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2020年前期集中講義(8)

第四日の5限に行う予定の、②の発表資料です。皆さん読んでおいて下さい。

この集中講義において濡れ衣のことについてたくさんのことを学んだ。いまからこの講義を通して私が濡れ衣について思うことをある一つの作品を取りあげて述べようと思う。私が取りあげる作品は、「権三と助十」という1926年に初演された岡本綺堂の新歌舞伎の演目である。少し長くなるが作品の概要を説明する。

この作品は神田の長屋に住んでいた小間物屋を営む彦兵衛のせがれである彦三郎が家主である六郎兵衛のもとを訪ねてくることから物語が始まる。彦兵衛のせがれである彦三郎は家主の六郎兵衛に、父親である彦兵衛が強盗殺人の罪で牢に入れられ、その最中に病死したことを伝えた。彦三郎は、温和な性格で人が良い父親がそのような罪を犯すとは信じられず、無実の罪であることを証明して父の汚名を晴らしたいという一心で大坂からはるばるやってきたのであった。

彦兵衛の話を聞いていた、駕籠かきの権三とその相棒の助十は、何やら落ち着かない様子を見せる。実はこの二人、彦兵衛が牢に入れられるきっかけとなった事件の夜に真犯人とおぼしき左官屋の勘太郎を目撃していたのだ。二人はかかわり合いになるのを恐れ、この真実を黙っていたが、真相を告白した。

彦三郎は権三と助十の話を聞き、やはり彦兵衛は無実の罪であると確信する。しかし、一回は落着してしまった事件、しかも名奉行と名高い大岡越前守が担当した事件を再審議してもらうにはどうすればよいかと彦三郎、六郎兵衛が知恵を絞る。その結果、権三、助十、彦三郎に縄をかけ、「彦兵衛は無実である、にもかかわらず家主が十分に訪ねなかった、と暴れ込んできたのでこの三人を引き立ててきた」と六郎兵衛が訴えれば、再審議になるのではないかという考えをたてるのであった。そうして三人は、長屋の住人の声援を受けて引き立てられていった。

六郎兵衛の考えた通り、事件は再審議となった。しかし勘太郎は証拠不十分で釈放されてしまう。この結果に長屋の住人たちは納得がいかなかった。ところがその後、渦中の人物である勘太郎が、「再審議から無事に帰れた礼に」と酒を持って、権三と助十を訪ねてきたのである。この嫌味ったらしい勘太郎の行動に、「そんな酒は受け取らない」と強気に出る権三と助十であったが、勘太郎が一瞬にして猿を絞め殺す様子を見て、とたんに怖気づいてしまう。

しかし、助十の弟の助八が勘太郎に食ってかかるのを見て再び勢いづき、長屋の住人たちも寄ってたかって勘太郎を痛めつけはじめた。そんな騒ぎの中、奉行所の役人がきて、勘太郎を真犯人として引き立てていった。

実は、大岡越前守はすべてを承知の上で勘太郎を釈放して泳がせていたのである。そんなこととは露知らず勘太郎は天井裏に隠してあった血のついた財布を燃やすところを隠し目付けに目撃されてしまい、物的証拠をさらしてしまうことになった。さらには、病死したとされていた彦兵衛も死んではいなかったのである。この嘘の発表をしたのも真犯人を油断させるために大岡越前守が考えた策略だった。真犯人が引き立てられ、彦兵衛が釈放されてこの物語は幕を閉じる。

この「権三と助十」には二つの濡れ衣が登場すると考える。一つ目は、彦兵衛が強盗殺人をしたという無実の罪を着せられるという濡れ衣である。彦兵衛は実際に殺人などしていないことからこれは「予期せぬ濡れ衣」と考えられる。この「予期せぬ濡れ衣」にはその濡れ衣を着せられた人物に対して、私たち読者や観劇する人、ほかの登場人物に、哀れみや「何とか助けてあげられないか」という気持ちを抱かせる力が存在すると考えられる。またこのことから「予期せぬ濡れ衣」は、ほかの登場人物の同情をひくことで、助けてくれる仲間をより多く集めやすく、濡れ衣を着せられた人物にとってのハッピーエンドを迎えることが多いのではないかと考察する。

二つ目は、権三、助十、彦三郎の三人が彦兵衛の潔白を証明するために、自分たちから縄にかけられた濡れ衣である。これは彦兵衛の潔白を証明するために六郎兵衛が考えたものであるため、三人にとっては想定外のことであったと思われる。このことから「予期せぬ濡れ衣」であると考えられる。またもともとこの濡れ衣は権三と助十が真犯人のことを証言していれば回避できたかもしれないものだが、一時は怖気づいていた二人が自分から捕まりに行くというこのシーンは二人の覚悟が見える、「覚悟の濡れ衣」であるとも考えられる。この二人の覚悟は、あの日、結局彦兵衛を見捨てることになってしまった罪悪感や、自分たちがしなくて誰がするのかという一種の使命感からきているのではないかと推測できる。濡れ衣を着ることになったとしても、自分たちの濡れ衣でほかの誰かを助けることができる、という人間の感情の美しさを感じ取ることができた。

私が今回取りあげた「権三と助十」という作品では、濡れ衣を着せられた人物はみなハッピーエンドで物語を終えている。しかしこのような作品ばかりではない。濡れ衣を着せられた人が真実に誰にも気づかれずに無念のまま死んでいく作品や、身を隠すことを余儀なくされる作品も存在する。また現代においても、冤罪事件において無罪になる確率は0.1パーセントといわれている。これはメディアが発達した現代社会において、メディアなどによって拡散された情報を鵜呑みにした人たちがそれをまた拡散することが容易であり、それを大衆の意見としてまたメディアが取り上げるという負のループによるものも要因として考えられる。それに個人で立ち向かうことは非常に困難である。私たちは、このような悲劇を繰り返さないためにも、文学作品等から濡れ衣を読み取り、それを戒めとして後世に継いでいく必要があるのだ。

※連絡事項 今日の10時にZOOMを使ってミーティングをして見ようと思います。参加希望の受講生は、メールを下さい。パスワードを教えます。

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カツジ猫