動物と文学「人間ぎらい」
1 焼かれるムツゴロウ
昨年大きな話題となり議論も呼んだニュ-スの一つに、諫早湾の干拓問題があった。結論から言うならば、私はあの干拓には反対である。いろいろな点ですっきり納得できない部分が多すぎた。
しかし、反対運動の中心が「有明海の生き物を守ろう」「ムツゴロウのために干潟を守ろう」というところにあり、新聞ではムツゴロウの大きな顔写真(?)が出たり、反対のデモに行く人たちがムツゴロウのお面をかぶったりしているのを見ると、いつも何かしら落ちつかない心境になった。
環境問題、自然保護ということに関する運動の中で、こういう甘い感傷主義が大きな力を持っていることはわかっている。それは決して馬鹿にしてはならないものだし、こういう素直でわかりやすい「動物たちがかわいそう」という感覚こそが、結局はそういう運動の出発点になり、根底を支える原動力になり、人類を正しい方向へ導くだろうということも。
私自身、自分が棲息する干潟が次第に干上がって逃げ場もなく、理由もわからずじわじわと死に絶えて行く生き物たちのことを思うと、本来ならたまらなくなるはずであった。そういう状況というものを、ムツゴロウならムツゴロウの心境になって妙にリアルに想像してしまう特技が私にはあり、考えれば考えるほどいたたまれなくなってくるという傾向がある。
今回、単純にそう感じてしまえなかったのは、もう二十年以上も前のことになるが、福岡のあるデパ-トの地下食品売場でたまたま見た情景が今も忘れられないからである。
それはムツゴロウを使った料理の実演販売だった。もしかしたら今ならあんな実演は残酷だとか子どもへの影響がどうとか言って、しないかもしれない。ある意味では、そのころはまだのんきな時代だったのだろう。よく、タコ焼きやお好み焼きの実演販売をしているようなコ-ナ-の、ガラスで囲まれた向こうに焼けた鉄板があって、その上に十匹近いムツゴロウが並べられて生きながらじわじわ焼かれていた。去年よく新聞に紹介された愛嬌のあるあの顔と、まだら模様の身体とが、ぱちぱちと煙をあげながら動いていた。本物のムツゴロウを私が間近に見たのは、実のところ、それが初めてだった。
何があっているのだろう、とふと足をとめて確かめたまま、私は動けずムツゴロウたちを見つめていた。そのガラスの前に別に人だかりはしていなかったし、キャ-とか残酷とか叫ぶ人もいなかった。あたりまえの日常の風景のようにそれは周囲にとけこんでいて、焼けたムツゴロウを箸でひっくりかえしていたおばさんも、まるきり平気な顔で落ちついていた。自分がどのくらいの間そこに立っていたのか私は思い出せないのだが、おばさんは笑顔で私を見て、買っていかないかとか包みましょうかとかいうことを元気のいい口調で聞いた。
あいまいに首を振って私はその場を離れた。それきりそのことについては、考えなかったし、ことさらに思い出して人に話したこともない。ただ、忘れなかった。この三十年間の間にたくさんのことがあって、多くのことを忘れたが、あの数分間だか数十秒だかの記憶だけは消えていない。
有明海の干潟を守れ、ムツゴロウを救えというキャンペ-ンを耳にし、乾きかけた泥の中から苦しそうに顔を覗かせるムツゴロウの写真を見るたびに、私の頭の中ではデパ-トの地下の鉄板の上で煙をあげてもがいていた小さい姿がそれに重なった。干潟が保存されて、ムツゴロウが救われても、と私は思っていた。彼らの多くが結局人間に捕らえられ、あのように生きたまま焼かれるのだろう。私の目には見えないだけで、今日もどこかで、ああやって焼かれているのだろう。
だから、干潟を保存しようという運動が偽善だなどと言うのではない。そもそも私は、人の偽善を糾弾することもまた、相当な偽善だと思っている。私だって、偶然あの風景を見なかったなら、こんなことは何も感じないでいただろう。ただ、見てしまったものとしては、人間が、いくら干潟を保存しよう、ムツゴロウを守れと言っても、それはつまりはああやって焼き殺すムツゴロウを生かしておくということでしかないのだという事実を忘れられないだけである。たとえ、そうやって殺されるムツゴロウの数が、全体の数に比較して、どんなに少なかったとしても、そんなことは問題ではない。殺されるムツゴロウにとっては、生も死も苦しみも、ただ一つのかけがえのないものなのだから。
2 科学者の視点
