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家族そろって。

◇母の葬儀を無事すませて、昨日帰って来ました。
カツジ猫もグレイス猫もマキ猫も、元気で留守番をしていて、まずはひと安心しました。
年末の忙しい時期にご迷惑なことと思いつつ、母の地元でやった葬儀でしたが、「這ってでも行く」と言い張って来て下さった昔からの知り合いのご夫婦(不謹慎きわまることを言いますと、このご主人は昔、私をどこかの集まりの帰りにおぶって家まで連れて帰って下さったことがあって、まるでフランスの映画俳優のようなハンサムな方で、子ども心に私はとてもうれしかったのを今でも覚えているのだよなあ。あちらはそんなこと夢にも思っておられないでしょうが)をはじめ、いろんな方が通夜にも葬儀にも来て別れを惜しんで下さって、まるで皆が身内のような、なごやかで温かい集まりになりました。葬儀社の方から「花はどうしますか」と聞かれて「いやー、いりませんよ、ごくもうあっさりと地味にやります」と言っていたら、最期を迎えた施設からとんでもなく豪華なお花が届き、皆で棺の中につめるのに大変よかったです。

母は私がクリスマスプレゼントに買ったばかりの猫の模様入りのピンクの毛布に包まれて、よく着ていた馬の顔がついた紅色と紺のセーターと、叔母のだった花模様のスラックスを着て、葬儀の直前、私が田舎の家のがらくたの中から見つけてとっさに拾って持って行った緑と茶色の帽子をかぶり、何だかいかにも元気そうな、さあ今からやるぞ、出かけるぞという顔をして目を閉じていました。いつも着ていたカーディガンやセーターや靴下も、花といっしょに皆に入れてもらいました。

本当は私はこういう服やぬいぐるみや品物をいっしょに燃やしてしまうのは、何となくかわいそうで、叔母の時も花以外は何も入れなかったような気がするのです。叔父のときに私が買って持っていっていつもそばにおいていた、ぬいぐるみを棺に入れたと聞いたときも、残念な気がしたのを覚えています。しかし今回はそういうことも思わず、むしろ母にいっしょに連れて行ってもらうそれらの品々が、ちょっとうらやましい気がしたというのも、母の何やら安らかながらパワーにあふれた、その様子だったかもしれません。

◇お経を上げて下さったのは、母と毎回お盆のたびにおしゃべりしていた近くのお寺のご住職で、法話も慎ましく短くして下さり、葬儀社の方の司会も控えめで、弔辞もなしで、万事多分母の希望通りの淡白な葬儀でしたが、その分私の謝辞がけっこう長かったかもしれない(笑)。だいたい私は皆さんと、まあなつかしいと談笑していて、謝辞もどうかすると笑顔になってしまい、ハンカチすらも出さないままだったので、もしかしたらあきれている人もいるのではないかしらん。まあいいです。確信犯です。
原稿なしでしゃべったので、自分でも忘れない内に、またここにアップすることにします。

ちなみに、三浦洸一のCDも無事見つかり、葬儀社の方は式の前後にしっかり流して下さいました。それで気がついたのですが、きれいな声と昔ながらの品のいいメロディーは葬儀の席でもびっくりするほど違和感がなかったです(笑)。

◇横浜から急遽かけつけてくれた従姉と、93歳でもお元気な従姉のお母さんは別格として、「二人とももう板坂家の長老になっちゃったねえ」と言いながら、葬儀の夜、母のお骨を前に、田舎の家の片づけをしました。
かねがね従姉に頼みたかった、わが家の何代にもわたる写真やら手紙やらをいっしょに整理し、ごみ袋4つ分ほどを処分し、従姉も自分の家族関係のものをもらってくれたりして、ありがたかった中に、驚いたのは私が生まれた直後に、これという理由もなく成り行きで何となく母と離婚してしまった(これはマジにその通りで、数年前に母からその時の話を初めて聞いて私は、何とまあいいかげんな、もうちょっと深刻な事情で別れろよと脱力したものですが)顔も知らない父の写真が、がらくたの中から出て来たことです。従姉がいなけりゃ誰だかわからず私は処分したとこでした。
「母は、耀子ちゃんはお父さんに似ている、とよく言ってるよ」と従姉は言って、そう言えばたしかに似ていました。

「オリオン座がさそり座が沈んだら出てくるみたいに、母が死んだから出て来たのかしら」と、二人で大笑いして、母の遺骨の前に、父一人のと結婚式のと何枚かの写真を「ほれよ」とおいてやりました。
その夜は、その前で寝ましたが、夢にも出てこなかったから、二人とも特に文句もなかったんでしょう。
私の知らなかった当時の話も、従姉にいろいろ聞かせてもらって、何かと収穫の多い夜でした。

◇叔母が亡くなった後、私は叔母を喜ばせ幸福にするには、とにかく私が幸せでいればいいんだから、こんなにわかりやすく簡単なことはないと、いつも考え感じていました。
叔母はめちゃくちゃ私をかわいがってくれていて、私はそれがうるさくて、ずいぶんそっけなく冷たくもしていたのですが、叔母はそれでも一向に絶対に、私への愛をさましてはいないし、死んだ後に魂というものがもしあるのなら、彼女を一番幸せにするのは、私が幸福でいることだと、私はもう無条件に信じられたし、知っていました。太陽が東から昇るぐらいに、当然の、あたりまえのこととして。
そのことに私はときどき、自分でも驚き、こんなに迷わないでいられることが世の中にはあるのだと感心しました。

母の場合は少しちがいます。
私は母が死んだ今、母に守ってもらっているという意識がほとんど、まるでありません。
生きている時もそうだったように、母の魂もきっと私のことなど放っておいて、世界や他人のために何かをしようとしているでしょう。
墓参りをするたびに私は祖父母や親族や、先祖や猫や犬たちに、事故や病気や不幸から私を守ってねと頼みます。私がいつまでも元気で無事で、こうして皆の供養ができるようにねと祈るのだから、これは一種の脅迫ですね(笑)。
母にも一応頼むだろうし、母もまあその気にはなるかもしれないけど、絶対にきっと私のことなどすぐ忘れて、アレッポの市民や、アフガニスタンの子どもを助けに行っちゃうに決まっている。

する仕事もたくさんあるし、私はまだまだ元気でいたい。でも運悪く病気になっても事故にあっても、私はああどうせ母は私を守ることなんか忘れて、もっと苦しんでいる、もっと弱い誰かを救いに行っちゃってたんだろなあと確信持ってあきらめがつきます(笑)。祖父母や、他の親族や、猫や犬たちの方が、その点ではずっと私を必死で守ってくれるだろうし、叔母なんか生きてたときと同様に、そんな母に怒るでしょう。

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カツジ猫