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許せない

ガザの停戦、名簿の提出が遅れたとかで、停戦の予定時刻も遅れ、その間の爆撃で19人が亡くなったって、もう、腹が立つのも悲しいのも通り越して、やけで笑えて来る心境。イスラエルもネタニヤフも、これだけ先祖の顔に泥を塗ることしまくって、代々の財産を浪費して自己破産するようなもんだと思わんのかね。
 解放された人質の方も、よく生き延びていて下さったと思うし、残った方々の無事も祈らずにはいられないけど。

死んだ人の数を言うなら比べ物にはならないかもしれないけど、私の中では数万人のガザの方々の死と同じぐらいに、重くてくやしくて衝撃で許せないのは、兵庫県知事を百条委員会で追求していて、デマやいやがらせや脅迫や家族への攻撃で、辞職なさった元議員が自殺されたというニュース。もうこれ、日本という国の自殺と言っても言いすぎじゃない。殺したのは立花何がしと、それを放置したすべての人々だろう。こんなの見逃していたら、その内、明日はわが身だぞ。

私は大衆だの世論だのは、信頼している一方で、ものすごく信じてないし戦う相手になりかねないと思っている。いつもどこかで戦闘態勢だ。その根底にあるものは何かと思うと、多分高校か中学の時に読んだ、イプセンの「民衆の敵」って戯曲だ。「人形の家」ほど有名じゃないが、環境問題で正論を述べた学者が、民衆を信頼してたのに、憎悪され攻撃され、家族もろとも孤立して行く話である。多分、今読んでも、ちっとも古くないだろう。

実は内容も筋もまるで覚えてないのだが、最後の場面で、家に石が投げ込まれ、おびえる妻や子どもの中で、主人公が「民衆の敵というのは、立派で正しい人間なのだ」と宣言して、石が投げ込まれた窓に向かって、じりじり歩いて行く姿が、心に焼きついて一度も消えたことがない。民衆を信じ、その味方で、代表であろうとし続けて来た、良心的で楽天的で勇敢な学者が、コペルニクス的価値観の変換をして、そして同じように毅然と前向きに進む心が、作品を明るく強くしめくくっていた。

あの作品と、あの場面は、ずっと私の支えだった。孤立を恐れず、覚悟して、発言し行動する基礎になっていた。今、ひとりでも多くの人に、あの作品を知ってほしい。読んでほしい。そして、負けずに生き延びてほしい。石が投げ込まれるガラス窓に向かって進んでほしい。

「べらぼう」の感想とか、書きたいことは山ほどあるし、したいことも山ほどあるけど、あとでまた書く。

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