幼い子どもたちに、動物への愛を教えることは大切だとよく言われる。確かに、最近の一連の少年犯罪でも、動物への虐待がやがては人命軽視につながるケ-スが多いことが指摘されたように、人間としての豊かで健全な成長のために、動物とのふれあいは欠かせないだろう。また、環境問題に携わる人たちの多くは、動物たちを愛し、保護することこそが、人間の幸福な未来につながることを確信している。
それらのことは、いずれも正しい。しかし、動物への愛が人間への愛につながり、動物への優しさが人間に対する優しさにもなると、あまり簡単に図式的に決めつけて安心していたのでは、私が前章で述べたようなわりきれなさを見逃すことにもなるだろう。人間がどれだけ動物のことを思いやり、考えたとしても、人間として生きる以上、それには常に限界がある。その限界を突破して、動物の立場をあくまで代弁しようとするならば、そのことは、人間であることを否定し、同じ人類を裏切る行為をする危険をもはらむ。動物への愛がとどまるところを知らぬ時、それは人間に対する敵意や絶望、憎しみに転ずることもあり得る。映画『もののけ姫』のヒロイン、サンがそうだったように。
『雨の日の猫はとことん眠い』など、猫についての名著が多く、動物全般についても豊かな知識を持っている加藤由子氏は最近の著書『賢い猫の遊ばせ方』(高橋書店 大抵の本屋さんではペット関係のコ-ナ-に置いてある)で、「私は『動物は好きだけど、人間は嫌い』という言葉を信じない」と言い、次のように述べる。
「動物はウソをつかない」と言うのは「逃げ」だ。人を信じるあまりに人のウソに傷ついて、人に背を向けているだけだ。本当は人を愛したいのに愛せないからと、その愛を動物に向けるのは心の歪みだ。動物は愛の「代償」ではない。
「代償」になってしまうと、その動物は動物としての生き方を無視されていることになる。猫には猫の生き方や哲学があり、犬にも犬の生き方や哲学がある。それぞれの価値観は理解され、大切にされなくてはならないが、我々人間には犬や猫の価値観が完璧に理解できるわけではない。犬や猫の価値観が人間とは違うことはわかっても犬や猫の価値観を人が自分の感情として感じることはできないからだ。価値観の違いを把握する努力が、飼っている動物を幸せにすることだと思うが、そのためには自分の価値観を見つめ直すことが必要だ。そして自分の価値観を見つめ直す作業とは人間を理解することであり、本当に人間が嫌いなら、それはできることではないのだ。
動物が好きな人は、人間も好きなのだ。犬や猫を幸せにできる人は、自分が好きで人間が好きなのだ。もし人に何度も裏切られたせいで人間が嫌いになったのなら、動物たちとの暮らしの中でいやされてほしい。犬は飼い主の顔色を見る動物で、猫は社会性のない動物で、人はウソをつく動物だということを理解して、そのうえでもう一度、人間も好きになってほしい。人とのつきあいに疲れて人に背を向けたのなら、もう一度振り向く勇気を動物たちに貰ってほしい。犬は犬であるままで飼い主と一緒の幸せをつかもうとする。猫は猫であるままで自分の幸せをつかもうとする。人も人間であるままで世間を受け入れなくてはならない。
かなり難しく高級な哲学を、徹頭徹尾やさしい言葉でわかりやすく語る加藤氏の筆力には毎度のことながら感服する。猫も含めたさまざまな動物の個性を科学的な目を通して十分に知り抜いている人の、人間としての立場と現実とをあくまで重視した、まっとうで健全な感覚がここにある。ムツゴロウ王国を築いた畑正憲氏もそうだが、理科系といっては問題もあるが、加藤氏のような動物学者の人々には、過度な動物への同化とは違った冷静な姿勢があり、そのことが結局は現実に動物の幸福を限られたかたちであれ、保障し拡大するという点で貴重な成果をあげている。
巨大すぎる課題の前に立ちすくんで一気に絶望するのではなく、現実的な判断で動物のために何かをしようとする、このような科学者としての姿勢は、私たち皆が学ぶべきだろう。ただ、そうした展望や着実な成果が必ずしも見えない時、「動物の気持ちになって考える」ことは時に人を絶望させる。
加藤氏がここで想定しているような、「人間によって傷つけられ、人間と触れ合うのが怖くて動物への愛に逃避している」ような、言ってみれば弱い人の「人間嫌い」は、まだ解消される可能性は大きいし、周囲にとっても自身にとっても危険ではない。だが、もともと人間が嫌いというわけではなかったのに、動物を深く愛し、動物の立場で世界を見ることによって、人間という種族の冒している罪や残酷さを強く感じて義憤に燃えるようになる、もっと強い人の「人間嫌い」の方が厄介なのだ。
3 どんな気分?
