動物と文学「野生とは」その2-自由ということ

1 野生動物の死

シ-トンの『動物記』の中で、私が一番印象に残っているのは、「ぎざ耳坊主」の中の次の一節である。

野生動物というものは、けっして老死するものではない。天寿をまっとうするということはなく、遅かれ早かれ悲劇的な最後をとげる運命にある。ただ動物によって、どれほど長く敵から身を守っていられるかという、その違いがあるだけだ。

それは、幼い時から自分の家で飼っていた猫たちの、(田舎で昔のことだったから、自由な放し飼いだったが)さまざまな死に方を見ていたからかもしれない。十年程前、ある文章で私は書いたことがある。

あの、眠れなかった夜、私が思い出していたのは、昔、私の故郷の家にいた、たくさんの猫たちでした。彼らのほとんどが悲惨な死をとげました。気位の高い美猫のメイは猫いらずを食べて、川岸に影のように座っていた姿を見た人があるのを最後に行方不明になり(毒をのむとのどがかわくのだと母が言いました)、顔のみっともなかっ五右衛門は、もらわれていった夜にすてられて、近所の神社でノラ犬たちに食われ、紋次郎は車にはねられ、アリは病気になって背中にあいた穴からうみを流しつくして死にました。何ものかに腹をかみさかれて、腸わたをひきずりながら帰ってきて息をひきとった猫、農薬を浴びたカエルを食べて死んだ猫、便所に落ちて死んだ猫、それが自由に生きる代償ででもあるかのように、自然はありとあらゆる残酷なさまざまな死に方を彼らに与えつづけたのです。(略)
私の愛した猫たちは、皆、死ともつれあうようにして私の前を陽気に走りぬけていきました。(略)

昔、放し飼いにされていた猫、あるいは今の野良猫たちは、家畜やペットに比較すると人間の身近にいる動物の中では最も野生動物に近い生き方をしている。彼らや、他の野生動物の生き方や死に方を、目のあたりにしたり本で読んだりしている内に、幼い私がそうやって感じつづけていたものを、シ-トンの先の一文は、ある確かな哲学か理論のようなもので裏打ちした。それは、「生きるとはそういうこと」あるいは「自由に生きるとはそういうこと」とでもいったような、変な言い方かもしれないが、前にあげた私の文章をひくと「重い実感と、澄んだなぐさめ」だった。
シ-トンが『動物記』で描いた野生動物たちの多くは、他の動物や厳しい自然、人間たちの手にかかって悲惨な最期を遂げている。自身も人間であることを忘れたかのように、シ-トンは時にその死を激しく嘆き、人間の行為を責めているが、その嘆きや告発は甘くもなければ絶望に満ちてもいない。(ジュリア・M・シ-トン著、早川書房刊『-シ-トン伝-燃えさかる火のそばで』によるとシ-トンは、動物愛護団体で講演した際、「動物と人間の双方の権利が衝突した場合は、もちろん人間の権利が優先すべきである」「自分の幼い娘の視力、手足、命が危機にさらされれば、ためらわず動物の視力、四肢、命を犠牲にして娘を助ける」と述べ、憤慨する女性活動家たちに、彼女たちが毛皮のコ-ト、革の靴、蚕を煮殺して作った絹の服を身につけていることを指摘したと言う。シ-トンのこのような発言が正しいか、また彼の本心のすべてであったかという点は議論もあろうが、彼が単純で感情的な動物愛護論者でなかったことは示しているであろう。)たとえば「赤えり兄い -ドン谷の山鶉(うずら)の話-」の最後で、一族すべてを自然や人間に殺されて孤独になったあげく、自分も人間のかけた罠にかかって苦しみながら死んでいく山鶉(見事な赤い首毛のため、「赤えり兄い」の名がある)に対して、シ-トンは次のように率直で直截(ちょくせつ)な述懐を記す。

野生のものたちは、道徳的の、または法律的の、なんの権利も持っていないのだろうか。人間は仲間の生きものが、ただ自分と同じことばをつかわないからというだけで、そんなに長い、恐ろしい苦しみを仲間に加える権利があるのだろうか。その日一日、ますます、加わるしめあげるような痛みにもだえながら、赤えり兄いは、かわいそうに、つりさがって、大きな力強い翼を羽ばたかせて、のがれようとむだな戦いをやっていた。

しかし、その後、ますます加わる苦痛の中で、ついに死を願うようになった彼のところへ、羽音を聞きつけた大みみずくが飛んできて彼を殺し、その拷問を終わらせてくれたことを記したシ-トンは、話の最後を以下のようにしめくくるのである。死んだ赤えり兄いの美しい羽毛が、吹雪の中に散り、かつて彼が恋の季節に飛んでいって妻をみつけた時のように、どこまでも飛んでいって、ついに湖水に落ちて沈む。それ以後、山うずらが恋した時に、丸太を太鼓のように叩いて鳴らす勇ましい音は森から消え、以後、その地方に山うずらの姿は見えなくなったという。

