弟たちへの手紙(6)

友情を語る 永井美和から永井清高へ

どうやら、あんたはおせじにも、模範的な友だちではなさそうね! もっとも、あたしの弟だから、無理もないかもしれないけれど!
 あたしは、昔から、友人に、まじめな相談をもちかけられるのが苦手でした。何ていっていいか分んなくなるのよ。何となく、思ってるとおりのことを言ったら、相手を、とてもびっくりさせてしまうんじゃないかという気がしてしょうがないの。それでなくても、悲しんでる人や、不幸な人とは、あたし、あまりつきあいたくありません。あたしが人とつきあうのは、笑うためで、泣くためじゃないわ。
 あたしが友人を作るのは、何よりもまず保身のため―自分の地位の確保のためよ。世の中にはうるさい人が多くて、一人ぼっちでいると、人間的にどっかたりないように言うじゃない? そんなのうるさくてやりきれないもの。特定の友人が一人いると安全だし、何かと便利なものだわ。
 それにあたしって、人間的に、はなはだ不安定でしょう? 一人で生きていたら、きっと、ものすごいうぬぼれ屋か誇大妄想狂か、キザな聖人君子か、とにかく決してまともな人間になろうとは思えないわ。その点、いつもそばに誰かいたら、その人の反応をみて、ははあ、まだあたしは、まともにしゃべってるらしいわい、って分るじゃない?
 だから、あたし、気のあう人とかあわない人とか、まずいないのよ。かえって、どんぴしゃり気のあう―というかタイプの似た人だと、二人っきりで別の世界を作ってしまいそうで、不安ね。できれば、私と全く別の世界で活躍してる人がいいな。もちろん、共通の世界も必要なんだけど。
 とにかく、どんな人とでも、ウマをあわせていける自信は充分あります。もし、うまくいかないときは、あたし自身の生活にどっかガタがきているせいで、性格の不一致なんかではないわ。そして、どんな人とつきあっても、あたし、損したとか、がっかりしたとかいう経験はありません。
 小学校に入る前から今日まで、特定の友人がいなかった時期なんて、あたしには一日もなかったといっていいわ。この人と友人になろう、と決めたら、まず必ずなれたし、長つづきしたわ。それで、損をしたことが一度もないというのは、あたしの要領のよさかもしれないし、冷たさのせいかもしれないわね。あたしは、自分の友人に、真実も、献身も、愛の告白も、一切要求しなかったわ。友人が立派になることも賢くなることも望まなかったわ。あたし自身に似ること―うれしかったけど、それも、それほど望みゃしなかった。あたしはその人たちに、あくまでも、その人自身であってほしかったの。あたしがあたし自身であるようにね。
 相手を見てること、相手を知ること―それが、あたしには、楽しかったの。一人の人間とじっくりつきあうってことほど、面白くって、ためになることはないんじゃないかしら。あたしにとっちゃ、一人々々が神秘で、謎で、すばらしかったわ。くだらないなら、それなりにね。よっぽどのことがない限り、その性格に、こっちが口を出したりはしたくなかったのよ。
 でも、それだけに、あたしには、そっけなさ、いいかげんさがあったの。たとえば、相手があたしより成績が悪かったりしたとき、何か手伝ってやろうなんて、まるでせず、たのまれればノートをかして、写させたりしてね。でも、今考えてもあれより他のことってあたしにはできなかったみたいだわ。
 とにかく、望まれるものは与えた。でも、あたし自身は与えなかった。あたし自身ってーあたしの思想、かもしれないわ。そんなもの、知らせたくなかったもの。そんなものを知らせて、相手があたしの前でのびのびと生きてくれなくなったら困ると思ったの。軽べつされるのはいやだった、でも尊敬されるのは、もっといやだったわ。
 そう、どっちかといえば、あたし、友人には、軽べつされていたかった! あたしなんかを、眼中におかず生きててほしかった。そのかわり、友人以外の人には尊敬されていたかったのよ。いいかえれば、あたしの思想は尊敬して、人格は軽べつしていてほしかった。更にいうなら、思想においては、あたしは傲慢、強情、潔ぺきだったけど、人格ーすなわち、日常の生活態度においては、すなおで謙虚で臆病だったー少くとも、そうあるべきだと思い、そうありたいと望んだわ。そして、前者においては、自分の実力をたかめ、決して他人にひけはとるまいと思う一方、後者については他人のいいところをすべてとりいれ、どんな妥協でも、平気でしたわ。
 でも、それはもちろん、はっきり区別がつくもんじゃなし、互いに影響しあいもするし、よく混乱がおこったわ。特に大学に来てからは、あたしの思想は皆の知るところとなったし、その方面であたしと太刀うちする人もふえてきたものね。それにつられてあたし自身もいっぱいごまかしをしたわ。
 でもあたし、このごろ気づいた。思想が貧しいからって、それにあわせて、人格まで貧しくすることはちっともないんだってーたとえ、正しい貧しさであってもよ。あたしの思想に深みや広がりがなくっても、それは、あたし一人でみがいていく他どうしようもないでしょうけど、あたしの性格まで、それにあわせて、自分一人のものでやりくりしなくちゃならないなんて、とんでもないことだわ。
 いいえ、思想にしたって、ほんとはきっと、そうなのね―自分一人のもので、やりくりしようとしちゃいけないのね。相手が恐がる心配がない限り、見せなくちゃ―というより、相手の思想を知らなくちゃいけないんだわ。
 謙虚な気持、相手に軽べつされてもいいから、のびのびさせてやろうという気持を、とり戻すことが必要なのかもしれない。
 民青がいけなかったわ―もっとも組織じゃそうする他ないのかしれないけど―ノンでなけりゃ、ウィになるんだもの。あそこで初めてあたし、思想をあらわにしたら、恐がられないかわりに、いいかげんに片づけられちゃうって心配をしはじめちゃったのよ。それ以来、思想そのものを出さず、人格に思想の代弁をさせてきたのね。
 あたし、もう、これからは、友情の面じゃ、徹底的に妥協しようと思う。そうしたらかえって、自分の中の、どうしても妥協できないものが明らかになってくると思う。自分のことは忘れたい。もっと他人に興味をもって、軽べつされてもいい、他人をよく見たい。

