近世紀行文紹介紀行「壺石文」メモ

◇東北大学狩野文庫所蔵の写本三冊。
冒頭、片岡寛光の序文が、いきなりやけに面白い。長いが、全部紹介する。

縣居大人の某の日記(賀茂真淵「岡部日記」のこと)、明阿弥陀仏の伊香保の日記などは、時をおなじうせざりし事なればいはず。おのれ、うひかうむりしてより、しる人の中に、旅の日記かいしるされたるふみ、これかれ、あり。そは本居翁の「すがゞさの日記」、季鷹縣主の「不二の日記」、芳宜園織錦の「二種のにき」など、皆しる人のしるされたるにて、めでたき巻々なれど、やうやうに十日廿日のほどなれば、いみじうあかぬこゝちなむせらるゝ。又ちかきころ、おのがむきむき、なにくれの日記とて、すり巻などにも、ものするは、まことには、うちみるさきざきにて、しるしゝものにはあらず。みな、かへりつきて後、何やかやと書どもとり出て、なやましきまで、うがちさぐりつゝ、ものしりぶりて、人なびかせむのこゝろをもとにて、かきすくめたるものにしあれば、みやびたる心はうせて、いと、こちたく、うるさく、ようせぬは、なかなかに、つたなきはらわたの、あしう香のつきたるさへ、つと見えすきて、みるめのみか鼻だに、えたへぬこゝちせらるゝも、時代のうつろひなれば、いみじきかうみゃうにこそ。これは、さるかたの、さえまくりて、さかしらだち、とはばこたへむと、かまへもとめたるたぐひにもとらず、去年の夏、するがのくにの、ふるさとを、あこがれいでゝ、おのが家とはれしより、ふとおもひ立て、みちのくにの、なだゝるところ、みむとて、書一巻だにもたず、供とする人をもぐせず。たゞひとり旅路にありて、とゆき、かくゆき、さすらへはぶれたる人のさまして、ひとゝせあまりがほど、かのくにゝありて、見るにつけ、きくにつけて、かいしるされたるなれば。大かた、その国の手ぶりもみえて、こよなう今の人のとは、やうかはりて、むかし人の、かいなでに、かけらむやうなるに、はた、よの中をおもひはなれたる、こゝろもみえ、紫のゆかりたづねて跡ふかう、たどり知られたる筆づかひのほども、ほのかならず。はた、まれまれには、稗田のぬしと、うちものがたられし事もやと、おもはるゝ事さへまじりて、いまの人とは、やうかはりておぼゆるは、かのひじりは名なしとか迦羅人のこゝろにも、うちあひたるこゝろむけなるべし。こは、ことしの五月ばかり帰つきぬとて、おのが家とはれし時、みせられしを見るに、「かいなでのすさみながら、いみじきひがごとだになくば、はしにても、しりにても、ひとこと、かいしるしてよ」と、こはるれば、ひとわたり見もてゆくに、此みちのくには、おのが父翁のうまれ出給へりし故郷にしあれば、いとなつかしう、をりをりかたり出られし所々のやうなども、うちまじりてあれば、むかしの事おもひ出て、いまさらに、なみだもさしぐまれておはしゝときのありさまも面影にたてば、そのかたにつきても、すゞろになつかしう心もすゝめれば、つたなきことの葉はわすれて、やがて筆とりて、あとつくりさへ、かへるの子のやうなるを、あやしき、しれ人の、をこわざとや見む人あざけりわらはむかし。

かたをかの寛光

「どこが? 妙海の方が面白い」と言う人もいるかもしれないから、ちょっとだけ解説します。

◇それにしても、妙海もよく引用してたけど、本居宣長の「菅笠日記」の人気といおうか紀行文学界での権威はすごいね。寛光も、同時代の名作として、まっ先にあげている。賀茂季鷹の「不二日記」や芳宜園の「ふたくさ日記」も有名ではあるが。
で、寛光は、それらの作品を「いいけど、日数が短すぎる」と言っている。「あかぬここち」は多分ここでは「ものたりない」ってことになるんだろうと思う。

そして、「最近いろんな人が書いて出版なんかしてる紀行の大半は」と、まとめてめちゃくちゃ悪口を言ってるのです。さすがに、具体的な作品名を出してないのがいまいち弱気だが(笑)。

「そういう紀行は、まず現地で風景を目の前にして書いたのじゃないからな」と彼は言う。「帰宅して、机の前で、他の本を山のように読んで調べて、地名のいわれとか何とか、やたらと考証して書いたものだ」と言うわけ。「えらそうに人を感心させようと思ってる気持ちがみえみえで、悪臭がして耐えられない」とか、そこまで言わんでもというような敵意を見せている。

◇橘南谿たちのように、少々嘘でも面白く書く奇談集もどきの紀行と、古川古松軒みたいにあくまでも正確な報道を追求する紀行との対立は、江戸中期以降確かにある。これは、それとはまた別に、いろんな事を文献を用いてあれこれ考証する紀行を肯定するか否定するかという対立があったことを示してる。

小津久足は「過度な考証をすべきでない」とした藤井高尚の紀行文観を批判して、「それでは内容のない、つまらないものになってしまう」と言い、高尚の紀行もつまらないと言っている。これはここで寛光が主張することと正反対だ。
何度も言うが久足自身の紀行は最高に面白いのだが、それは考証に走っているからではなく、それもあるが、豊かな旅の日常や自分の心境に関する記事があるからだ。だが、寛光がここでうんざりしているように、やたらと考察や考証を重ね、それも帰宅後に膨大な資料を駆使して書くことが、紀行の生命である臨場感や情緒を消してしまうということも、おそらくかなりあったであろう。

で、「壺石文」というこの紀行は、まず作者が去年の夏から今年の五月まで、ほぼ一年の長期間にわたって東北を旅した記録ということが評価されている。ただ身ひとつで、本も持たず供もなく、その地方の名所を見て回ったのだから、それだけでも書くことの厚みがちがうと言うのである。しかも、まるで昔の人が書いたかのように、中世や古代の雰囲気がただよっているという。
つまり、非常に文学的な要素を持つ紀行ということを、寛光は高くかっているようだ。そういう、紀行評価の基準がいろいろあったことが、この序文からははっきり伝わる。そこが面白い。

で、自分はこの紀行を作者に見せられて、「前書きでも後書きでもいいから何か解説を書いてくれ」と頼まれた。東北は自分の父の故郷でもあるので、とても懐かしく読みふけって、自分の文章の下手なのも忘れてこうやって求められたままに序文を書いたのである、という。

◇まあ言わんとするところはわかるわけだけれど、じゃあ、具体的に「壺石文」は、ほんとにそんなに面白いのか?という問題はある。寛光は面白いと思ったんだろうし、今流行の考証ばっかりしてる紀行とは、わけがちがうと言いたいのはたしかだが、それはどういう面白さなのか? 結論から言えば、たしかに面白いのだが、それをこれから紹介してみることにする。

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