運動会
昨日は地域の運動会だった。晴れわたってよかった。小さい子どもたちが大勢綱引きや障害物競走をしていて、見ていて楽しかったが、近所の奥さんが「福島の子どもは外で遊べないのが、かわいそうよねえ」と、それを見ながら小さい声で言っていた。何を見ても、誰もが結局被災地のことを考えてしまうのだなあ。
昨夜電話してきた従姉の話では、関東方面では今は九州の米や茶が安全ということで、注目されはじめているとか。東北産のコシヒカリを横目で見ながら、安い福岡産の米をスーパーで買っていた身としては、何だかもう泣いていいのか笑っていいのか怒っていいのか、よくわからない。
しかし、だからもう、九州四国の原発は再稼働させるなよ、せめて。廃棄物の問題だけでも、即停止の理由としては充分すぎるだろう、どう考えたって。
私はもう老人の世代だから、競技はもっと若い人たちがやってくれるので、見ていて応援だけしていればいいのがありがたい。その間に、めったに会えない近所の奥さんたちと、おしゃべりもできる。
ずいぶん前にくも膜下出血で倒れられて、でもかなり回復した奥さま(それでも私などより、よっぽどいろいろ気がついて、いろいろ配慮されて皆の世話をされている)から、いろんなお話を聞いたとき、もういろんな手続きの書類を書こうとしても手に力が入らないし、文字もよく見えないし、一苦労なんですよ、ということをうかがって、あらためて、東京電力が被災地の方々に補償請求をするのに、100ページもあるマニュアルを渡したというニュースを見たときの、もうまったく自爆テロでもしたいぐらい猛烈に腹が立った記憶が、またよみがえってしまった。
もう、そのセンスといい、感性といい、理性といい、判断力といい、すべてがもう最低を通り越して救いようがない、信じられなさで、他のことをすべて許しても、もうこの一事だけで、この会社は見限るしかないと頭に血がのぼったものだが、本当にあらためて腹が立ってしかたがない。
第一、どう考えても、やってることが非現実的だろう。私を何より怒らせるのは、被災者への思いやりのなさ、鈍感さ、もさることながら、ひたすらもう、こういうことをしてのける、バカさかげんと処理能力のなさである。
そのぶ厚いマニュアル集を担当者、責任者、幹部に皆で投げつけて、中東やインドやどこかそのあたりの石投げの刑のように、その紙の山で生き埋めにして息の根をとめてやりたいぐらい腹が立つ。
などと朝からぶっそうなことを私が書いている横の椅子で、カツジ猫はさっきから、せっせとお化粧をしていたが、それも気がすんだのか、丸くなって眠っている。そろそろ、ごはんにしようかね、カツジ。