講義の最初に紹介した、アメリカのミステリ作家ロ-レンス・ブロックの短編を、ここでまた一つ紹介したい。ハヤカワ文庫『夜明けの光の中に』所収の「どんな気分?」である。
主人公である「私」は、ある日、馬を残酷に鞭で打ちすえている馭者を見て、警官に訴えるが警官も忙しそうで相手にしてくれない。「私」が自分で注意すると馭者は怒って相手にせず、ますます馬を打った。「私」は黙って立ち去ったが、そのことが忘れられなかった。
動物虐待の問題に関して、私は以前から強い関心を持っていた。数年まえのことだが、ある化粧品会社に対して、ウサギを使っての製品テストの中止を求める運動が繰り広げられたことがある。その会社では年に何千匹もの罪もないウサギを失明に追いやっていたのだが、それが癌の治療薬を見つけるためというならまだしも、最も安上がりなマスカラやアイライナ-の安全性テストということで、年に何千匹ものウサギが犠牲になっていたのだ。
そんな会社の社長とは直談判(じかだんぱん)したかった。そして「お前ならどんな気分になる?」と訊いてやりたかった。「無理矢理まぶたに薬品を塗られ、眼をつぶされたら、いったいどんな気分になると思う?」と。
実際には、全米で数百万もの人々がそうしたように、私も請願書に署名をしただけだったが。しかし、それが功を奏して、その会社はそれ以来ウサギを失明させるような真似はやめた。大勢が力を合わせれば事態を変えられることも時にはあるのだ。
このウサギによる化粧品の実験は動物実験の中でも有名なものであり、首を固定されたウサギがずらりと並んでいる写真を私も見たことがある。アメリカでそれが中止になったというのも、おそらく事実であろう。この部分では、「私」の記述に別におかしなところはない。ただ、それに続く部分で、「私」はSM趣味の人のための店に行き、鞭を買い求める。そして・・・
私は牛の革で編んだ長さ十フィ-トほどの鞭を買い、それを持ってセントラル・パ-ク南通りへ向かった。そして物陰に隠れ、例の馭者が仕事を終えるのを待って、彼の家まであとを尾(つ)けた。
鞭でも人を殺せるものだ。いや、ほんとうに。
となると、穏やかではない。
これに引き続き「私」は、散歩のたびにビ-グル犬を蹴飛ばしていじめていた飼い主の男の家に行き、爪先に鋼鉄の入った靴で男を蹴り殺してしまう。では、この「私」がひたすら危険な狂人かというと、必ずしもそうではない。同じアパ-トに住んでいる女性の飼い犬が女主人の留守の間に、淋しがって鳴いているのを女性に教えてやったりする。女性はもう一匹の犬を保護センタ-から貰って来る。犬はもう鳴かなくなり、女主人も犬たちも幸福そうに散歩しているのを見て、「私」は満足する。また、子猫の始末に困って川に捨てようとしていた男性に、保護センタ-に連れて行って飼い主を探す方法があることを教え、ついでに母猫の避妊手術を安くやってくれる病院も紹介してやる。「男は救われたような顔をしていた。要するにその男は決して冷酷な男ではないのだ。ただ、どうすればいいのかわからなかっただけなのである」。
このように「私」は別に凶暴でも残忍なのでもなく、動物虐待を防ぐために適切と考えた方法を実行しているだけなのである。「あなたが動物で、そんなことをされたとしたらどんな気分になるか?」というのが、この短編のキ-ワ-ドともなっているのだが、ラストの部分は次のようになっている。
たとえばつい昨日のことだが、私が二番街の金物屋にはいると、身なりのいい若い女が、ハエ取り紙とゴキブリホイホイを選んでいるところだった。
「失礼ですが」と私は言った。「そんなものを本気で買うつもりですか?そんなものは大して役に立ちません。一匹や二匹の虫を殺すのに、あなたは大金を注ぎ込むことになるんですよ」
まるで頭のおかしな人間でも見るような眼つきでその女に見つめ返された時点で、何を言っても無駄だと私も気づいてよかったのだ。しかし、私はさきを続けずにはいられなかった。
「そのゴキブリホイホイというやつは、それ自体で、ゴキブリが殺せるわけじゃない。動けなくするだけです。ゴキブリは足がくっついて離れず、ひとつところから動けないままいたずらに触角を揺らして、最後には飢え死にするんでしょうが、私が言いたいのは、あなたがそんな目に遭ったらどんな気分になるかということです」
「あなた、ふざけてるのね」と女は言った。「そうでしょ?」
「いいえ。私はあなたが買おうとしている品物はなんの役にも立たない上に、残酷な代物だと言ってるんです」
「だから?相手はゴキブリよ。罠にかかるのがいやなら、この女のアパ-トに寄りつくなとでもゴキブリに言ってくれない?」彼女は苛立たしげに首を振った。「まっ たく、こんないちゃもんをつけられるなんて信じられないわ。わたしの部屋にはゴキブリがうようよしてるっていうのに、ゴキブリの感情を害しちゃいけないなんて心配してる気ちがいに捕まるなんて」