風が北から吹きおろしてきた。雪の馬群(ばぐん)はしわよった水の上を、ドン川の浅瀬の上を、湖水をめざして沢の上を、追いたてられながら、まっ白になって競争していった。その馬群のからだの上には、山うずらのちぎれたかざり羽が、ばらばらと黒くのっかっていった――あの名高いにじ色の首毛だ。そうして、その首毛は、その夜、冬の風にのって、はるか、はるか南へと、ちょうど赤えり兄いが、あの気狂(きぐる)い月の旅のとき走っていったように、暗い、さわがしい湖水の上を渡って走り、走りに走っていって、とうとう湖水のなかにまきこまれてしまった。それは、ドン谷種族の最後のものの、最後のなごりであった。
なぜというに、いまはもう山うずらはキャッスル・フランクへはやってこないからだ。そこの森の鳥たちは勇ましい森のあいさつを聞くことができず、どろ川谷には、それからのち、使うものもない、古いまつの太鼓丸太が、音もなくくちくされていくのであった。

飾りのない平易な文章で綴られる、息詰まるほどの美しい描写と重い事実。シ-トンの人間としての嘆きや怒りは、いわば、描かれた絵を心をこめて縁取る効果的な額縁や喪章にはなっているが、それ以上の存在となるほど出しゃばってはいない。ここに限らず、どの場合でも、中心はあくまでも、絵そのものである。そこに描き出されるのは、どんな苛酷な環境の中でも、死の瞬間まで生きることをやめなかった動物たちの姿である。悲壮になることもなく、どんなわずかな幸福もためらわず味わいつくして。時には、その種も絶滅し、自身が生きたという何の証も残さないまま。
それでも、シ-トンが描き出す彼らの一生を見ていると、彼らが決して不幸とは思えないのはなぜだろう。たとえ私たちが、それをどう不幸で悲惨と感じようとも、そんなことにはおかまいなく、膨大な数の野生動物たちが次々に生きて、死んでいくという、否応なしの事実の蓄積が、そんな感傷を圧倒するのだろうか。

2 現代の野生動物たち

シ-トンの作品を読んでいると、いつも私は実際には行ったことのないアメリカの草原の光の色や風の音、干し草やなめした革の匂いまでをありありと感じる気がする。パトリシア・ハイスミス『動物好きに捧げる殺人読本』(創元推理文庫)には、そのようなさわやかさや素朴さはない。現代の動物たちがたまたま犯してしまう殺人の数々を描いたこの短編集には、煙草と酒と都会の埃の匂いがするし、光は暗く人工的で、全体の印象も繊細で複雑だ。映画「太陽がいっぱい」の原作者でもあるハイスミスの、ひとくせもふたくせもあるしたたかなテクニックが随所にうかがわれるとともに、どこか異常で病的な陰りもある。シ-トンの『動物記』は、読んで不快になったり反感を抱いたりする人が少ないという点では、多分、古今東西の文学作品の中でもベストテンに入るのではないかと思えるほどだが、ハイスミスのこの『動物好きに捧げる殺人読本』は、読んだらきっと嫌いな人も多いだろうという気がする。
にもかかわらず、これを読んでいるとシ-トンの『動物記』を読んだ時と同じ印象を感じる時がある。ハイスミスが動物たちを本当に好きだからなのか、それともすぐれた作家が題材に向かう時に否応なしにそれと同化し理解してしまう才能によるのか、私にはわからない。文庫本の末尾についている解説がわりらしい座談会(菊地千尋・小山正・戸川安宣の三氏)は、私の疑問に答えてはくれなかった。それどころか、この作品の魅力を理解しているとはとても思えず、読んでいて終始私はカリカリした。
この短編集には家畜もペットも登場する。だが、ネズミやゴキブリなど、いわば現代の都会の野生動物たちの話も入っている。野生動物と聞くと、私たちの多くは遠い国の絶滅寸前の珍しい鳥や鯨やツシマヤマネコ、せいぜい住宅地に出没するタヌキとかを連想しがちだが、実際には誰からも所有されず、したがって保護されることもなく、いつ破られるかもしれないあやふやな暗黙のル-ルに基づいて人間と共生しているという点では、野良猫(大型の哺乳類で私たちの回りにいるのは、もうこれぐらいだろう)や蜘蛛やナメクジやゴキブリ、ネズミはすべてこれ野生動物といっていい。
『動物好きに捧げる殺人読本』には、彼らの生活が、シ-トンと同じように適当な擬人化を行いながら、巧みに描かれている。前にも述べた、やや不健康な味わいは、シ-トンとハイスミスという二人の作風の差であるとともに、それぞれの背景となっている時代の差でもあるだろう。だが、人間に大勢の妻をふみつぶされ、週に一度の燻蒸を避けながらホテルで生き抜くゴキブリの独白「ゴキブリ紳士の日記」の渋いユ-モアさえたたえた語り口や、人間の子どもから面白半分に片脚を切り落とされ、片目をつぶされて、それでもヴェニスの地下の暗がりで生き抜く鼠を描いた「ヴェニスで一番勇敢な鼠」のたくましいエネルギ-(しかもそれらは、古いホテルや沈み行くヴェニスの都などの持つそれぞれの魅力とも奇妙に一致している)が読者に与える、「生きるとは、こういうことかも知れない」という、明るさも暗さもない力強さは、シ-トンの作品のそれに確かに似ている。

