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討ち入りの日かあ。

◇今日は赤穂浪士の討ち入りの日だったので、国文学史の授業の予定を少し変えて、早めに忠臣蔵の話をした。しかし話している内に、なぜか切腹と焼身自殺はどっちが残酷かみたいな話になってしまい、絶対に学生はそこしか印象に残らないのではないかと心配である。

赤穂浪士の事件を最初に演劇にしたのは近松門左衛門で、幕府に怒られないように太平記の時代にしてごまかしてることとか、その最初からそうだが、最終的に討ち入りを果たした47人よりも、そこまでの過程で脱落し落伍したものに注目し主役にする傾向があって、それは文学の特徴でもあると話した。「最近はそうでもなくなっているようだが、本来の文学の伝統は、敗者や失敗者にスポットをあてるものだ」とも言っておいた。そうしたら何人かが最後の小レポートでそのことにふれていて、一人が「自分は映画をたくさん見るが、たしかに今の映画はハッピーエンドがほとんどだ。ホラー映画以外に思いつくのは『縞模様のパジャマの少年』ぐらいだ」と書いて来た。あの映画も見ているとは、たしかにかなりたくさん見ているのだろう。

まああの映画もある意味ホラーじゃないか、という冗談はさておいて、そういうのを読むと、昔の映画は情け容赦なくひどい結末のがほとんどだったぞという話もしたくなった。次回の授業はクリスマス前だから、私が院生時代かその頃のクリスマスに見た「嘆きの天使」の話でもしてやるとするか。すげえラストだぞいやほんとに(笑)。

◇ついでに前回実際に紙を二つ折りにして書かせた俳諧の歌仙を返却した。ふだん出させた課題の返却はしないのだが、何と半数以上の学生が、まちがえて初折りの裏と名残りの折りの裏の部分で句をさかさまに書いているので、こういう手作業で実地に覚えたことは記憶に残るから間違いを指摘しておかないとヤバい(本来の意味で)と思ったのである。
なぜかシールが大量に余っているので、この時とばかりぎらんぎらん光る土星や太陽のシールを、正しく書写したものにはりつけ、小さい銀色の星を間違ったものにはりつけて返した。再提出はしなくていいが、訂正して出したら来年の干支にちなんで、かわいい犬のシールをはりつけてやると言ったら、皆新しい紙を持って行って提出する気のようだった。こんな小学生みたいな授業をしてていいのかと思うが、シールも有効活用できるし、まあいいことにしておこう。先週欠席していた何名かも出す気になっていたようだが、その内の一人が、授業の最後にもう提出して、授業の間に書いたらしいのは、怒るべきかもしれないが笑ってしまった。

◇先日、家に遊びに来た一人に授業後に、ネズミ退治の話をして「あんたたちが来てくれてた時にも、どっかに隠れてたらしいよ」と教えたら、彼女は目を見張らんばかりにして、「カツジは?」と聞いてきた。聞くわなそりゃ普通誰でも。「そこよね。ネットとかで見ても、ネズミ対策には猫を飼うといい、猫の気配だけでもネズミは出なくなる、とか書いてあるのに、あいつはひょっとしたら猫じゃないんじゃないか。殺せとか食えとか言わんから、せめて存在感で追い払ってくれたっていいんじゃないかと思うのに」と私はぼやいた。

帰りに映画でも見に行こうかと思ったが、いつもとちがうスーパーで、めざしていた大鏡餅がゲットできたので、妙に満足してしまい、そのまま家に帰ったら、暗い寒い中、カツジ猫は庭に出て金網の中から外を見ていた。映画に行ったら深夜までそこで私を待ってたのかと思うと、何だか外出や外泊がしにくくなる。これだから冬は嫌いだ。
そのあとカツジは変にハッスルして、部屋中飛び回ったりしていたが、今はまた、お気に入りの枕の上で丸くなって眠っている。

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カツジ猫