私はそんなことは少しも心配していなかった。それに彼女がゴキブリを殺そうと、一向に構わなかった。何かと退治せざるをえないこともそれはあるだろう。だからと言って、何もこんな残酷な殺し方をしなくてもいいではないか。でも、それ以上その女にあれこれ言うほど私も馬鹿ではなかった。話をすればわかる相手もいる。しかしその一方で、馬の耳に念仏という手合いもいるのだ。
私は半ダ-スの強力セメダインを買い込み、家へ帰る彼女のあとを追った。
しつこいけれど、ここでこの話は終わるのである。残酷さや異様さはともかくとして、ブロックならではの巧みな語り口でこのラストまで持ってこられると、つい吹き出してしまうのだが、私自身、これを読む少し前に「ゴキブリに声がないからいいようなものの、もしも彼らに声があったら、ゴキブリホイホイにかかってじわじわ死んでいく彼らの悲鳴で台所は満たされて、優雅にス-プを煮たりケ-キを焼いたりするどころではあるまい」と書いたことがあって、この部分には奇妙な実感もあった。
前にも言ったが、ロ-レンス・ブロックという作家は、健康なのか異常なのかよくわからないところがあり、この作品も、単に異常な人間の心理を描いているのか、それとも少しは作者の本音が入っているのか、多分前者なのだろうと思うのだが、ぎりぎりのところは判断しにくい。別の短編集『おかしなことを聞くね』(ハヤカワ文庫)の中の一編「動物収容所にて」でブロックが、残酷に子羊を殺した少年を動物の死骸用の焼却炉に閉じ込めて焼き殺す、心やさしく有能な収容所員を描いているのを考えると、なおさらである。 「動物の立場になって考える」「動物の気持ちを理解する」ということは、このような「私」の視点を獲得することでもあるのだ。このごろは小学校の教材でもとりあげられることがある金子みすずの、語り口は優しいが人をどきりとさせる詩「大漁」にさえも、これと共通する感覚は存在している。
私は、この作者が二十六才の若さで自殺したことと、このような詩を書ける目を持っていたことを安易に結びつけようとは思わない。けれど、大漁の喜びにわく浜で、ひとり海底の「鰯の葬式」を連想できる人にとって、この人間の世界は決して生きることが簡単ではないものだったのだろうとは思う。
大漁
朝焼小焼だ
大漁だ
大羽鰯(おおばいわし)の大漁だ。浜は祭りの
ようだけど
海のなかでは
何万の
鰯のとむらい
するだろう。(ハルキ文庫『金子みすず童謡集』より)
4 残酷な世界
ゴキブリホイホイが、ゴキブリにとってどれだけ残酷なものかということは、普通、人は考えない。化粧品の開発のために盲目にされるウサギたちについては、もう少したくさんの人が、ウサギの立場に立って想像し、反応するだろう。しかし、それほどの切実さを感じない人もいるだろう。生け簀の中で、活き作りにされるのを待っている魚たち。闇の中で餌を与えられつづけ、初めて陽の光を浴びた日には殺される食用のニワトリたち。生きながら酒びんの中に密閉されるマムシやハブ。高速道路で車に轢かれて半ばつぶれているミミズ。飼い主に捨てられて保健所で薬殺を待つ老犬。自分が彼らであったなら、と想像する程度は人によってさまざまだろう。ひとつひとつをその気になって見つめれば、私たちの身近な周囲には悲惨なものが溢れている。すぐれた作家が巧みな筆致で、それを詳細に描く時、私たちはそのことに初めて気づいて驚くのだ。
リチャ-ド・アダムズ『ウォ-タ-シップ・ダウンのうさぎたち』(評論社文庫 上下二巻)の前半のクライマックスは、昔からあったうさぎたちの地下の村が、マンションの建設工事のために破壊され、かろうじて逃げ出した二匹(組頭という高い地位にいたホリ-と、下士官のブル-ベル)が、以前に危険を察知して村を出ていった仲間たちにめぐりあい、村の崩壊の様子を語ってきかせる部分である。人間たちが入り口をふさいで、ガスを注ぎ込んだ地下通路で、うさぎたちは大混乱に陥る。
「ぼくが、そのにおいをかがないうちに、さわぎがはじまった物音がきこえてきました。めすたちがいちばん先にかいだようでした。そして何匹かが、外にのがれ出ようとしました。しかし、子どものあるめすたちは、子どもをおいていこうとはせず、近寄るうさぎを攻撃しました。むろん、子どもを守るためです――子どものために戦う気になっていたのです。すぐに通路という通路は、ひっかき合ううさぎや、相手をふみこえて出ていこうとするうさぎでいっぱいになりました。みんな、使いなれた通路をのぼっていって、入口がふさがっていることに気づきました。何匹かはどうやら向きをかえましたが、うさぎたちがのぼってくるのでひきかえせませんでした。やがて、通路は死んだうさぎのため先がつかえはじめ、生きているうさぎが、死体をめちゃくちゃにひきさきました。(中略)
