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アホかアホかアホかマジかマジかマジか

言っちゃ何だが私最近、こんなに怒ったことはない。

葉梨法務大臣が、自民党議員のパーティーのスピーチで、「法務大臣は死刑執行の書類に朝ハンコ押すだけで、それがちょっと昼のニュースに出るような地味な仕事で」とか言ったらしい。例によって「一部を切り取られた発言」と弁明してるようだが、一部にしてもジョークにしても、言っていいことと悪いことがある。

これが自虐っぽい冗談か謙遜になると思っているとしたら、そのセンスの低級さと救いのなさにも絶望する。腐臭がただようとしか言いようがない。

ローレンス・ブロックのミステリにちょくちょく出て来る、ゴルゴ13級の殺し屋か何かが、朝食の時に今日は人を殺して、その後買い物に行って、とか日常を語っているようなカッコよさでもねらっているのかしら、心のどこかで。身の程を知れ。最低だ。

「死刑のハンコを押す地味な仕事」ということばがかきおこす、嫌悪感と恐怖感に、こっちが死にそうになる。マジで。

いかなる凶悪犯だって人間だし、死んだらいいってものでもない。死んでつぐなえる罪じゃないこともある。冤罪の可能性だってある。人が、一人の人間の命を奪う決定をし、その作業を誰かが実行する。そういう数々の過程の中で、「殺してほしい」と言わざるを得ない気分になる事件の被害者も、裁判官も裁判員も死刑執行人も、もちろん死刑囚もそのゆかりの人も、それぞれに迷い悩み苦しみ、心をかきむしられ、のたうち回る。

その人たちひとりひとりの思いを人生を、何と侮辱した発言だろう。絶対に、許せない。

こんなこと言うのはまちがいだろうが、これまた最近めったにないほど真剣に私が心から祈ってしまうのは、この法務大臣がご自身であれ、ご自身同様に深く愛している大切な存在(こんな人にもそんな人がいるのだろうか?)の人であれ、命が失われる苦しみを一度十分に味わっていただきたいということだ。

何よりも救えないのは(やっとこさ厳重注意はした模様だが反応が遅い!)現政権というか自公政権の人々すべてに、この感覚があるのではないかということだ。かねがねいろいろ信じられなかったアベ政権以来のこの支配者たちの行住坐臥のすべてが、この発言と何ひとつ矛盾しないで、ぴったりしっくり重なることだ。

こんな感覚だから、災害で人が死につつある状況でも平気で宴会ができるのだ(たしか、あの時の参加者にも、その日死刑のハンコを押したばかりの大臣がいたのではなかったか?)。

こんな感覚だから、値上げで苦しみ日々の食べ物にもこと欠く老人や子どもがいるのに、どんどん増税を打ち出せるのだ。

こんな感覚だから、地震だらけの国の原発を、ボロくなっても使い続けようという法律を平気で作るのだ。

こんな感覚だから、自衛隊員や国民が戦争で死ぬ恐れを気にもしないで、憲法を変えよう軍備をふやそうと、ろくに検討もしないでいいかげんに決められるのだ。

こんな感覚だから、コロナの自宅療養で多くの人が苦しみながら孤独に死んでも、これといった対策を打ち出さず、しなくていいイベントに血道をあげるのだ。

彼らには、人の命への目配りも気配りも愛もまったくない。断言していい、それがかけらでもあれば、今回の法務大臣のような発言は出て来ない。思いつけもしない。葉梨氏はきっと日々こういうことを感じて生きているのだろうが、そんな感覚を、まともに人(動植物すべての命もだ)を愛して大事にする人なら、そもそも持てない。

厳重注意したって何したって、こんな人は変わらない。何が悪いのかもわからない。せいぜいが「まずい、選挙で票が減る」というぐらいしか考えられない。だからもうとにかく大臣も代議士も即やめてほしい。本当は人間もリタイアしてほしい。こんな立場でこんな感覚しか持てない人と、同じ地球の上にいるだけでも耐え難い。それほど私は怒っている。

そして、こういう人たちの集団に、自分の老後も国の未来もにぎられているという、恐怖と嫌悪と絶望と。私たちの命や未来がどうなってもいいと感じている人たちが、私たちの命運を左右する力を持っている。国や、世界の将来さえも。

あんまり腹が立ったから忙しいのに思わず、上の家の玄関に置いてあった、本をつめたダンボール箱に、古いカレンダーの絵を貼って、みばよくするという、どうでもいい仕事を朝からかたづけてしまった。

奥庭に咲き誇るバラにも、ちょっとだけ慰められた。

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カツジ猫