僅かのあいだ鼠は口を開けたまま動かなかった。鼠の右目から血があふれ、弱々しくさしのばし、指をひろげて石の壁につっぱっているその後足に、ルイジは庖丁を振りおろした。鼠はルイジの手首に噛みついた。
ルイジは悲鳴をあげて手を振った。鼠は水に振りおとされ、やみくもに泳いでいった。(略)
「うう!」ルイジは手を水にひたして前後に振ってから手首をしらべた。ピンでつついたほどのうす赤い点がのこっいるだけだった。(略)「痛いよ!」と彼はカルロに言ってから階段にむかって水をかきわけていった。痛みなどまったく感じなくてももう目から涙がこぼれていた。「ママ!」
鼠は必死に鼻を水面にだし、切株になった前足ともう一本のいい方の前足とで苔のはえた石の壁をさぐり、もがいた。あたりの水が血でピンク色に染まっていった。(略)いま、鼠にとって当面の問題は出口を見つけることだった。切りおとされて残った左の前足と後足も痛むが、目の方がもっとひどかった。少し探してみたが穴も隙間も見つからず、やがて、たよりない糸のような苔に右の前足の爪をひっかけて、放心したように動かなくなった。
しばらくすると凍えてしびれてきたので鼠は動きだした。(後略)

日は過ぎていった。鼠の傷ついた足は次第に痛まなくなった。目のほうも痛みがうすれてきた。体力が回復し、それどころか体重もふえた。やや茶色味をおびた灰色の被毛は密生し、なめらかになった。つぶれた目は半ば閉じて灰色のしみのように見え庖丁の刺したあとはゆがんだままだったが、もう血も漿液も出なかった。たち向かっていけば猫も少々たじろぐことを発見したが、それは二本の短い足でびっこをひき、片目がないという彼の異様な姿のせいだと察しがついた。(後略)

この後のある日、昼間の町の広場に出て餌をあさっていた鼠を、観光客の男女が見る。その時、この観光客の男性が抱く感慨は、シ-トンの『動物記』を読む人がしばしば感じるのとおそらく同じものだろう。少し長いが引用しよう。

一人の男が笑いながら鼠を指さした。「ごらん、ヘレン!」彼は妻に言った。「あの鼠を見てごらん!まっ昼間に!」
「まあ、何という!」彼女のショックは見せかけではなかった。彼女は六十がらみの女でマサチュ-セッツから来たのだった。それから彼女は笑い声をあげたが、ほっと安心し、面白がってもらしたその笑いには、ほんの僅かな恐怖がにじんでいた。
「何てことだ、だれかに足を切られているぞ!」男はほとんど囁くように言った。「それに片方の目も!見てごらん!」
「帰ってみなさんにお話しする話の種ができたわよ!」女は言った。「カメラを貸してちょうだい、オ-ルダン!」
夫はカメラを渡した。「いまはまずいよ、ボ-イが来る」
「なにか御注文は?」ボ-イがうやうやしくたずねた。
「いや、結構、ありがとう。ああ、そうだ!ミルクコ-ヒ-をひとつたのむよ」
「オ-ルダン――」
彼は朝と夜、一日に二杯のコ-ヒ-しか許されていなかった。あと二、三か月しか生きられないのだ。だが、鼠が不思議な心の動きをもたらし、とつぜん嬉しさがこみあげてきた。椅子の林の中、つい三フィ-トほどの所で神経質に鼻をひくつかせ、いいほうの目をひからせてパンのかけらにとびつき、それでいて小さいもの、上等でないもの、つぶれてしまったものはちゃんと避けている鼠を男は見守っていた。「いまのうちにとるといいよ」オ-ルダンは言った。
ヘレンはカメラをかまえた。
鼠にとって動きは敵意のしるしであり、動きを察知した鼠はちらと目をあげた。
「カチリ!」
「いい写真がとれたようよ!」スニオン岬かアカプルコの夕焼けでもカメラにおさめたような、一種穏やかな幸福を感じて、笑いながら囁いた。
「この鼠は」オ-ルダンもなごんだ声で言いさし、かすかにふるえる指で目の前にあるバタつきの小さなパンからうまそうなフランクフルト・ソ-セ-ジをつまみあげた。それを鼠のほうに投げてやると、鼠はちょっと尻ごみしたが、すぐにソ-セ-ジにとびつき、片足――切りおとされた残りの――でおさえて食べだした。するとふいにソ-セ-ジは視界から消え、ふくらんだ鼠の頬が動いていた。「この鼠には不屈の精神がある!」やっとオ-ルダンは言った。
「この鼠がどんな目に遭ってきたか、考えてごらんよ。ちょうどヴェニスと同じだな。だが、あきらめなかった、そうだろう?」
ヘレンは夫の微笑みに微笑みで応えた。オ-ルダンはここ何週間になく幸せそうだった。彼女は嬉しかった。そして鼠に感謝の気持ちをいだいた。こともあろうに鼠に感謝するなんて思ってもみなかった、と彼女は考えた。ふたたび目をやると鼠は消えていた。しかし、オ-ルダンは微笑んでいた。
「すばらしい一日になりそうだね」彼は言った。
「ええ」

