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片づけてるんだって('';)

昨日ちょっと予告した、他愛ないうれしいことの一つは、もう何十年も使っていた蛍光灯が何度目かにこわれてつかなくなったのを、もう完全にだめもとで、なじみの電気屋さんに出してみたところが、凄腕のご主人が直してくれたらしいこと。創業祭に行ったときにそのうれしいニュースを教えてもらって、記念品の卵の大箱までいただいて帰って、もういいことづくめでした。

栄えある蛍光灯はこれ。永遠の別れかもと思って、電気屋さんに持ち込む前に、片付け途中の散らかり放題の部屋と、玄関先で写真をとったのですが、どうやらめでたくご帰還されそう。ありがたいことです。

ただし、いっしょに出した、これまた年代物の小さいクリーナーは、さすがにもはやだめだったようで、これがお別れの写真になりました。

もうひとつは、近所のお庭のユリの花が藪みたいに増えてるのをうらやましがったら、ご主人が「あげますよ」とあっさり数株、大きいのをわけて下さったこと。そちらのお宅から正面に見える場所に植えたので、枯らしでもしたら一大事と、少し元気がないようなのを緊張しながら見ていましたが、どうやら根づいてくれたようで、今日は普通に葉っぱもしゃんとしていました。「枯れたらいくらでもあるから、またあげます」と言って下さるのだけど、やっぱりいただいた方の目の前で枯らしたりしたくないもんねえ。咲いてくれるといいのですが。
去年の夏に滅びたわが家のユリのカサブランカも、一応小さい芽が出てきて復活してくれそうなんですが、今年の花は無理かな。実は私は去年の秋に、くやしまぎれにカサブランカの弔い合戦だと、あっちこっちにユリの球根を植えて、いくつかはにょきにょき伸びてきているようなので、いただきものと合わさると、案外ユリの多い庭になるかもしれません。

ご近所つながりの話題をあと二つ。やっぱりときどき私の庭の世話をして下さっていた、別のお宅のご近所のご主人が、不意に亡くなってしまわれました。家族葬で見送られたとのことで、ちゃんとお悔やみを言う機会もまだなくて、本当に急に体調を崩されたのか、ずっとお元気で庭先であいさつしていたので、まだそのへんを歩いておられるようで、実感がわきません。
もう何年も前のことですが、お子さんがまだ小さいとき、家の前の車の行き来が多いのを心配されて、手作りで注意喚起の標識を作って立てて下さったのが、今もまだ残っています。お悔やみもまだ言えてないのに変ですが、淋しいのとなつかしいのとで、ついしみじみ毎日ながめてしまいます。

もうひとつのご近所話題。私の家の横の空き地を管理しておられる不動産屋さんが、野良猫の餌やりをする人に困られたのか、組長さんとも相談されたのか、とうとうかなり厳しい表示を出されました。何とかいい方向におさまるといいのですが。これについては、もうちょっといろいろあるので、また書きます。

あ、今朝またラジオで、ウクライナの今後について専門家の人たちが話し合っていて、経済制裁と効果や、とにかく停戦が緊急課題だとか、しごくまっとうな討論で参考になりました。個人的に印象に残ったのは、ロシア軍の市民への残虐行為は、これまでにもチェチェンその他でなされていたことで、今回ヨーロッパに近かったから、それが明るみに出て、皆が注目したのだということで、専門家の中ではそれはもう常識なのか、反論も議論もなかった。

やっぱりなあという感じでしたね。私はキーウ近郊での虐殺行為が報道されたとき、とっさに「虐殺した市民の死体を隠しも隠蔽もしないで放置して撤退するなんて、ロシア軍はそれほどせっぱつまっているんだろうか、だったら敗北も近いな。もしそうではなくて、見つかっても騒ぎにはならんだろうと思っていたのなら、それもまた相当な堕落した国や軍になってるわけで、それはそれで絶望的だな」と思ったものです。「なぜせめて隠さんのかい」と不謹慎な感想になってしまうのですが。

そうしたら、最近になってロシア軍が市民の虐殺死体を隠すとか片づけてから撤退してるとか、隠蔽工作してるってニュースが出はじめて、「あ、やっぱりそうか。片づけはじめたのか。堕落してた方だったんだ」と、あらためて確認し、救われない気持ちになっていました。

こんなん、見られてもどうってことない、別に世間も世界も騒がない、と思いこんでしまうほど、たかをくくらせてしまった世界と自分に、すごく責任を感じてしまいます。自分に限って言うならば、旧社会主義国ということもあって、何となく好感や信頼が残っていて、見て見ないふりをしてきたのだなあと。結局、人にえらそうにいろいろ言ってる私こそ、現実と向き合おうとせず、そうすることで結果としては、あの国を見放してしまっていたのだなあと。

ほんのわずかな回数の海外旅行の体験のひとつは、友人と行ったシベリア鉄道の旅です。その時にモスクワやレニングラードで買った、安物のお土産のバッジがまだいくつも手元にあります。見つめていると何だか悲しい。宮本百合子の「道標」などの小説に描かれた、若々しくみずみずしい希望と、初めての労働者自身の政府の国という誇りとにあふれた、誕生して間もないソ連の姿を思い浮かべてしまいます。

タイトルに顔文字を使ったのは初めてかな。「あきれた」という意味の顔文字らしいけど。

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カツジ猫