そして、そうした通路から、世にも恐ろしい物音――助けを求めるさけび、子うさぎが母親をさがすかん高い泣き声、命令をだしている上士(アウスラ)の声、ののしりあい、けんかしあっている、うさぎたちの声や物音が流れこんできたのです。一度、一匹のうさぎがたて穴をころげ落ちてきて、足の爪でちょっとぼくをひっかきました。秋になってトチの実が落ちるとき、ぎざぎざでひっかくくらいでしたが。セランディンのやつでした。もう死んでいました。彼をひきさかなくては前に進めませんでした。(略)」
「ずいぶんたってから、わたしは森の中をひきかえした。もう、生きのこったうさぎを集めようなどという考えは忘れてしまっていた。それでも、このブル-ベルとピンパ-ネルと若いト-ドフラックスの三匹はわたしについてきた。ト-ドフラックスだけが、わたしの出会った上士(アウスラ)だったので、スリアラ-(うさぎの長)のことをきいてみたが、彼は、まともなことはまるでいえない状態だった。スリアラ-がどうなったか、ついにわからずじまいになった。苦しまないで、すぐに死んでくれたのであればいいが。(中略)
ピンパ-ネルは頭がおかしくなっていて――わけのわからないことをぺらぺらしゃべっていた――そして、ブル-ベルもわたしも、おなじようなものだった。(中略)そして、その夜、森の中で、ト-ドフラックスは死んだ。死ぬほんの少し前、彼は正気にかえり、なにかいったのをおぼえている。そのときブル-ベルが、うさぎがムギ畑や野菜畑をあらしたので人間がおこったのだといっていたんだ。するとト-ドフラックスがこたえた。『彼らが村を滅ぼしたわけはそれじゃない。ただ、ぼくたちがじゃまだったからだ。彼らのつごうでぼくらを殺したんだ。』それからまもなく、彼はねむりに落ちた。そして、しばらくして、なにかの物音におどろいて、彼をおこそうとしたら、死んでいるのがわかった。(略)」
道路建設、住宅地造成など、私たちの感覚では何でもない作業の中で、動物たちが人間に害をするからという理由でさえもなく、「じゃまだったから」という、それだけの理由で消滅させられる生き物たちの暮らし。うさぎよりももっと小さい蟻や昆虫や微生物の世界にまで拡大して見れば、私たち人間のごく普通の生活によって、どれほどの破壊が日夜行われているかは、ほとんど想像もつかない。
なお、リチャ-ド・アダムズには、この他に『疫病犬と呼ばれて』(評論社 単行本で上下二冊)という、動物実験の材料にされた二匹の犬を主人公にした物語もある。
5 人間への絶望
動物の立場からこの世界を見つめつづけることは、限りない悲惨と向き合うことだ。それを続けることは人を疲れさせ、ともすれば絶望や狂気に追いやる。考えてみれば「ドリトル先生」などは、そのような現実と向かい合い戦いつづけてきた人だった。
シリ-ズの終わりに近い『ドリトル先生月にゆく』(岩波少年文庫)を、幼い私はあまり好きではなかった。シリ-ズの他の本では、動物の世界からものを見て、この世のすべてに触れることが、楽しさや思いがけなさに満ちた心躍るものであったのに、この巻ではどことなく趣がちがった。月に住む生き物からの招きをうけて、とうとう月世界に旅したドリトル先生は、そこでは動物のみならず植物までが口を利き、あらゆる生き物が「議長」と呼ばれる一人の人間(月の巨人)のもとで、平和に共存しているのを見る。この理想郷から地球を見た時、人間たちのくりかえす争いや愚かさの数々にドリトル先生は絶望的になり、厭世的な気分になる。そんな先生を見るのが、私はつまらなかったし、淋しかった。地球でも先生はしばしばそういう気分になってはいたが、少なくとも先生が周囲の人間に対して怒るのは、動物に対してひどい行いをした時が主だった。けれども、この月の世界で先生が絶望したのは、人間の動物に対する態度だけではなかった。人間どうしに対しての残酷さや冷たさも含めて、あらゆる面での人間の救いの無さにほとほと嫌気がさしたという風情だった。それはどれだけ、作者であるロフティングの気持ちの反映だったのだろうか?とにかく私は読んでいて不安になったし、いらだった。そのためか、月の世界が嫌いだった。汚れていても活気のある地球へ、早く先生を連れて戻りたかった。そうしようと画策するオウムのポリネシアが何と頼もしく見えたことか。
スウィフトの『ガリヴァ-旅行記』の最後に登場する馬(フウイヌム)の国の話を読んだ時、私は『ドリトル先生月へ行く』を思い出した。「どうしてどのシリ-ズも最後の方になると、こんなに暗く悲しい雰囲気になるのだろう」というようなことを感じた。
