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2020年前期集中講義(4)

与市兵衛を殺す定九郎の場面は有名で、大正時代の「まっくろけ節」にも出て来ます。

現在28日分のレポート到着状況は次の通り。(順不同)

メールを送ったのに、名前と記事が出ていない!という人は、お手数ですがご一報下さい。

けいちゅう、さいかく、きょらい、さだのぶ、ぶそん、はるまち、もくあみ、たねひこ、あきなり、きょうでん、のりなが、ばきん、さんぷう、まぶち、あやたり、ひろたり、いっく、ぼんちょう、ていとく、やば、しゅんすいの皆さん。

★今回は、「予期せぬぬれぎぬ」について学んだ。予期せぬぬれぎぬは、真っ当に生きている人物にかけられるからこそ物語に面白さが出るのだと思った。予期せぬぬれぎぬの中には、完全に潔白な人にかけられるものだけでなく、部分的に潔白な人にもかけられることがあることがわかった。その場合、読者には部分的には潔白ではないことがわかっているため、その先の展開が気になり、作品に惹かれるのだと思った。

★濡れ衣に関する様々な作品を紹介してもらったが、どの作品も現代に通ずるような人間的葛藤が描かれていて面白かった。人間の根底にある感情は時代によらないのかと考えた。

★今回は予期せぬ濡れ衣、について学んだ。

私が印象に残ったのは「ハムレット」のクローディアスです。

実際、本当に王様をクローディアスが殺したのかが、気になったからです。

志賀直哉の「クローディアスの日記」でその事が扱われているとあったのでみてみようと思います。

★授業で歌舞伎や浄瑠璃の話を先生がされているのを聞いて、一度は歌舞伎を実際に生で観てみたいなと思いました。お金も高そうですし、いきなり観に行くのは勇気が必要でなかなか一歩を踏み出せません。死ぬまでには絶対行きます!

★今回の集中講義では、「予期せぬぬれぎぬ」について、様々な作品を通して学んだ。この講義のなかで、私が一番印象に残ったのは「ハムレット」である。「ハムレット」の内容を聞いて、「予期せぬぬれぎぬ」の連続でとても興味深かった。「ハムレット」のなかでは、クローディアスが悪役として書かれているが、ハムレットもポローニアスを刺し殺したり、ローゼンクランツとギルデンスターンを身代わりにしたりと、予期せぬぬれぎぬを人に着せ続けていて、ハムレットこそクローディアスに劣らない悪役ではないかと感じた。また、主要な人物のほとんどが死んだにもかかわらず、ホレーショーだけはぬれぎぬも着せられず死ぬこともなかったのは不思議だった。最後は若い新しい世代の人が台頭するというシェイクスピアの作品の特徴だというような話を先生から聞いて納得したが、ホレーショーだけがぬれぎぬを着せられなかったのは、何かもどかしく感じた。私が作者ならホレーショーにもぬれぎぬを着せたと思う。

★28日の授業では、予期せぬぬれぎぬについて学びました。予期せぬぬれぎぬは、結構色々なジャンルや話で出てくるものだということに気づきました。歌舞伎や浄瑠璃などの日本の昔からのお話だけでなく、シェイクスピアの本などにも予期せぬぬれぎぬが存在していました。

志賀直哉の『クローディアスの日記』では、クローディアスが兄の死に対して、実際には殺していないにもかかわらず「兄の死を望んでいたのかもしれない」と自分の罪を自覚する、という予期せぬぬれぎぬは、とても印象に残りました。ぬれぎぬは、少しづつの圧力でも心の変化が起こり、着せられることがあるのだという、人間の心の持ち方についても考えることが出来ました。

今日のぬれぎぬの例などを聞いたり見ていて、私たちの生活の中にも多くのぬれぎぬがあり、それを意識的にも無意識的にも着せたり着せられたりしてしまっているのだな、と感じました。

★前回の授業を聞いていて、高校時代に付き合っていて彼女に恋愛の別れ話の悪者に勝手にされていたことを一人でに思い出しなんだかセンチメンタルな気分になりました。話自体はどれもおもしろかったです。

★昨日の集中講義では、予期せぬぬれぎぬが出てくる作品をいくつか取り上げて学んだ。

その中でも最初に学んだ仮名手本忠臣蔵の勘平と、姑のかやのやり取りが面白かった。勘平は板坂先生が言っていた通り、あることには潔白だが、他のことに関して潔白ではないという状況であったことから、妻との最後の別れの挨拶もあまりなく、彼女を連れて行かれてしまったり、姑のかやにうまく事情を説明できず、見ているこちらとしてはとてももどかしく感じた。