もちろん、こんな感動的な場面で終わるような甘いハイスミスではないから、ラストにはこの鼠が自分を傷つけた子どもに再び捕らえられ、その家の中で逃げ出した後、ゆりかごの中にいた赤ん坊の顔をかじって瀕死の重傷を負わせて去るというショッキングな場面を作っているが、それでも、

彼は身ぶるいをした。血の味がまだ口に残っていた。あのときは、呪いの家から逃げだす出口が見つからず、彼は恐怖と、それに怒りにかられて赤ん坊を襲ったのだ。赤ん坊の腕や拳が弱々しく彼の頭や肋骨をかすめた。鼠は、小さくても大きな人間と同じにおいのする人間の一員を襲うことに、ある喜びを感じた。幾口かのやわらかい肉はいくらか腹のたしになったし、いま、そのエネルギ-を使っているのだ。
鼠は揺れるように歩きながら、ときどき足をとめては口にもはいらないような食べもののかけらのにおいを嗅いだり、顔をあげて風を嗅ぎ、方向をたしかめたりしながら暗闇の中を進んでいった。(後略)

このような姿でヴェニスの町の闇に消えていく鼠の姿に、反感や拒否感といった感情以外の何か――共感や魅力とまではいかなくても、それに近いある何か――を感じる人は多いのではないだろうか。

3 捕らえられたら

野生動物たちはこうやって、あらゆる悲惨な運命に絶望することなく生きようと努力しつづけ、そのことで時に私たちを力づける。だがシ-トンの『動物記』の中には、これらとは少し違った死に方もある。それは、野生の動物たちが自由を奪われた時に、自ら進んで選ぶ死である。
もっともこれにはシ-トンの脚色もあると言われる。たとえば有名な狼王ロボを長い苦労の結果ようやく生け捕りにしたが、翌朝ロボは死んでいたという「ロボ」について、生け捕りになった直後のロボのスケッチを見た学者たちは、ロボは既に傷ついて疲労しており、このために死んだのだと判断するそうである。鳥でも獣でも、人間が飼おうとしてもすぐに死んでしまう種類がいるのは、結局は、その動物に適応した環境を人間が作ってやれないからであり、それが整ったらそのような動物たちでも囚われの暮らしを平和に満喫して長生きするのであるのかもしれない。しかし、仮にそうだったにせよ、「ロボ」や「西部の野生馬」で、シ-トンが、生け捕りになることを拒絶して死を選ぶ動物たちを描き出す時、多くの読者は強い感動を覚えるだろう。
私自身、子どもの頃読んだ童話の中で、最も印象に残っている一つは、今それを見つけることが出来ないので作者もわからないのだが、川でつかまった鮒がだんだん汚れてくる水槽の中で、ぼんやりと川での楽しい生活のことを思い出しているという内容のもので、全然ハッピ-エンドでない結末が珍しかったせいもあるだろうが、妙に気になっていつまでも忘れることができなかった。大学生になってから読んだ「椰子蟹」という童話も、南の島で暮らしていた椰子蟹が、捕らえられて日本に連れて来られ、旅の途中で鋏もとれた哀れな姿になり、逃げ出したものの、寒い庭の中で椰子の樹もなく、それでも木に登って違う実を落としている内に凍え死んでしまうという、とても救いようのない話で、これまた忘れられなかった。
ロフティングも『ドリトル先生航海記』(岩波少年文庫)の中で、ドリトル先生に次のような動物園批判をさせている。

「(略)わしの流儀でゆくと、世界じゅうどこをさがしても、おりにとじこめられたライオンやトラは一頭でもいてはならんのだ。かれらは、とじこめられるのがきらいなのだ。幸福ではないし、けっしておちつかない。ライオンやトラのような動物はじぶんの生まれた国を、いつも忘れることができないのだ。それは、かれらの目を見ればわかる。ほんとうに夢みているような目だ。いつも、じぶんの生まれたひろいひろい野原を夢みておる。そうして、じぶんの母親から、えものを追いかける方法を教えてもらった、あの深い暗いジャングルを夢みておる。それだのに、小さなおりにとじこめられたら、なんの楽しみがあるだろう。(略)あの、アフリカの朝日のかがやき、シュロの葉の間から吹いてくる、夕暮れのそよ風、縦横にからみあったり、もつれあったりしている、あの緑なすカズラの木かげ、星あかりのあざやかな、すずしい砂漠の夜、さんざんえものをあさって歩いたあとできく、ばらばらという雨の音。――こんなもののかわりに、おりの中では、なにがあたえられるだろう。ねえきみ、そもそも、なにがあるというのだろう。鉄格子のはまった、みすぼらしいおり、一日一回なげこまれる死肉のきれ、それから、口をぽかんとあけて、かれらを見にやってくるたくさんのまぬけども。ああ、スタビンズ君!ライオンやトラは、けっして動物園なんかに入れてはいけないのだ。」

