逃避ばかりもしてらんない
103万円の壁の話でニュースはいろいろかまびすしい。私にはまだ何が何だかよくわかってないところもあって何とも言えないが、「学生のバイトが有利になるように、しやすいように」と熱心に議論しているのを聞くと、毎回もやもやしてしまう。そんなことの前にバイトをしなければしなくてすむように、学費を安くし奨学金を増やし、保護者の生活水準を上げる方が先じゃないのか。たしか共産党の誰か(田村さんかな)が一度言ってたのを聞いたような気がするが、それ以外では、こういうことを誰かが言ったのは聞いたことがない気がする。
現職のとき、学費が払えないで退学する学生がいるのを教授会で何度も認めて来た。バイトで授業を休んだり、眠ったりする学生もいた。それはもう何十年も前ですでにそうだった。今はそれどころじゃない厳しい経済状況なんだろう。好きとか人生経験とかじゃなくて、バイトしなければ大学で学べないという状況は、いいものであるはずがない。それを肯定し推進するのを前提に話してもらっちゃ困る。
それとは関係ないが(あるかもしれない)「年寄が優遇されて若者の暮らしが厳しいから、もっと年寄りの金を減らそう」的な話も多いし、賛否両論あって、これまた私はいろんな状況は個人や家庭で違いすぎるだろうから、何も言えない気分ではあるが、いつも誰も言わないのが不思議でならないのは、老人や親世代を貧しくすれば、それはそのまんま若者世代や子どもたちの家族に被害や負担をしいるのじゃないかということで、その実感は世間の人にはないのだろうか。
私は今は優遇されてると言われるところの老人で、それはそうかどうかわからないが、この手の話を聞いたときに、脳天直撃するような実感としてまず来るのは、私がまだ若くて、今の私の年代の老母を遠距離で養ってたときのことだ。母は国民年金以外には収入がなく、生活費や田舎の家の維持費はほぼすべて私の負担だった。同僚の同世代の親たちが、わりと豊かな年金をもらって、生活費その他をちゃんと自分たちでまかなっているのを、うらやましいとまでは思わなくても、ときどき気づくとショック!だった。
老人を経済的に追い詰めて貧しくすると、それなりに彼ら自身が自分で都合し、まかなってきた医療費、娯楽費、家の維持費、交際費、その他がかなり子どもや孫の若い世代にしわよせが来る。あやふやながらも自立して田舎で暮らしている老親の生活費が、どどっと若い世代に肩代わりされて押し寄せて来る。その負担がどのくらいになるか、漠然とでも予測、計算しているのだろうか、「老人は恵まれている」と言う人たちは。恵まれて、こっちに迷惑かけないでいてくれる年寄りの方がはるかに楽とは思わんのだろうか。
要するに、若者も老人も中年も親も子も、一般庶民は皆貧しすぎるんですよ。皆にもっとお金をくれなきゃいけないんですよ。それをしっかり実感しないと、富裕層だって、結局は先がないと思いますよ。
とか何とか書いてたら、兵庫県知事に元知事が当選して返り咲いた。この図式がどこまでトランプの復権と似てるのかちがうのかわからないが、とんでもないことで、ややこしいことにはちがいがない。
得票数がわからないから、どういうことになってるのか知らないが、候補が多数乱立し、共産党も独自候補を立てたりしていたから、何だかこういうことになりそうな予感はしていた。私としては、あれだけ内部告発者に非常識すぎる対応をしたというだけで、前知事の行動には寒気がするほど恐怖と嫌悪を感じたし、それは今でも変わっていない。そういう人を復権させては危険すぎるし絶対阻止するべきだと思っていたが、そのために良識と人権と民主主義を守る皆がもっと必死になり団結しとけやとは思っても、まさかこんな流れになるとまでは絶対予想ができなかったはずだし、私がその場に居たって予想はできなかったに決まってるから、文句を言ってもしかたがない。
まあこれからどうなるかは、「グラディエーター2」の映画もどきに、まったく予測を許さないなあ、あらゆる意味で。何がいつ起こってもいいように、ちょっとまた、いろいろ考えておくことにしよう。
学生の集中講義のレポートの資料にしようと、西鶴の「本朝廿不孝」のあらすじをまとめているのだが、悲惨な話ばっかりなのに、面白いやらおかしいやら、読めば読むほど退屈しない。二十の話のどれもこれもが、全部それぞれちがってて似たものがまるでないのも、すごすぎる。はまり過ぎて時間を取らないように注意して、今夜中に作業を仕上げたら、その次は江戸時代の和歌の歴史をすごく簡単にわかりやすくまとめるという、恐るべき試みにとりかかる。前半まではいいんだよなあ。二条家が栄えて、国学から万葉集がブームになって。後半の歌人の多さとその師弟関係が錯綜しすぎてて、もうお手上げだ。どうしてくれよう。
写真は先日行った美術展で、撮影許可だったマイヨールの作品。高校の美術の教科書で、この人の彫刻が好きだったのを何十年かぶりに思い出した。