動物と文学はじめに
洋の東西を問わず、また古今を問わず、動物が登場する文学は数多い。もちろん、それは実際に私たち人間の身近に動物たちがたくさん生きて、人間にかかわっているからということもある。しかし、文学にそれが登場する場合には、そのような現実の反映ということだけではなくて、動物を登場させることによって、文学が追求しようとするさまざまな人間に関する問題を、より明確に表すことができるということもあるように思う。
今回の授業では、大きく四つの点にしぼって、文学に動物が登場する際の役割について考えてみたい。
第一は、愛とは何かということである。動物が登場する文学には当然ながら、人間と動物の深い心の交流を描いたものが多いのだが、それは結果的に(あるいは意図的に)、人間の世界での人間どうしの愛の本質や、問題点のさまざまをも、うかびあがらせることがある。そのことについて述べたい。
第二は、人間の本質とは何かということである。人間もまた動物であるのなら、人間らしい生きかたとは、果して何なのか。野性とか、本能とかいわれているものは何なのか。そして、教育とは、その野性や本能をどのように変化させていくべきものなのか。このことを、文学はどのように表現するのか。このようなことについて述べたい。
第三は、文学作品における寓話性、あえて言うなら、それにまつわる危険性についてである。象徴とかイメ-ジとかいうことを、文学では避けて通れないのであるが、それは常に差別や偏見とも重なりやすく、また、人々が持っている社会や人生に関するさまざまな意識が微妙に反映されてくる。それは、文学の持つ魅力でもあり、魔力でもある。このことについて述べたい。
第四に、私たちの世界には、悲惨や不条理が存在するということである。文学はそれを見つめるものでもあり、時に深い絶望や厭世主義にも陥りつつ、またその中での生きかたをも描く。動物の目から見た時、世界はしばしばそのようなものであり、人間や世界に深く絶望した時、人は動物に共感することもある。動物の描写を通じて、そのような問題に触れた文学も多い。それについて述べる。
最後に、もしも時間に余裕があればおまけとして、動物ではないが、同様に人間以外の存在を中心にして描いた文学の数々に目を向けてみたい。
動物が登場する文学は、数が多く、到底網羅できるものではないが、おそらく、ここにあげた問題点で、動物文学の持つ特質はだいたい把握していると、私は考えている。この授業では、ここにあげたような問題点にしぼって、動物が登場することによって、文学がどのように変化するかを考えてみたい。