また、かつて水族館から妹とともに逃げ出した体験を持つ魚は、水族館にいた時に妹が海を懐かしんで語った言葉を、次のようにドリトル先生に話して聞かせる。

『海ですって!』とクリッパは、うっとりと美しい目つきをしてつぶやきました。『なんだか、夢のようですわ。海!ねえ、にいさん、あたしたちはもう一度、海で泳げるでしょうか。毎晩、このくさい牢屋の床の上で目をさますと、あたしの耳のすぐ下で、すばらしい波の音がきこえます。あたし、海が恋しくて恋しくてたまらないんです!すてきな、ひろびろとした、なにもかもすがすがしい、わが家のような海!貿易風がおこす波のしぶきなどものともせずに、大西洋の波濤をとびこえて、うずまく青い波の底におりてゆくなんて、なんてすばらしいんでしょう!空が夕焼けで、波のあわがピンク色に映える夏の夕ぐれどき、もしも小エビを追いかけてゆくことができるなら!ひっそりとした無風帯の昼さがり、波の上にねころんで、熱帯の太陽に、おなかを暖めることができるなら!インド洋の大きな海草の林の中を、手に手をとって通りながら、おいしいポップポップの卵をさがすことができるなら!真珠やミドリ石の窓が海底にかがやいている南米北岸の、サンゴの町の竜宮で、もしも、かくれんぼができたなら!南洋の海の、かすかに青い、うすむらさきのイソギンチャクの野原にピクニックにゆけたなら!メキシコ湾の、よくはずむ海綿の寝床の上で、トンボがえりができたなら!沈んだ船の中を歩きまわる、あの冒険ができたなら!――それからまた、北東の風に波のあわだつ冬の夜、寒さをのがれて、暖かい暗い海底めがけてもぐってゆけたなら!そこには深海魚がちらちら光っていて、あたしたちのお友だちや、いとこが、みんな楽しそうにすわっておしゃべりしているのです。――ねえ、にいさん、みんなが海の世界のニュ-スやゴシップを話しあってますね。――ああ・・・。』
そして妹は、鼻をすすりあげていましたが、わっと泣き伏しました。

だが、動物が実際に、こういうことを感じているのかどうかは、正確にわかるわけではない。それでも、これらの話や言葉の数々が私にとって忘れられないものとなり、おそらく多くの読者にとっても強烈に訴えかけるものとなるだろう理由は、これらの話が描き出す、自由を奪われた悲しみと、故郷からひきはなされた悲しみが、人間にとっても切実なものであるからである。
人間においても、このような悲劇は歴史上でしばしば起こった。日本に強制連行された朝鮮人、ナチスドイツによって強制収容所に入れられたユダヤ人、そして奴隷としてアメリカに連れて来られた黒人たちなど。そして、一時期話題になったアレックス・ヘイリ-の『ル-ツ』という作品などはあるものの、これらの人々の悲劇はまだまだ文学作品として充分に描かれているとは言えない。