ただし、『ドリトル先生月へ行く』と違って、私はこの話に登場する馬たち、特に、ガリヴァ-の保護者となる「主人」と呼ばれる連銭葦毛は好きだった。ガリヴァ-とこの馬が初めて会う場面を作者は生き生きと魅力的に描いている。
その時ふと左手の方を見ると、馬が一頭悠然と畑のなかを歩いているではないか、(略)。馬は我輩をみると、一瞬ちょっと驚いたようだったが、すぐ平静にかえって、いかにも不思議そうに我輩の顔をしげしげと眺めていた。次には、周囲を五、六回廻りながら、我輩の手足を頻(しき)りに見入っている。かまわず我輩は、そのまま歩き出そうとすると、今度は我輩の正面に立ち塞(ふさ)がってきた、もっとも表情はいたって物柔らかで、暴力を加えるというような気配は毛頭ない。しばらく互いに見合っていたが、とうとう我輩は思い切って片手を伸ばした、そして、ちょうど、あの騎手が初めての馬を扱う時にするように、口笛を吹きながら、相手の頸(くび)を撫でてやろうとした。ところがこの動物は、我輩の愛撫をかえって軽蔑でもするかのように、頭を振り、眉を顰(しか)め、静かに右前足をあげて我輩の手を払いのけるのだ。そうしておいて、今度は二声三声嘶(いなな)いたが、その調子がまたすっかり別で、我輩には、どうもなにか彼特有の言葉でもって、独り言でも言っているように思えたのである。
理性によって運営される、正直で率直で静謐な馬の国。それは理想郷などではなく、索漠とした痛ましいユ-トピアだという、ジョ-ジ・オ-ウェルのような見解もあるらしいが、私自身はそのような感じは受けなかった。ガリヴァ-だかスウィフトだかが賞賛を惜しまない(そして、それに比べて、この馬の国ではヤフ-と呼ばれる醜い動物に非常によく似た、人間への、絶望と反感を募らせることにもなる)、フウイヌムの世界の素晴らしさを私がかなり自然にうけいれたのは、ガリヴァ-に対応するこの連銭葦毛の人柄(?)の描写によるところが大きかったと思う。好奇心に満ちてガリヴァ-の祖国のことをいろいろ質問するものの、虚偽とか疑惑とかいったフウイヌムの国に存在しないもののことに話が及ぶと、ありありと困惑の表情を見せたり、人間の世界における馬たちの扱われ方を聞いて、信じられないと同時に不快の色をあらわにしたりする、その反応のひとつひとつが鮮やかで、馬についてはあまりよく知らない私でも、聡明で誇り高い動物に特有のその様子がありありと思い浮かべられる気がした。
しかし、結局、馬たちの会議でガリヴァ-はヤフ-の一種と認定されてしまい、この国を去らざるを得なくなる。この国に深く傾倒し、人間世界への嫌悪にかられるようになっていたガリヴァ-は、悲嘆のうちに小舟に乗って馬の国を離れる。そのままどこかで死ぬつもりだったが、通りかかった船に助けられ、故郷に戻るものの、迎えてくれた妻にもなじめず、今では飼っている二匹の馬とだけ心が通い合っている。
家へ入るやいなや、妻は我輩を両腕に抱いて接吻した。だがなにしろこの数年間というもの、この忌(いま)わしい動物に触られたことなどほとんどなかったものだから、たちまち一時間ばかりも気を失ってぶっ倒れてしまった。我輩が今これを書いているのは、最後に英国へ帰ってからもう五年にもなるのだが、はじめの一年間は妻子と一緒にいるだけでもたまらなかった――臭(にお)いがだいいち我慢できないのである――ましてひとつ部屋で食事を共にするなどはもってのほかだった。今日で さえ、なおパンに手を触れたり、ひとつ容器から物を飲むことなどは断じてさせないし、彼らに手をとってもらうなどということもむろんない。金を貯(た)めて、一番に買ったものは二頭の種馬の仔(こ)だったが、(後略)
ある意味では悲しく怖い結末なのかもしれないが、幼い私はこれを読んだ時、別に悲劇とは思わなかった。それなりのハッピ-エンドとしてとらえた。その感覚がまちがっていたかどうかは、今でもわからない。
ともあれ、作者のスウィフトは人間ぎらいを公言し、傷つくことの多い荒々しい生涯を送った。晩年は発狂し、痴呆の症状も現れていたという。『ガリヴァ-旅行記』の特に最後に近い馬の国の話には、彼のそういう人間への絶望や憎悪、狂気が募っていく様子が見えると解釈されることが多い。
しかし、芥川龍之介の場合などでもそうだが、人が自殺したとか発狂したからと言ってそれ以前の作品のすべてを、その兆候を示すものとして読み解くことは危険なのではないだろうか。私は『ガリヴァ-旅行記』のフウイヌムの話に、ある悲しみが漂うのは感じ取ったが、それほど激しい毒や憎悪や絶望がこもっているとはうけとめなかった。そういうもがあったとしても、それは人間に対して、何かを望み希望する明るさや愛と、決定的に無縁なものとは感じなかった。