しかし、このもどかしさが、「この先どうなるんだろう。続きが気になる。」と見ている者の興味を惹き、作品として面白いものだと感じるのではないかと考えた。

★私は今回の講義で「クローディアスの日記」が印象に残りました。疑われ続けるうちに自分の罪を自覚してしまう心理は、人間のある意味での弱さを表していると思います。常に自分は罪を犯しているという意識が心に埋め込まれていて、否定する自信がない。少し感覚が違うかもしれないですが、誰かが怒られていると自分も怒られている気持ちになるような、「ごめん」と謝られると「いや自分も悪かったし」と言ってしまうような、そんな感覚です。その罪の意識に読者は共感したり、もどかしく感じたりするからこそ読みたくなるのだな、と今回の講義で考えました。

★今日はさまざまな演劇でのぬれぎぬについて学習した。やはりぬれぎぬには単なる人間ドラマにスパイスを加えるために大切な役割を持っているなということを思った。

また、シェイクスピアの演劇は人を殺しすぎでは?と思った。ぬれぎぬの着せあいで最後は何も残らない虚しさなのか、人間の醜さや儚さを表現するためにはぬれぎぬは非常に効果的に役に立っているのではないかと思う。

★「ぬれぎぬ」はとても嫌な気持ちになるものですが、それでも「ぬれぎぬ」をきせられている小説やドラマを見てしまうのは、やはり人間は他人の悲劇や狂気に少なからず興味を持ってしまう性質を持っているのだろうと思いました。

ハムレットは見ようと思いつつ見てないままなので、家で過ごすことの多い今こそ、見たいと思います。

実際に見に行ったことはあまりありませんが、ミュージカルや舞台が好きなので、古田新太さんが出ているというローゼンクランツとギルデンスターンの舞台、とても気になりました。

★「予期せぬぬれぎぬ」について学んだ。クライマックスには誤解が解けて満足して死んでいく話あり、最後には皆が死んでいく話ありと、「ぬれぎぬ」一つでも大きく話の展開が変わることを学んだ。

印象に残ったのは、「どんな人物であれ、急に自分の犯していない罪を被ったら、主張したいことも主張できずに終わってしまうる」ということである。理由として挙げられる「その事件では無罪であっても、他の事件で有罪であることが考えられるから」ということにも深く納得した。心のどこかに完全に否定できない後ろめたさがあり、それが「ぬれぎぬ」に繋がることもあるのだと感じた。

★今日の講義では、歌舞伎や浄瑠璃など江戸の文化について学ぶことができとても有意義な時間だった。廓文章吉田屋のなかで男女の恋模様に触れた。舞台の華やかさはもちろんのこと、今の時代とは異なる恋の模様を役者さんが演じられている様子は、歌舞伎を見たことの無い私にとっては新鮮で、ぜひ生でみたいと思った。またゴールデンスランバーに出てくる濡れ衣は、国家組織の陰謀であり、結果的には弱者(主人公)が折れてしまうというなんとも後味の悪いものだ。善と悪の境界がぼんやりと描かれており、伏線回収もされない。濡れ衣を着せられたままという状態であり、私はあまり好みではない。ただ、濡れ衣を考える上ではとても印象的な作品であると言える。

★今日は「予期せぬぬれぎぬ」にフィーチャーした講義が行われた。

特に面白いなぁと感じたのが、シェイクスピアの戯曲「ハムレット」の二次創作、志賀直哉の「クローディアスの日記」の内容だ。

原作とは異なり、クローディアスは「誰も殺していない」「むしろ善人」という設定にも驚いたが、何より「疑いの目で見られ、何度も自らの心中で無実を確かめる内に少しずつ自信を失っていく……」という展開がリアルで面白い。

紛れもなく「予期せぬぬれぎぬ」にも関わらず、自分で自分を疑うように変わっていく様が如実に人の心の弱さを表していて、恐怖を感じるとともにたまらなく面白いなぁと感じた。そして少し敬遠していた「二次創作」の魅力を知ることができて良かった。