4 自由でない故郷

だが、前章であげたような例の場合には、「生まれ育った故郷」と「自由な暮らし」が重なり合っている分、悲劇は重いが、また単純明快でもある。映画「大脱走」をはじめとして、一時期流行した脱走物の映画の数々が持っていた爽やかな明るさもそこにある。ドリトル先生が、サ-カスや動物屋(今のペットショップ)に義憤を感じ、そこに飼われている動物を盗み出して逃亡させるという、現代の過激な動物愛護団体と同様の行動を実にしばしば行うのにも、同じ明るさが漂っている。
先生は、もちろんその都度、他の方法がないか検討するし、法律を破ることについて良心のとがめも感じている。だが、そのような健全な感覚にもとづきながら、結局のところは脱走させることが動物たちにとって幸せという判断に立って、先生は行動する。この点では『ドリトル先生』シリ-ズは相当に過激な児童文学である。これほど、人間社会と違った基準に基づいて、人間社会の法律を確信犯として破る人物が主人公である作品が、健全な子どもの本としてずっと通用してきていることは、結構すごいことである。そういう意味では、このシリ-ズは決して常識に妥協をしておらず、作者の哲学と世界観によってしっかりと構築された、危険さと深さを持つ作品と言えよう。
しかし、現代の文学で多く描かれるのは、そのように自由を奪われる悲惨さがわかりやすい場合よりも、むしろ、生まれ育った環境そのものが自由ではなく、自由でない人間自身が、その事実を認識できないという状況である。あるいは認識して、そこから自由の国へ脱出し、または革命を起こしてその状況を変化させるにしても、それは自分が長いこと慣れ親しんで来た世界を否定し、自らの過去を否定することでもあるから、それだけ困難だし苦痛も伴う。自由と故郷が同義語である、夢に見た世界に向かってひたすら疾走する幸福はそこにはない。白人たちの鞭による教育にも屈することなく、故郷に帰り自由になることを求めて脱走を繰り返した『ル-ツ』の主人公クンタ・キンテや、ドリトル先生に助けられてサ-カスから逃げ出し、アラスカの夫のもとに帰ろうと必死に川を下るオットセイのソフィ-のような、ひたむきで自然な感情を、心の支えとすることができない。束縛から解放される存在が、解放しに訪れた者に対して抵抗することさえある。それは、児童文学の長編ファンタジ-においてさえ決して少なくない。
C・S・ルイス『ナルニアものがたり』シリ-ズ(岩波書店)の中の「銀のいす」の設定などは、この点ではなはだ複雑だ。魔女の支配する悪の国に来た(が、まだそこが悪の国とは気づいていない)主人公たちは、そこで一人の若者に会う。若者は、自分は一日の内のある時間だけ気が狂って凶暴になるので、その時だけ、銀の椅子にしばりつけておいてほしい、自分がどんなに頼んでもほどかないでほしいと頼む。主人公たちは言われたとおりにする。その時間が来ると、果して若者は懸命に縄をほどいてほしいと頼む。実は彼は魔女にさらわれた、正義の国の王子で、次第に魔女に洗脳されつつあるのだが、一日の内のその僅かな時間だけ正気に戻っているのである。しかし、魔女に支配されている時間の彼は、自分が何者か覚えていないし、正気に戻っている時間を、狂気になる時間と魔女に教えられているのである。正義を司るライオン、アスランの名を王子が口にして頼んだため、迷っていた主人公たちは決心して縄を解き、王子は解放されて銀の椅子を剣で切り割る。椅子は黒いいやな煙をあげて燃え上がる。
ルイスが表現しようとしたのは、何が狂気で正気なのか、何が自由で束縛なのか、判断しにくい現代の状況だろう。囚われた人を解放する役割の者も、自分の使命が何なのか、解放するのが誰なのか、充分把握できないのである。こういう中では、束縛に抵抗し自由を求める人々も、自分の行動に確信がなかなか持てない。
オ-ウェル『一九八四年』、ザミャ-チン『われら』などでは、全体主義と管理社会が徹底した恐ろしい未来社会に対して抵抗を試みる主人公たちは、彼ら自身がその体制の中で育っており、確信を持った批判ができないでいる。どちらの小説でも、一人の女性への愛をきっかけに彼らは革命を試みるが、それは失敗し、誰よりも愛した女性を裏切るほどに彼らは改造されてしまう。
『われら』は一九二〇年から二一年にかけて書かれた。『一九八四年』は一九四八年に完成した。そして、私たちが生きているこの一九九〇年代では、このような悲劇的なかたちでさえ、「自由を獲得するための闘争の試み」「管理主義社会の否定」が熱をこめた文学として描かれることはない。もはや自由や脱走は、管理社会からは不可能なのか。あるいは、保護されることの快さを私たちが実感しているせいなのか。
ちなみに、『ナルニアものがたり』を書いたルイスには、はっきりと唯物論への批判があるし、『われら』も『一九八四年』もソビエト連邦のスタ-リン体制を諷刺し批判した書としてとらえられることが多かった。それだけのものと定義しては、これらの作品の価値を狭めることになるだろうが、やはり、その要素は大きいと見るべきだろう。
そして、私は今でも覚えているのだが、『一九八四年』を大学生の頃読んだ時には、その暗さや救いのなさに滅入りはしたが、社会主義国家に対しても人間に対しても不思議なほどに絶望はしなかった。『一九八四年』を読みおえた日、「人間は、こうはならない」と、確信をもって私は日記に書いた。だが、その数日後に、やはりスタ-リン体制下の社会を描いたソルジェニ-ツィンの『煉獄のなかで』を読んだ時、これまた不思議なほどに私はもはや「人間は、こうはならない」と言えなかった。人間と国家は、こうやって自由を失っていくのかという実感が、いやというほど身に沁みた。それは『一九八四年』が架空の国を舞台にした空想小説であり、『煉獄のなかで』が事実を下敷きとして書かれていたことと、どの程度関係していたのか、今でもわからないのだが。
『二十五時』(作者を忘れた。ゲオルグだっけ)などでもそうだが、特にソルジェニ-ツィンの作品には、人間が、『われら』や『一九八四年』の主人公よりはるかに広い視野を持ち、豊かな経験があり、理想を信じ、自由を愛し、人間としての誇りを失わないでいて、それでもなお、自由を守る戦いができず、まちがった方向に周囲が進んでいくのを止めることができない事情が、いやというほど細かく書き込まれている。『ワイルド・スワン』でも同じだが、自由を奪う体制に抵抗できず、それを許した人たちは、決して愚かではないし、良心も失ってなどいないのである。そういう人たちがいても、それでも国家や社会から自由が失われることの恐ろしさ。それは、私たちの生きている日本の現代社会でも、まったく同様といっていい。
それでもとにかく、それらの作品で批判されることの多かったソ連が崩壊し、ベルリンの壁が倒れたのは、自由の勝利、新しい時代の到来とも思えた。しかし、その後の状況は民族主義紛争の激化など、簡単なハッピ-エンドにはなっていない。自由のもたらす悲惨さは、自由をめざした敗北よりも恐ろしくさえ見えることがある。それでも自由な方がいいのだと、胸をはって言い切ることは、そういう悲惨な状況の当事者にも第三者にも今はあまりに難しい。
私はかつて、ベトナム戦争はあまりに残酷で夢がないから、これを映画や文学にすることはとてもできまいと思っていた。しかし、今ではベトナム戦争を題材とした映画は名作と言われるものも含めて多く、第二次大戦ものの方がむしろ古きよき時代といった感じで迫力がない。
そういうこともある。だから、超無責任な言い方をさせてもらえば、冷戦後の今の世界各地の混乱と悲惨も、いつかは文学として――それもすぐれた文学として描かれる時が来るかもしれない。しかし、現時点では、「自由」は文学のテ-マとして成立しにくくなっている。とりわけ、それを単純に希求し賞賛するかたちでは。
『動物好きに捧げる殺人読本』の中の「総決算の日」は、バタリ-式の鶏舎で嘴を切られ、いつも前のめりに立たされて無理矢理に餌を食べさせられている膨大な数の鶏が、娘を亡くした悲しみに半ば気の狂った飼い主の妻によって一斉に逃がされ、飼い主をつつき殺してしまう話だが、自由になった彼らはまっすぐに立つこともできず、目も見えないかのようによろめいて、やみくもに四方に散っていく。それはどこか、現代の人間たちの姿を予言しているかのようである。そんな鳥たちをながめて、いとおしげに笑っている飼い主の妻の笑い声は、不気味ではないまでも、解放者の力強さとは程遠く、弱々しくて悲しい。

