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静かな衝撃

テレビを見ていたら、犯罪加害者の家族の状況を調査する市民団体ができているようで、いろいろな報告がなされていた。
その中で、おそらく宮崎勤事件と思われる犯罪者の家族のことが語られていた。宮崎勤の父と知り合いであった男性が顔も声もそのままでインタビューに応じていた。力強い、暖かい表情の中に深い怒りが沈んでいるように思えたのは私の思い過ごしだろうか。

事件後、家を訪ねると暗闇の中からはいずるように父親が出てきて、抱きついてきたと言う。死ねとか、おまえの娘も殺すとかいった封書がうずたかく届いて積まれていたという。

私は旧ホームページの「オタク研究会」のコーナーでも書いたが、この事件の報道のしかた、彼への攻撃と断罪のしかたには、かつての連合赤軍事件の永田洋子に対するそれと共通するものをいつも感じた。もとより、被害者と同様、加害者に対しても無関係な第三者が攻撃を加えること、それをあおるマスメディアの性質は、他の事件でも共通するけれど、そういう中に確かにある、この二つの事件に共通するのは、それまでの男女のあり方とどこか異なる要素に対して、徹底的に否定し攻撃する精神だ。

そういうこともあって、あの事件は私にとって、さまざまな意味で何重にも不快だったのだが、男女のそういう問題とは関係なく、強い恐怖や怒りを感じたひとつは、加害者である宮崎勤の家族がばらばらになり、その家さえも今はあとかたも残っていないという事実だった。そのことを許した社会と、この国と、自分自身とに、私はいらだちと絶望を抱かずにいられない。

でも、今日初めて知ったのは、その父親が家を売り、被害者にその代金を謝罪として渡した後、川に身を投げて自殺したということだった。

まったく関係もないのだが、かつて米軍の飛行機が落ちて、幼い二人の子どもが大やけどを負って死んだ事件があった。そのことを知らされないまま、自分も全身の火傷の苦しい治療に耐えていた母親が、そのことを知らされて病状が悪化したことまでは何とか報道でたどれたが、その後、彼女が支えてくれていた夫とも離婚し、孤独の中でなかばノイローゼのようにもなって、死んで行ったことは、ずっと後になって共産党の機関紙「赤旗」の記事で知った。

気にかけていた人を、どうなったかも知らないまま、何の手もさしのべられず、何のことばもかけられず、ただむざむざと、死なせてしまった、救えなかったという無力感、悔しさ、怒り。世間への、そして自分の怠惰への。してやられたという無念さ。なにものかに大切なものを奪われたという、思想も国籍も何もかも超えた、本当の自分の敵に敗北したという思い。

そんなものを感じた。それをまた、今、感じている。

なぜ、ものを書くのかと聞かれたら、私はいつも、時間的にも空間的にも限りなく遠くにいて、孤独にあえいで悩む人たちに、あなたと同じ人間はいる、あなたを支持する人はいると伝えたくて書くのだと思う。口に出しては言えないにしても、それが私の書く理由だ。
それしか私には方法がない。でもそれは、何とじれったい、心細い、力にならない救いのロープだろう。

それでも、怠けてはいられない。一刻も、もう。

4月1日になって、定年後の自由な暮らしを思う存分楽しんできた。金もないのをいいことに、ただ自堕落に家でだらだら過ごすことで。おかげで少々体調まで悪くなるほど。(笑)
だが、もうそんなことを言ってはいられない。とりかえしのつかぬことは、これまでも、これからも、限りなくあるだろうが、もうこれ以上は少しでも、そんな思いを増やしたくない。

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カツジ猫