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ごはんが炊けるまで

パンもあるけど、ごはんが食べたくなって炊飯器のスイッチを入れた。ほかほかごはんができるまで、GO TOキャンペーンと櫻井よしこ氏の悪口を高速で短文で書く。

いっぱいあるんよ言いたいことは。でも、一部だけ、手短に言う。
ワイドショー「バイキング」で、真っ赤な嘘を学術会議に関して自信満々に断言した平井解説委員がまだ出てるのか知らんけど、あの人と言い、同じように学術会議について嘘八百を並べたことが毎日新聞の、特に執念深くもなんともない、普通にちょっと調べたチェックですぐわかった櫻井氏と言い、これだけ嘘を言ってしまうのは、もしかしたら、学術会議のことなんて、ろくにこれまで知らなかったんじゃないの。日本の学問や学者や、知的な分野のことなんて、真っ暗くらに暗くって、悪口言おうにもネタやストックがなかったんじゃないの。それだけこの人たちにとって、学問研究とか学者や研究者の世界って、なじみがなくって無知無関心でこれまで生きてきたんじゃないの。デマとばすにも粗雑すぎる。

とか言うことはともかくとして、とにかく二人ともバカバカしいほどな嘘を公共の場で言ってたれ流したわけですよ。平井氏の方は番組が訂正謝罪したらしいけど、本人がしたって話は聞かないし、櫻井氏もそうだろう。
そういうまちがった話をした人はもう一切公共の場での発言は許されるべきじゃない。ましてや新聞に意見広告出すなんて私にはほとんど犯罪に等しく見える。児童対象の性犯罪者の履歴や所在を明らかにしとけとか言う人たちがいるぐらいなら、こういう平気で嘘八百を公言する人たちを、普通に社会に発言させておくのも同じぐらいに危険で害毒にしかならない。これは思想のちがいとか意見のちがいとか右翼と左翼とか、そういうこととは次元がちがう。そういうこと以前の問題だ。くりかえすけど犯罪だ。

以前も書いたことがあるが、認知症とまでは行かなくてもぼけかけの老母とつきあい、長年教師をやって来て、一つ痛切に実感していることがある。「まちがった情報をいったん流すと、上書きしても完全に消すのはほぼ無理」ってことだ。授業で一度嘘を言ったら、あとで百回千回訂正しても、全部の学生の頭からそのまちがった情報や知識は決して払拭してはもらえない。私の話すことなんて、ろくに聞いても覚えてもいないように見えるのに、なぜか学生はこういうまちがった情報や知識だけは絶対に覚えている。消しても訂正してもだめ。完全には絶対にだめ。まちがいを口に出したらもうおしまい。絶対になかったことにしてしまえない。教師ならきっと誰もが、それはどこかで実感してる。

老母も、ある時期から、帰省するとかその他の日時や場所の情報を、一度言ったらもう訂正は不可能になった。私もいずれそうなるだろうが、上書きがだめになる。テレビを見てワイドショーを見ている高齢者の多くはそうだろう。高齢者でなくってもそうだろう。確信犯でもそうでなくても、一度口に出したら、もうそれを後で消すのは不可能すぎる、その重要さが、責任の重さがわかってない人間は、原発の中を歩き回る放火犯と同じくらいに、そういう場においておくのを許されない存在だ。

そこのところが、今の世の中、わからなさすぎてなくないか?
あ、ごはんが炊けそうだから、GO TOの方はもっと短く。

テレビやなんかで毎日あきもせず、「二人家族でごちそうを食べるときに五千円もうけるには」とかやってるけど、もうちょっと恥ずかしくないか。みっともないと思わないのか。私が親で、子どもたち連れて、家族でたまにぜいたくなもの食べに行こうと思ったら、けちけち値切ったりせこせこ計算したりしないで、ゆったりのんびりおおらかに定価で食べるよ。それも含めてぜいたくじゃないのか。心の豊かさってもんじゃないのか。

まあこれは私の好みですからね。家族連れでたまに豪華に遊ぼうと思うときに、ちまちま値切ってわあこのステーキ安く食べられたおいしいって思う感覚の人がいたって別にそりゃかまわんよ。私はそんな恋人も親も子どももいやだけど、まあそこは好みです。そういう人もむろんいていい。

ただ、誰もがそうだと決めつけた報道のしかたがいやなのよ。そうでなきゃおかしいと言わんばかりの言い方が人間なめてないかと思うわけよ。どういうか、婚約指輪や結婚指輪を値切って買って嬉しそうにしている人って、少ないんじゃない? 親に花束プレゼントしようとして、安いけど立派に見える花束にしてと注文して達成感や満足感を得る人って、少ないんじゃない? それを自慢されて嬉しく思う女性や親もいないんじゃない? それは道端に咲いてる花をつんで来たり、予算内の安い指輪をいっしょうけんめい選ぶのとは、まるでちがうの、まったくちがう。

このキャンペーンはすべての人間が、そういうえげつない、あさましいものであることを前提に展開されてる。それは企画立案した人たちのいやしさ、下品な根性そのものの反映なんだって私は思う。きれいごとの歯の浮くような「一杯のかけそば」風も私はいやだけど、この全国民が牙をむいてよだれたらして、安いものに飛びつこうとするイベントを大々的に行って恥ずかしいともおかしいとも思っていないテレビのワイドショーに代表される発想と風潮が、私はつくづく、腐臭と悪臭がして耐えられない。

おっと、ごはんが炊けたようです。

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カツジ猫