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ゴミの中から。

◇最近カツジ猫が、例の脱衣かごを気に入りすぎて、朝から晩までそこで寝ているので、同じ写真しかとれずに困る。田舎の家に、昔ごはんがさめないように、おひつを入れていた、丸いわらで編んだかごがあるのを見つけたので、今度はあれを持って来てみようか。家はますます雑然としてくるだろうが。

その田舎の家の片づけだが、まだまだ先は見えないままに最終段階にさしかかって来た(何のことだ)。先日は、私がもの心ついて以来、玄関の壁の高いところにかかっていた、大きな鬼と、小さな天狗の面をはずして持って来た。何かこれをはずしたら、家が崩壊するか天変地異が起こるんじゃないかという気がするぐらい、ずっとそこにあったしろものだ。

母が、たしか数年前に、この鬼の面は誰だったか当時、家に出入りしていた人が(家族か親戚か知人かそれも忘れたが)買ってきたものだと何気なく話してくれたとき、私は何だか神にも出産記録が残っていたような、軽いようで軽くない衝撃を味わったものだ。
で、その二つの面をバスタオルにくるんで車に乗せて持ち帰り、上の家の伽羅館の玄関に飾ってみた。天狗の方は妙にばっちりだったが、鬼の方は悪くはないが、あまり存在感がない感じになっていまいちだった。
それで、もしやと思って、新しい小さい下の家(美尾庵)の台所(と言ってもワンルームなので、玄関を入った正面の壁で、神棚なんかも横にある)にかけてみたら、大変よく似合った…と思っているのは私だけかもしれないが。最近田舎の家から引き上げたものを、いろいろ詰めこみすぎて、私のインテリア感覚は異常になっているからな。

でも何だか、小ぎれいな小さな家具が入っていた台所に、それに代わって、祖父のばかでかいデスクと、この鬼の面が入ると、異様ななりに落ち着いた変な空間が生まれて、これはこれで悪くない。というか、どんなおしゃれな雑誌のモデルハウスでも絶対に出せない雰囲気ではある。

◇他にも昨日は田舎の家の台所の引き出しを片づけていたら、私の世代の人だったらなつかしくて死にそうなはずの、りんごの上からかぶせて八つに割る器具とか(さすがに、これは古くて曲がっていて、もう使えそうにないが)とか、折りたたみ式のプラスティックのコップで、ふたに磁石がついてるのとか、存在自体を忘れていたものがいろいろ出てきた。
これはそんなに一般的ではないだろうが、ガラスの小さいすだれのようなコースターなど、声をあげたいほど幼い私の記憶の中に埋もれていた小物もいくつか出てきた。これを見ると、その上に乗っていた麦茶を入れたコップ、うちわの風、そよくすだれ、ガラス戸の外の一面緑の麦畑、白い下着のシャツ姿の祖父、祖母のお盆を持つ手や横顔などが、ありありとよみがえる。

◇これはもちろん私の記憶にはないものだが、やはりゴミの中からひょろっと出て来たのは、叔父の板坂元の大学時代の試験成績票だった。と言っても、今の履修届のカードのような手のひらサイズの小ぶりなもので、一枚ごとにそれぞれの授業の担当教官の名と科目を記入するようになっていて、評価欄に甲や乙などの判が押してある。

叔父はケンブリッジ大やハーバート大で講師をして、アメリカに関する本も何冊か出し、墓もアメリカにあり、子どもたちもアメリカで家族を持っている。その叔父の「英語後期」という科目の単位が「乙」なのには笑った。担当教官は岩崎とある。
さすがにのちの専門となる国文関係は皆「甲」だが、のけぞったのは、その担当教官の名前で、「近世初期の小説」は市古(貞次)講師、「近世文学購読」は守随(憲治)助教授、「演劇歌謡資料」は長澤(規矩也)講師、「中世和歌史」と「国文学演習」は久松(潜一)教授(あと、「教育学概論」は上村教授だった)。ぞぞぞ。もはや今となっては歴史に残る大先生ばかり。いろんな意味で恐いよー。ちなみに昭和25年、私が4つの時です。

一応ホチキスでとめてありますが、その針もさびついてます。だいたいそのころホチキスなんてあったのか。誰かがあとでとめたのでしょうか。黄ばんだ紙の束を思わず持って来てしまいました。その内、リンゴのカッターやコップといっしょに写真でもアップします。

◇庭ではスイートピーが紫に続いて、赤とピンクも咲きだしました。グラジオラスも白い花をつけています。ああ、草取りをしなければ。

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カツジ猫