そういう女性の魅力を利用しよう」「して何が悪いか」という、いろいろ問題になりそうな話になります。事実私が言っていることの中に、そういう要素もあるでしょう。
ただ、これはたしかなのですが、そういう普通の感じのいい若い女性が、天下国家のことを人前でマイクでしゃべる、そのことそのもの、理屈抜きのその絵が、人に与える印象というのは、非常に強い。闘士でもなくエリートでもなく、自分の娘や部下ならいいなと思うような感じのいい女の子が、そうやってしゃべっている姿は、「こういう世の中になったんだ」という実感を、否応なしに強烈にたたきこみます。
もう大昔のそれこそウーマンリブのコメディ映画で、ジェーン・フォンダたちが出た「9時から5時まで」というのがあります。その中ですごく新鮮と言われたのが、主人公の女性三人の中のドリーという秘書が、金髪で胸が大きくて、それまでのハリウッド映画や実社会では、肉体だけの頭が足りない女性というイメージだったのが、この映画ではしっかりと自分の意志や行動力を持つ人として描かれていたことでした。
それと同じなのですが、つまり、かんたんに言うと、「おしゃれな服装の、普通にかわいい女の子」というのは、多分わりと進歩的、民主的な人たちの中でさえ、かなり刷りこまれているのが、「イコール、バカ」ということです。と断言していいと思う。
大学の先生とか芸術家とか、どこかぼさっとした非常識なかっこうではなく、本当に一分のすきなくスタイリッシュでメイクも上手で、普通にかわいい