自らの原爆を浴びた体験を、『夏の花』をはじめとしたいくつかの小説に著した原民喜は、戦後『ガリヴァ-旅行記』の童話化にとりくんでいる。講談社文芸文庫で最近刊行された、その『ガリバ-旅行記』の川西政明氏のあとがきによれば、原民喜が特にひきつけられていたのは、最後の馬の国の物語だったという。ただ、この話の末尾で原は、
てっきり私を死んだものと思い込んでいた妻子たちは大喜びで迎えてくれました。家に入ると、妻は私を両腕に抱いてキスしました。だが、なにしろこの数年間というものは、人間に触られたことがなかったので、一時間ばかり、私は気絶してしまいました。
とだけ記して話を終わらせ、原作にあった激しい人間への嫌悪をすべて省いている。
原はまた、そのあとがきで、原作の内容に触れて、
だが、それにしても、一番、人をハッとさすのは、ヤ-フが光る石(黄金)を熱狂的に好むというところでしょう。僕は戦時中、この馬の国の話を読んでいて、この一節につきあたり、ひどく陰惨な気持にされたものです。陰鬱といえば、この物語を書いた作者が発狂して、死んでいったということも、ゴ-ゴリの場合よりも、もっと凄惨を感じます。
と書くのだが、『ガリバ-旅行記』完成後の一九五一年、朝鮮戦争が勃発した年の三月十三日夜、鉄道自殺した。
原爆という未曾有の体験の中で、世界はもうこのような過ちを繰り返すことがあってはならないという思いを『夏の花』をはじめとした、透徹した作品に結実させた原が、ふたたび日本を舞台の一部とした戦争が起こった時にこのように自殺したことは、静かな抗議とか、人類への絶望とかさまざまに解釈できるだろうが、彼の作品のすべてを読んでもいない私には、彼の死にそのような何かの意味を定める自信はない。ただ、抗議というには彼は優しすぎ、絶望するには強すぎる人であるように思えてならない。
『ガリヴァ-旅行記』の馬の国の話のどこに、原はひきつけられたのか。原の童話と原作とを比較した細かい検討も必要だろうが、基本的には、この話の持つ、人間であることの醜さと悲しみと、それでも「おまえのようなヤフ-もいる」とガリヴァ-を認めてうけいれてくれた主人の馬に象徴される、聡明で優しい存在との心の交流ではなかっただろうか。
6 霧にむせぶ夜
知る人ぞ知る、と言いたいところだが、実は結構有名かもしれない(何しろ最近ではCMにまでキャラクタ-が登場したりしているらしいから)ますむら・ひろしという漫画家がいる。『アタゴオル物語』という、人間大の猫たちと人間が共存している幻想的な世界を舞台としたシリ-ズが代表作で、CMにも出ているらしいその主役格の一人はヒデヨシという食い意地の張ったやたら図々しい大猫だ。作者は最近では宮沢賢治の小説の漫画化でも注目されているようである。
その作者のごく初期の短編で、これは知る人ぞ知る(つまり大半の人は知らんだろう)と自信を持って断言するが『霧にむせぶ夜』という短編がある。東北の田舎のとある川のほとりで、霧が深い夜に全国から集まった猫たちが会合を開いて、環境破壊から地球の未来を救う相談をするという内容だ。
アタゴオルシリ-ズなどと比べると、線はまだ鋭くリアルである。といっても、猫たちはそれぞれ背広を着て田舎の紳士といった雰囲気であり、「上郷(かみざと)農協から借りてきた机」を囲んで話し合いをする。「小林さん」と呼ばれる一匹の猫が、議論が白熱すると興奮して思わず机に爪をたてる。すかさず議長の猫が「小林さん、机に傷をつけないで下さい。これは上郷農協から借りて来た机ですから」と注意する。これが何度かくりかえされ、当時、名台詞として漫画ファンの間で流行した(ほんとかね)。
会議のテ-マは、最近の京都会議を思い出させるが、ちがうのは、猫たちの話し合いでは人間が地球や他の生物に対して行った数々の罪が糾弾され、ついに人間を地上から抹殺すべきという方針が全会一致で確認されることである。人間だけを一瞬にして骨に変えるという「リロコトヒ」という新薬の完成が報告され、それをさっそく使おうということになり、霧の中から現れた若い人間の女性に投げつけて、女性が一挙に骸骨になるのがラストの場面だった。
「人間のくせに、こんな話を書くなんて」と不快に思う人ももしかしたらいるのかもしれない。そして、ますむら・ひろしの作品の中には、確かにどこかロフティングやスウィフトと共通する、人間という存在へのこだわりの淡白さや、異様で幻想的なものへの嗜好も存在している。
しかし、私自身は大人になってから(大学院生の時だった)読んだせいもあったかしれないが、『ドリトル先生月へ行く』や『ガリヴァ-旅行記』を読んだ時のような悲しみや不安や虚しさを、この作品から感じなかった。