★今回の授業を受けて、シェイクスピアやハムレットなど、自分でも深く調べてみたくなりました。

また、歌舞伎の話の際にジャニーズの例を出されたので、とても分かりやすくて面白かったです。

★今日の集中講義は、歌舞伎や浄瑠璃、演劇のお話で、とてもワクワクしました。日本の古典芸能や、演劇には興味がありますが、観る経験がすごく少ないので、大学生のうちに観に行けるだけ行きたいなと思っています。「ぬれぎぬ」についてですが、フィクションとして「ぬれぎぬ」がえがかれているのは、おもしろいと感じるし、これから先もえがかれつづけていくのだろうなと思いました。私が「ぬれぎぬ」を着ることになるのは嫌ですが…。

★わたしが今回の授業で一番印象に残ったのは、シェイクスピアの「オセロー」である。

デズデモーナは素晴らしい人格を持っているにも関わらず、イアゴーの巧みな作戦によって「ぬれぎぬ」を着せられてしまい、またオセローもそれを見抜くことができないことが、とてももどかしく感じた。相手を信じすぎたり、自分への期待を裏切りたくないという感情があったことから起こってしまった悲劇であるため、私たちの生き方にも参考にすることができるものがあると思った。

様々な作品を見てみても、「予期せぬぬれぎぬ」を着せられる状況に置かれているのは人格が素晴らしい人が多く、反対にずる賢い人や意地悪な人が「ぬれぎぬ」を着せていることが多いと感じた。

このこともあって、「いい人なのに報われない」という読み手のもどかしいという感情から、「予期せぬぬれぎぬ」の話には援助者の存在がとても大切になってくるということがわかった。

★今日の講義では、「予期せぬ『ぬれぎぬ』」の登場する作品について数作学びました。印象に残った作品は「オセロー」です。この作品では、デズデモーナが浮気をしているかのようにオセローに吹き込むイアゴーが、それを直接的には示さずに婉曲的に伝えていく姿が印象的でした。「予期せぬ『ぬれぎぬ』」は相手への憧れや妬みなどから、着せられてしまう場合が多いようですが、そこには人間らしい他人への感情が入り混じっていることが想像できました。また、婉曲的であることも「ぬれぎぬ」の要素を引き立たせているのではないかと思います。さらには、「ぬれぎぬ」を着せられてしまう人間も、完全に潔白ではなく、冤罪であると主張できないという設定もまた、人間らしいなと思います。相手に責められて落ちていくのではなく、結局は自分が深く考えていく姿が残酷なところであると感じました。

★志賀直哉の「クローディアスの日記」でクローディアスが悪いことをしていないのに、「予期せぬぬれぎぬ」を着せられて、本当に自分が罪を犯したような気がしてくるというのは本当にリアルというか、人間の心理をついていると思いました。それになんだか似ているなと思ったのが、ふいに相手に対していらいらすることがあって、それを指摘するかどうか考える時です。相手に指摘しようと思っても「まあ私もちゃんと言ってなかったしなあ」とか「そうは言っても相手に自分も似たようなことしてるかもしれないし文句言えないかもなあ」とか考えて結局言えないことが私にはよくあります。

また、全然関係ないんですが、先生が話していたデズデモーナの最期の言葉が千夜一夜物語のシェヘラザードに似ているなと思いました。

★予期せぬ濡れ衣について今日は学びました。シェイクスピアの戯曲は題目は知っていましたが、内容は知りませんでした。自分の中ではハムレットの人物像が興味深かったです。また、歌舞伎や人形浄瑠璃についての由来を学びました。傾城買は、後期に調べて発表したことがあり、理解が深まりました。女から若衆、野郎へと歌舞伎が転じていった背景に幕府からの禁止や政治的意図があり、芸術と政治は濃く結びついているのだと改めて感じました。

★今回、「予期せぬぬれぎぬ」に関して、

様々なお話を紹介してもらいましたが、

確かに、怖いもの見たさ、そして、観客や読み手から支持される人物を魅力的に見せるため。

様々な理由があって、「ぬれぎぬ」が描かれていると思います。

でも、今日授業中に私があらすじや作品の場面を読んで思ったのは、

読み手や観客は、「あぁ、この人が悪い訳では無いのに」

「この人はこの罪はおかしてないのに」というように、もどかしい気持ちになると思います。

そして、そのもどかしさから先に読み進めたくなり先の場面を見たくなる。

このような気持ちを喚起するためにも「ぬれぎぬ」を描く作品が多いのではないか

と考えました。

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カツジ猫