輝け三月
少し前に検査で甲状腺に腫瘍があると言われた。これはもうずっと前からしょっちゅう人間ドックで指摘されていたのだが、ここ数年定期検査をサボっていた。まあ大丈夫とは思ったが精密検査を受けて、その結果が月末にわかって、一応良性で当分心配はなかった。
もうこの年になると、あっちこっちガタの来る肉体を補修しながら生きてくしかない。もし悪性の腫瘍だったら三月に一週間入院して手術かもしれないから、その準備も考えていたのだが、さしあたり無事だったので、三月の予定はがらがらのすっからかんに空いた。めでたい。
とは言っても、このところ家事も庭仕事も放ったらかしだったから、片づけ計画も最初から作り直さなければならず、実は全然がらがらでもすっからかんでもない。まあ、とりあえず、少しゆっくりでれでれして、次の体制にそなえるか。
今回が無事だったからと言って、それがいつまでもつかはわからない。しかしながら、そんな先でもない先のことなど心配して、今のこの喜びと安心を味わいそこねるのは時間の無駄だ。なので、当分この幸運を思いっきり楽しむことにして、昨日は街でごちそうを食べまくり、おかげで疲れて今日はバテてた。そんな時に見なくてもいいのに、ついまたテレビで自民党のお歴々の空疎な弁明をチラ見してしまい、うんざりした。
さしあたり、自公の質問はいらん。そんなのに一時間もとって、共産党の質問時間は八分なんてふざけんな。もっとも共産党は冷静に淡々と、その八分でもいい仕事をしていたが。
こっちが悪意と先入観で見ているからかもしれないが、たまたまかなり長く見た西村議員と松野議員が、さしあたり、妙に神妙で態度がまともなので、あー、ふだんはほんとにいつも、手抜きの高飛車っぽさで国民や記者と向き合ってんだなあと痛感した。
その一応の神妙さも、しばらく質問に答えているとすぐにメッキがはげて、傲慢さや不遜さがあらわになり、目つき顔つきがいやらしくなるのも、ちょっと見ものではあった。
そして決まり文句で、この裏金つくりがどうなってるか、自分は秘書や会計担当にまかせていて、まったく知らないと言い張る。まあ五千円か一万円ならわからんでもないが、数十年にわたって、数億の数千万のという金額の話だぞ。誰が信用できるものか。これで通用すると思っている感覚がすでに狂いつくしている。
さらに、こんなふざけた回答を並べている間に、私がいつも怒りまくっている「閣議決定」で、地方自治の緊急事態条項をはじめ、ろくでもない超危険な法案をすぱすぱ通してしまっている。だいたい、閣議決定なんて、ほんとに小さなどうでもいい事務的手続きぐらいしか決めるものではなかったのに、いつからか(ってアベからだが)、ものすごい重要事項を国会もどきに扱いはじめて、ここがひとつの自民党の犯罪の温床だ。世間は今まで見のがしすぎたけど、今からでも絶対に、これだけはたたきつぶしておかないと、えらいことになるぞ。
などなどなどと、私の三月はたしかに個人的には輝いているが、社会的にはこの輝きは白刃のきらめきかもしれない。何もかも、まったく油断もすきもない。あの自民党のていたらくを見ていると、例年にもまして腹が立つが、確定申告の準備もあったな、そう言えば。
この家を建てた時、つまり十四年前にお祝いにいただいたシクラメンの鉢が、いまだに元気で、ちゃんとまた小さい花のつぼみをつけている。