自然破壊や人間の横暴について弾劾する硬質な文章の多用。猫の顔の毛を細かく書き込むリアルな描線と、耳を伏せ口を大きく開けて目をつり上げた猫たちの表情。時に笑いを誘いながら、猫という生き物の姿を借りて爆発していた怒りの激しさ。自分たちを取り巻く状況の悲惨さに涙する仲間に向かって、彼らは叫ぶ。
「泣いている場合ではありません。不平や不満を言ってばかりで、動こうとしない連中とは僕らは違います。僕らは猫なのですよ」
そして彼らは人類の滅亡を決定した。霧の深い夜に、北国の田舎の橋のたもとで、上郷農協から借りてきた机を囲んで。
私たちの消滅は、いつかどこかでこのようにして決定されるのかもしれないと恐怖するのもいい。しかし、私が漠然とこの作品から感じた力強さは、人間に家族を殺された「イリオモテヤマネコのコジロウさん」も含めて猫たちが怒り悲しみながらも絶望はしていないことだった。思えば、猫に限らず動物たちは、どんな悲惨な現実と未来しか待っていなくても、絶望などはしなかった。
あらためて思うと、動物たちに人間が与える数々の悲惨を思う時、私が人間嫌いに何とかならずにいられるのは、科学者としての冷静さや展望の確かさではない。それは「絶望してはならない。動物たちが絶望していないのだから」という、幼い時から心のどこかにいつもあった感情だろう。
それは動物に限ったことでもない。動物の悲惨さを綴った文章を読む時、それは私に、西欧からの開拓という名のもとに蹂躪されつづけたアメリカインディアンの歴史、『わが魂を聖地に埋めよ』(草思社 全二巻)、『アメリカ・インディアン悲史』などを思い出させるし、あるいは黒人奴隷の歴史を、またユダヤ人の歴史を思い出させる(というよりも、人間の作家たちは、これらの動物たちの悲劇を描く時、知らず知らずに人間の歴史や社会の中での似たような状況を想起して、それにあてはめて書いているのであろう)。女性の置かれていた立場については、私自身が何度も絶望を味わい、男性を(誰か個人をではなく、全体的に一般的に)憎みつづけた時期もある。
けれど、それらの歴史のすべてが、時間の流れの中で忘れられることなく語り継がれ、見つめつづけられる中で、永遠にかわらないだろうと見えていた状況が、私の中でも外でも確実に次第に変化してきたのを、この目で確かに見ることができた。
絶望もさまざまである。というよりも、さしあたりここでは、二種類ある。ドリトル先生やガリヴァ-が味わったような、よりよい世界を希求しながら、それが永遠に実現しないかに見えることに対して抱く絶望がある。これは、あせらず何とか耐えていれば、やがて未来につながるだろう。絶望しきってしまっては元も子もないが、自分に何とか耐えられる範囲で、このような苦しみや怒りを抱え込んでおくことは、よりよい世界を作るためには役にたつし、必要でもある。
しかし、もう一つの絶望は、これまで自分以外の存在を踏みつけにしてさんざんいい目を見てきた者が、それがだんだん難しくなり、自分の時代は終わったと感じて、先の展望がないままに暗くなっている絶望である。爛熟の極致の文化などがこうした中から生まれたりもするが、往々にしてこういう絶望を感じる者たちは、自分たちの最後がすなわち人類や地球の最後と勝手にきめこんで、他のすべてを道連れにして一緒に滅びようとするから迷惑である。
「人類や世界にはもう先の発展が望めない、昔は人類は進化するもの、未来は今より明るいものという希望があったけれど、現代はそうではなく、時代は閉塞状況にあり、これからよくなるという展望はない」というようなことが、このごろよく言われる。けれど私は、そういう発言やそういう雰囲気づくりそのものが、滅び行く者たちの無理心中計画の一環なのではないかと思って用心しているところである。私は、随分気楽に生きてきたように見えるだろうが、女性としての生き方だけをとって見ても、これまで結構苦しんできた。ようやくそれがいい方に向かってきているこの時代に、まだまだこれから楽しい日々を過ごさなくては、とりかえしがつかないと思っている。後はもう衰退し滅びるしかない階層や種族の、終末を予感した泣き言に、これまで苦しい時代を生きてきた者たちが、いよいよこれからという時に、うっかり同調するものではない。
「子どもの権利条約」などができたとは言え、子どもたちだってまだまだ、世界でも日本でも苦しい状況に置かれている。動物もしかり。植物もしかり。もしかしたら無機物だって。そういうもののすべてが、権利を認められ、幸福を保障される時代が来るまでは、まだまだ時をとめてはいけないし、世界を終わらせてはいけない。
(1978・2・9)