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「むなかた九条の会アピール」再録。

日付は変わりましたが、憲法記念日にあたって、今から11年前の2005年3月1日に、福岡県宗像市で発足した「むなかた九条の会」の設立にあたってのアピールを再録しておきます。

実は、当時の九名の世話人の名簿も、その他の資料もどこかに行ってしまって見つからず、このアピールも、何かにまぎれこんでいたのを、今の事務局長が見つけ出してくれたのです。
書いたのは九名の一人だった私です。今もそうですが、私はいつも「どうでも訂正補充して」と言って原稿を渡すので、この時も皆がいろいろ手直ししてくれていました。
それを発足当時の世話人代表の菰口治先生が、「こういうのは、書いた人の意志を尊重するべきで、手を加えるものではない」と言って、原文のままにしました。大変ありがたいと同時に、少々びびって、合作ということで責任逃れしようとしていた自分をひそかに反省しました。

加藤周一さんや澤地久枝さんたちの、かの有名な全国の九条の会のアピールにはとても及ばないけれど、今読んでも、そのまま使える気がします。言ったことが、すぐにころころ変わる首相とちがって、私たちの発言は、未来にまで責任を持つという決意に支えられていたし、実際そうやって進んで来るよりどころだったと、実感します。
たとえ、つたなくても、心のこもった言葉は、決して古びません。

ただ、これを読んであらためて気がつくのは、10年前の改憲論は、「国際的に責任を果たさないのは無責任だ」という論拠が主流だったということです。今それは、影も形もないと言っていいぐらい消えました。今日(昨日)も、博多駅前を憲法を変えろと訴える右翼の街宣車が走り回っていましたが、その主張はもっぱら「中国の脅威」でした。
憲法を変えろという主張の多くは、まさに泡のようにぶくぶく生まれては消えて行きます。結局残るのは、他国への恐怖と憎悪でしかありません。そこにはまた、自国や人類への不信と、懐疑と怠惰が欠かせず存在しています。憲法九条を守るということは、それらの恐怖や憎悪、不信や懐疑や怠惰と向き合って行くことでもあるのです。まめで、元気で、勉強熱心で、愛情豊かでないとつとまりません。せいぜい、がんばって続けましょう(笑)。

(以下が、アピール全文です。)

「むなかた九条の会」アピール


第九条〔戦争の放棄、戦力の不保持、交戦権の否認〕日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
②前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


 宗像に暮しているすべての皆さん。
 また、この紙を手にされた皆さん。
 これが、日本国憲法第九条です。
 「押しつけられた」「現実に合わない」などの理由をつけて、変えられようとしている条文です。


 この条文があることによって、この五十八年間、日本国民は戦争の名のもとに、人を殺し、殺されることをしないで生きてきました。
 それは、世界の動きや、人類の幸せに背を向けることだったのでしょうか?
 この条文がめざしているのは、私たちが他の国や他の人の苦しみに目をつぶって、自分たちだけの幸せを守ることでしょうか?


 この条文が求めているのは、日本が武力ではなく話し合いによって、あらゆる国と手をつなぎ、世界のすべての人々とともに生きる未来を築いていこうとする、苦しいけれど輝かしい努力です。
 この条文を生み出したのは、戦争で、かけがえのないさまざまな愛するものを永遠に失った、数知れない人々の、平和への祈りです。
 この条文を支えているのは、多くの尊い犠牲を払った戦争が、他国の人を苦しめる以外、何の役にもたたなかったという事実を見つめて、受けとめる、私たちの勇気です。


 アメリカが続ける戦争をはじめとして、世界各地に紛争は広がっていますが、一方では、平和をめざす具体的なとりくみも、世界各地でかつてないほど強くなっています。その中で、憲法九条をかかげて歩んできた日本の果たす役割も、ますます重要になってきています。
 日本を再び戦争のできる国にしようという動きは、世界の願いではなく、国民の意志でもありません。


 昨年六月、日本を代表する知識人九名が、憲法第九条を守ろうというアピールを「九条の会」の名で発表しました。私たちもこれに応えて「むなかた九条の会」を作り、同じ思いの方々と、憲法九条を守るために、どんな小さなことでもいいから、何かをはじめようと思います。


 マスコミや政治家にまかせず、私たちの命と、国と、未来のために、私たちに何ができるかを話し合いましょう。


                                  二〇〇五年三月一日

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カツジ猫