人間の歴史 高倉真弓から高倉浩へ

私は、もし、神さまか、他の宇宙人か何かがあらわれた場合、人間の歴史について、特に自慢はしないまでも、決して恥じようとは思いません。人間がこれまでたどってきた歴史を見るとき、そこにどんなに醜いもの、こっけいなものがあろうとも、私は少しも苦にならないのです。それをなじったり、悔やんだり、ため息をついたりする気にはなれません。
 人間の歴史が、あやまりの歴史であり、堕落の記録だったとは、よく言われることです。ある人々は、それを、アダムとイヴがリンゴを食べたからだといい、ある人々は機械文明が発達しすぎたからだと言います。資本主義があらわれたからだという人さえいます。
 そして、そういう人たちは、絶望して、ゆううつになったり、あるいは、そういうあやまった歴史に、自分たちの手で終止符をうって、新しいスタートを切ろうと、はりきっているかにみえます。
 どっちも似たようなものだと思わざるを得ません。私は、人間を、そんな風に考えることはできません。それは、人間の歴史のなかにも、正しいことがいくつかはあったから、絶望しない、というのでもありません。過去の歴史の中に、現在の私たちの心に共通するものがいくつかあったということを、さぐりあてることは、たしかに重要なことです。しかし、それにすがって、人間に希望をもつなどというのは、私にはばかげてみえます。
 人間の歴史を、現在の私たちの倫理道徳の基準ではかって、その価値を云々するのは、無意味です。そんなことにかかわりなく、人間の歴史はあったのであり、それは否定はできません。
 私が人間に希望を持ち、人間の歴史に満足し、人間の未来を信じているというのは、いいかえれば人間にあまり大きな法外な期待はかけていないということでもあります。実際、それほど信用してるわけではありません。人間が意志を持っているということを、さも、大そうなことのようにふれ回す哲学者がいますが、私には、それもあまりぴんとはきません。たしかに人間は意志を持っています。しかし、それは、あまり大した力を持ってるようにはみえません。人間の歴史は、むしろ、人間の意志以外のものに、大きく動かされてきたように見えます。それは、では、神か、というと、そうもいえません。たとえ無意識であれ、そのふしぎな力は、やはり人間が生んだものだと思います。
 私が人間の歴史をみて、いつも結論として、嘆息とともに感ずるのは、「なるようになるもんだなあ」ということです。特に、うまい具合にことが運んでいるというわけでもないのだけれど、とにかく、ちゃんと、そうなるべくしてなって、落着くところに落着いてるように思えて、感心すると同時に、安心します。
 そういう風に人間の歴史を、あっちこっちでしっかり支えているものは、「人間が生んだもの」といいましたが、つまりは、人間の他への働きかけ、それによって生じる結果、そういう「現実」だと思います。それは、人間の感情や意志に、否応なしに働きかけ、それをかえていきます。そのような「現実」を人間は、どうそれに目をふさごうとしても、結局は認識せざるを得なくなるし、認識した人々は、それによって、自分の生き方をきめていかざるを得なくなります。