5 動物園は悪なのか

私たち人間も、動物の一種類である。私はだいたい、動物と人間の間に決定的な差をあまり見いだせないというか、異なる点より共通点の方が多い気がしているので、人間の中に自由を求める心がやむにやまれずあるのだとしたら、おそらくそれは、動物一般の中にもそれがあるという推測の根拠にはなるかも知れないと思う。だが、そうだとすれば、これまた私たち人間の中にある、「苦しくても自由でいたい」と「束縛されても楽な方がいい」という二つの心の間の揺れは、動物にもまた存在するのだろうか?
はじめに私は、野生動物の死がおおむね悲惨であるというシ-トンの言葉を引いて、それでも自由に生きるのが彼らの選んだ生き方であり、幸福であり栄華なのだというようなことを書いた。だが、それは本当に彼らが選んだ生き方だろうか?もちろん、程度の問題はあるだろうが、人間が保障できる限りの望ましい環境を与えてやり、最低限の束縛にとどめると言えば――いや、そんなことまで言わなくても、命の安全と餌の確保を約束してやりさえすれば、喜んで束縛されるという野生動物は結構いたりするのではないだろうか。そもそも、どっちがいいですかなどという質問をうける機会など、彼らにはこれまでなかったわけなのだから。
野生動物の保護対策や動物園の運営などを考える時、これは大切な考え方の問題だ。先に述べたように、ロフティングの『ドリトル先生』シリ-ズの立場はきわめてはっきりしている。また、ハイスミスの『動物好きに捧げる殺人読本』では、動物園に飼われていた象が、彼女をよく理解し愛してくれた大好きな飼育係がいてくれたにもかかわらず、不幸な最後を遂げる悲劇が乾いた悲しみをこめて綴られている(「コ-ラス・ガ-ルのさよなら公演」)。また、『滅び行く野生動物たち』は、保護されているバッファロ-たちの生気のない姿を嘆じている。
私はこういった意見、こういった見方を否定はできない。特に、動物の自由を奪って自分の管理下におくということは、その生物にとって自分が神になるということであり、その生物の命と幸福は何にかえても守らねばならない義務が、管理者にはあると思う。だから、いつ酔っぱらいがガラスをたたき破るかもしれない水槽に、きれいな熱帯魚をたくさん入れて、商店街や駅の雑踏の中に飾ってあるのを目にすると、この圧倒的に広大な空気の中のわずかなわずかな水の中で生かされているいくつもの命の危うさに、目がくらみそうになって心臓がどきどきしてくる。多分ああいうのは、人の目や心を安らかにするために置いてあるのだろうが、私に関する限りは完全に逆効果である。また、戦争中に餌がないからと言って(本当は餌はあったので、国民に非常時を自覚させるための教育的処置だったともいうが、それだったらなおのこと)動物園の猛獣たちを殺した過去を持つ日本のような国は、少なくともその後百年ぐらいは動物園を持つことは遠慮して自粛するべきだろうと、感情的には思っている。ペットを捨てる人については、事情がいろいろ違うので一概には言えないが、本当に安易に捨てる人に対しては、台所のナメクジの方がまだ心が通いそうな気がするほど、意思疎通の必要性も可能性も感じない。
そうではあるのだが、一方で、「こんな危険な都会の中では、猫は閉じ込めて飼う方が猫にとっても幸福だ」と主張する加藤由子氏や、「動物を管理して飼うことをやみくもに否定するのは間違いだ」と説くムツゴロウこと畑正憲氏の、現実に即した科学的で合理的な見解もまた納得せざるを得ない。動物園が、動物の保護や動物に関する知識の啓蒙に果している役割も無視できないものがある。結局、この問題について、今の私はまだ結論を出すことができないでいる。

