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オレオレ詐欺の気分。

◇沖ノ島の問題にしぶしぶ関わりはじめてなお、往生際悪く思ってるんだけどさ。

私、昔から横田めぐみさんのご両親とか、光母子殺人事件の夫の人とか、飲酒運転で子どもを殺されて飲酒運転撲滅の運動してるお母さんとか、見るたびに、もう絶対にどっかおかしいと思ってた。

いや、その方たちのしていることは絶対に全面的に正しいし支持し応援するんだけど、それでもなおかつ思うのは、こういう当事者の人に、死んだり拉致されたりした人以外では、一番の被害者である人に、こんな運動をさせるのは絶対にまちがってると思ってた。

◇そういう運動をして、事態を解決や改善やするのは、冷静な第三者であるべきで、そうでないと、関心ない人たちや反対意見の人たちを説得できるはずがない。
はずがない、というのは、できるわけないという意味じゃない。現にそういう当事者の方々は、ちゃんと立派にそういうことをなさっている。

でも、それは本当は無理なことだし、残酷なことだ。できるわけないことを、させているのだ。

そんな当事者の被害者は、もう、できることは泣きわめいて逆上して、自分をそんな目にあわせた人をののしって、胸倉つかんでたたきのめして、それを手伝ってくれない他の人すべてを呪って恨んで、憎んで、声の枯れるまで意味不明なことを叫び続ける以外に、したいことも、できることも、することも、本当はない。

◇でも、他の人は結局誰も何もしてくれなくて、憎みたい、呪いたい相手はぬけぬけ平気で生き残ってて状況は何も変わらないから、その人たちは痛みも憎しみも封印して、それを語るときも、効果を計算して冷静に加減して、無関心な人にも訴えかけ、状況を改善するためにどうしたらいいかを考える。

本来そういう人たちは、そういう仕事に世の中で一番不向きな心情と状況にあるはずだ。加害者を殺したい呪いたい、それかまた、いっそ許して忘れたい、そうしか思ってないはずだ、それしかできないはずだ。

でも、無関心な世間と反省もしない加害者は、それを許さない。嘆きと悲しみと憎しみと忘却の中に沈んでいることを許さない。一番したくないはずの、一番不向きな仕事を、その人たちにさせるのだ。

◇それは私も、その中の一人だ。横田さん夫妻や光事件のご主人や飲酒運転をなくす運動してるお母さんを見るたびに、私はいつも、ごめんなさいごめんなさい私がしなくちゃいけないことをあなたたちにさせてごめんなさいと心の中でくり返しながら、でも実際には何もできなかった。

それでも、こういう人たちに、こういうことさせる世の中も政治も絶対におかしいと思ってきたし、今も思う。本当に、その人たちにはせめて悲しみに沈むか怒り狂うかすべてを忘れて生きて行くか、そういう風にさせておいて「あなたたちは何もしなくていいです、私たちがしますから」と皆が言わなくちゃいけないのだ。皆がだめでも、せめて誰かが。一番傷ついている人たちを矢面にたててどうする。何と皆、卑怯者で怠け者で意気地なしなんだろう。

◇で、私が今していることは、それとは比較にならないほど楽なことではあるんだけど、基本的には似てるのよね。
先日、沖ノ島の女人禁制について私が書いた文章は、当事者の声である。言うとくが、女だから傷ついてるんじゃない。人間として傷ついているのだ。しかしとにかく、それは怒りをぶちまけた本音で、当然聞いた人も傷つくだろう。それは承知の上なのだが、いっぺんは言っておかないと誰にもわからないだろうから言っておいた方がいいと判断した。多分もう二度とは言わない。

そもそも沖ノ島の問題って、女人禁制だけじゃない。私にとっては最大だが、宗像市民にとってはむしろお金の使い方やものごとの決め方が一番問題になるだろう。だが、そういう大きな総合的なことも含めて、この問題をきちんと整理し討論し、まとめて行くのに私は多分、一番適任ではない。どういうか、ズートピアじゃないけど、一番血に飢えた肉食獣に上等のエサになる動物の保護をまかせるようなものだよ。食い殺したくてたまらない相手をにこやかに大切にていねいにお世話しなくてはならないわけで。しかも、時には「私はこんなに傷ついてます」ということも伝えなくてはならない局面もあるだろうわけで。

つまり私はナマな本音と、冷静な第三者の見解をどっちも持ちつつ、ことにあたらなくてはならない。宗像市長が沖ノ島を観光資源にするのか文化財保護が目的か、いっこうにはっきりしなくて、相手によって使い分けてるんじゃないかという感じで、それでもいいが最終的にはどっちかにしぼってないと、えらいことになると思うわけだが、こっちもこっちで、本来一致するわけも共存するわけもない姿勢を使い分けつつ、進まなくてはならない。

こういう当事者が行う運動の、うさんくささや居心地悪さは、きっとそこにもあるんだろう。誰だって横田夫妻や光事件や飲酒運転死亡事故の遺族の本音は知っている。バカでなければ誰でもわかる。それを静かに押し隠して、事態が少しでもよい方に向かうように訴えておられる態度が、決して本心ではなく、歯をくいしばって無理をしていることも誰もがわかっている。そうでなければ運動が進まず、多くの人の支援を得られないからそうしておられるということも。なのに、彼らに無理をさせている、嘘をつかせている、そういうことに目をつぶり、目をそらし、それどころか、少しでもその発言や態度にほころびがあれば、攻撃していちゃもんつけて、自分たちが関心持たなくていい言い訳を作ろうと鵜の目鷹の目、すきなくねらう。それほどまでに、そうまでしてでも、人の苦しみ、人の痛みに目をそらし背を向ける理由がほしいか。私も含めて人間は皆本当に、恥知らずのゲスだ。

◇というわけで、私自身の話に戻ると、まあしょうがないからとりあえず、いろんなことをやるしかないけど、わめきちらす被害者と、冷静な第三者と、どっちの立場も捨てないでいようとすると、もうもう何だか、一人何役かを使い分けるオレオレ詐欺をやってるような気分になる。いいけどねまあ。こういうことをする時は、他に方法なんてないのはわかってるから、あきらめてはいるんだけどさ。

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カツジ猫