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赤とんぼ

◎ゆきうさぎさん

赤とんぼは、こちらでも飛びはじめています。しかし私が子どものころ見たのに比べて、何やら色が薄いような気がします。もっとまっ赤ではなかったっけか。
お母さまの方は、その後いかがですか?

◎うちの初代猫のゆきの命日をあやうく忘れかけていて、大あわてして、写真を飾り、かんづめなんぞ供えました。
この猛暑なので、花をかざるのも花がかわいそうな気もするのですが、大きな白ユリがあったので、どかんと水差しに入れてテーブルに写真といっしょにおいています。
エアコンも入れない熱波の中、かすかなユリの香りも悪くありません。
カツジは横で寝ていますが、いたずらもしないのは、ゆきのオーラのパワーでしょうか。(笑)

◎いや~、しかし暑いですね。この夕方に外はまだ34度だそうで。
こうなったら、もう毛布やシーツをかたっぱしから洗濯して悦に入るしかないですね。

◎やらせメールの話が騒がれて以来、新聞の投書欄などで原発肯定の意見を見ると、皆怪しく思えてしまうのはこれはこれで困っています。(笑)
まあ連日の放射能関係のニュースを見るたびに、「これでなお原発を肯定する人が半数をこえるとか、どういうことなんだろう?」と正直理解に苦しんではいたのですが。

しかしこれは日の丸君が代の問題もそうだし、他のことでもそうなんですが、意見のちがいがあった時の、すりあわせ方とか議論のまとめ方とか、特に自治体に住民に反対されそうな何かを持ってくるときのやり方、やられ方(?)というのは、どうしてこう救いがないんでしょうか。
鎌田慧さんなどが六ヶ所村の話などで、よく言われる、原発を自治体に認めさせる過程で、地方自治そのものがめちゃくちゃに崩壊させられるということは、たしかに原発が典型的でしょうが、基本的にはその他のことでも、おおむね同じ図式のような気がします。

町内会でも大学の教授会でさえも、多分株主総会でも、議論があると「失敗」「失政」と即、直、とらえてしまう。いかにして、全員一致のシャンシャンで挙手や質問もないまま議事が進行するかに、上に立つ人たちが必死になる。
その一方で、大学の授業とかではサンデル教授もどきの対話の重視を平気で政府も社会も肯定しているし要求する。私の頭が変なのかと思うぐらい、まっさかさまの価値観が、あっちこっちでつぎはぎに存在している。たのむから、もうちょっと整理してくれ。

いや、私など、在職中、自分が司会をする教授会でも委員会でも、質問も意見もなくすうっと原案が通ると、絶対に不安で不満だったがなあ。あとでこの教授会や委員会の名で外部に出したとき、皆からたたかれるような可能性のあることは、ここで全部考えて討論して、提出する案をみがいて、きたえておかないとヤバいといつも思っていたがなあ。

それを、対立をさけ、究明をさけるから、原案がゆるいまま、ぶわぶわのままになって世の中に出て行き、それを守ろう、通そうとするから、今度は硬直して強引になって、アホな限りの工作や強制に走ることになる。

そういう対立を恐れずに信念をつらぬく思想、宗教、信念を持った団体や個人が時にものすごい力を持ってしまうこともあって、時にはそれがまずい結果を呼ぶこともあるが、それも、そういう集団が悪いというより、そういう人たち以外に、「和をみだし」てもかまわないという価値観や美学を持っている人が、ほとんどいないということの方がよっぽど罪が深いし責任が重いと思う。

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カツジ猫