6 籠の鳥、野の鳥

さて、人間の持つ、自由と束縛の間で揺れる心が、動物にもあるとして、それを描いた文学作品はあるのだろうか。
かなり擬人化され童話的ではあるけれど、ロフティング『ドリトル先生のキャラバン』に登場するカナリアのピピネラの物語は、そのテ-マをかなり正面からとりあげている。ただ、このピピネラは雌なのに雄のようにさえずる歌姫であり、「ほんとのところ、雌の鳥のほうが、ずっとよい声をしております」と言うように、当時のイギリスの女性解放運動に加わった女性のイメ-ジが反映している。籠の鳥であった彼女は、ふとしたことから自由になり、野の鳥として生きることになる。そこで味わう危険や苦労、カワラヒワの雄との愛の暮らし、結局は野の鳥であるその相手から捨てられる悲しみなども、当時の進歩的な女性の生き方を彷彿とさせるところがある。
彼女が、野の鳥でもなく籠の鳥でもない自分の存在に疑問を感じた時、たったひとつ確かなものとして、それを求めて行動したのは、転々と入れ代わった人間の飼い主の一人で彼女が心から愛した窓ふき屋だった。彼女は彼をさがしつづけ、巡りあってまた別れてしまい、ドリトル先生の所で暮らすようになっても、ずっと窓ふき屋を探しつづけている。今では歌が上手で性格もいい雄カナリアと結婚しているのに、どう見てもその夫のカナリアよりは窓ふき屋の方を激しく彼女は愛している。
『ドリトル先生』シリ-ズは、動物のことばをしゃべれる獣医さんという奇想天外な楽しい設定が最大の魅力であるとともに、先に述べたように、スケ-ルの大きい、底の深い哲学を持った物語である。とはいうものの、作者のロフティングが、彼の周囲の動物の習性をどれだけもとにしてこの話を書いているかは調べようがないし、ピピネラのような愛が鳥に存在するかどうかはわからない。
それでも、このような設定が少し気になるのは、人間に飼われるのと野生で生きるのと二つの生き方というテ-マの時にまず思い出される、ジャック・ロンドンの二つの作品『野性の呼び声』と『白い牙』に共通する設定があるからである。
『野性の呼び声』は、アメリカ南部の裕福な判事の屋敷で飼われていた大型犬のバックが、さらわれてカナダに売られ、橇を引く苛酷な労働に従事する内、めぐりあった金鉱発掘者ソ-ントンを激しく愛し、彼とともに旅をするが、インディアンに襲われてソ-ントンが死んだ後、野性の狼の群れに加わって荒野に去っていくという話である。『白い牙』はその逆に、野生動物として生きていた狼ホワイト・ファング(白い牙)が、人間に捕らえられ虐待されて、人間を激しく憎むようになっていたにもかかわらず、ウィ-ドン・スコットという鉱山師の愛情に触れて、少しづつ心を開いて行き、ついに彼について南部に行って、そこの屋敷で飼い犬のように平和に幸福に暮らすようになる話である。
二つの話は、自由な野生と、安全な文明の二つの世界の両方向への移動をそれぞれ描いているわけだが、どちらの話でも、主人公の動物たちを動かす最も重要で決定的な要素となるのは、一人の人間への愛である。野性に回帰するバックにしても、決して人間を嫌悪し絶望したから荒野に去ったのではない。一人の人間ソ-ントンを激しく愛して、その人を失った時に人間との関わりを絶ったのである。この話が単純な野性の勝利の話として片づけられないのは、そこである。
ピピネラやバックやホワイト・ファングに共通するこれらの要素は、人間たちの勝手な願望なのだろうか。そうとばかりも言えない気がするが、確証はない。あるいはこれもまた、人間が自由と束縛の間で迷う時の心理の反映なのだろうか。何をどのように愛するかということが、結局はどちらを選ぶか決める時に大きく作用するというような。
そして、人を愛することをよく知っていても、自由な生き方を失わないヒロインとしては、カポ-ティ『ティファニ-で朝食を』のホリ-がいる。同名の映画のラストでは、雨の中で猫を挟んで恋人と抱き合っているハッピ-エンドな場面が有名だが、原作では彼女はアメリカを去って行方不明になり、アフリカを放浪しているらしい情報が入るという、あくまで自由な人生を貫いている。(猫の方はニュ-ヨ-クで別の家に飼われて、窓の中でくつろいでいる姿を、語り手の青年が目撃するのだが。)新潮文庫のあとがきで、龍口直太郎氏は、映画のラストを批判して、「原作とのもっと重大なちがいは、「私」がさいごにホリ-と結ばれるように描かれているが、そんなハッピ-・エンドをこしらえると、ホリ-のイメ-ジはむざんに破壊されてしまう。彼女はあれからブラジルに渡り、さらにアフリカまで放浪の旅をつづけなければならないのだ」と記している。
愛しながらなお、自由を求めるという点では、メリメの『カルメン』は更に激しい。乾いた味の短編小説である原作もいいが、むしろビゼ-のオペラで有名である。中盤で、カルメンと密輸業者たちが荒々しく歌う、お尋ね者として山の中で生きる自由な暮らしへの讃歌は圧巻だが、この生活についてくることのできなかった恋人ホセによって、最後にカルメンは刺し殺される。(前田美波里が演じたことがあるが、健全すぎて体育系のね-ちゃんみたいでよくなかった。好みは分かれると思うが、ビデオで出ているフランス映画の「カルメン」の女優さんの方が、よく雰囲気が出ている。)
あらゆる束縛を拒否した自由な生き方とは、これらのヒロインたちに見られるように、野生動物と同様の孤独な旅や悲惨な死を覚悟するべきものなのかも知れない。

(1997・12・19)

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