 人間はその「現実」を、ごく少しずつとはいえ、世代を経て残していくこともできます―つまり、「現実」の認識を。すでに、自然に関する迷信は、表向きはほとんど消え失せました。科学的な知識が一般間に、どんどん広がりつつあります。やがて、社会に関する迷信も、多くの実践と現実のなかで、消えてゆくでしょう。人々は、科学的な社会の法則をつかみ、それを運用して生きていくようになるでしょう。そして、やがて、人々の議論は、もっと微妙で複雑な―たとえば、人間の諸感情などについても、かなり「客観的な共通の真理」を見出し、それを、もっと大々的に、社会的な運動として、運用していけるようになるかもしれません。そうしたら、そのうちに、きっと、この世の中には、悲しみや怒りの感情がなくなるかもしれません。それでは味気ないから、少し残しておけという主張をする人が出るかもしれないし、それとも、そういうものがなくなったら、人間は、もっと面白く微妙で味わいのある、今の私たちには思いもつかない新しい感情をかわりに、もつようになるかもしれません。
 ところで、人間の歴史が他の動物の歴史と比べてどうちがうかということですが、少くとも、人間が、万物の霊長だとかいう気は、実感としてわきません。動物の歴史に発展がないというけれど、犬だって、オオカミから、飼いならされて番犬になるまでの歴史はあるはずです。よくいわれている、火と道具とことばの使用―それ以外にもそれ以上にも、人間を他の動物とわける区別は、私は知りません。それが決して、人間を軽べつすることには、ならないはずです。

人生の価値 新田京子から新田麻巳へ

人生に、これといった意味はない。昔から私はそう考えていた。そういうと多くの人たちがあわて出して、神とか、人間の偉大さとか、愛とか、真理とかをときはじめる。その人たちの誤解をとくめんどうさもあって、私は次第に妥協した。そのため、私の心の中で、今、「人生に意味はない」ということばは、はなはだいいかげんで、どうでも解釈できる影のうすいものになっている。この手紙が、どんなに長いものになろうと私は自分の心の中で、あのことばの鮮烈さを、再びとりもどしてみようと思う。
 私が「人生に意味はない」といわば凱歌をあげ、解放の喜びを味わったのは、高校二年のころだった。それが、それほど、私にとって喜びだったのは、私がそれまで「意味ある人生」を送ろうと、四苦八苦していたからである。「意味ある人生」とはどんなものか、私に分っていたわけではない。それは、名声をかちえることかもしれなかった。人を愛し愛されて神のように生きることかもしれなかった。いずれにせよ、私自身にとって意味があるというよりは、むしろ、何か、私からはなれた力、あるものの目によって、意味があると認められるところの人生であった。たしかに、それは、神というよりは、むしろ世間の目だったろう。いや、神の目のあることを、神の目そのものを信じられなくなった私が、よりきびしく、複雑な世間の目の中にさらされて動きがとれなくなっていたということだったろう。
 世間の目! それは、さまざまな意味で、つねにきびしく私をしばった。私は友人たちの私に関するうわさ話に決して無関心ではいられなかった。無関心でいるべきでもなかった―と今でも思う。世間の声に耳をかたむけることは、私にとっては、いい薬だった。だが私は、その声の内容を取捨選択する力はなかった。そして、私が、世間の目を気にし、それのみを標準にした生き方をはね返そうとしたとき、いわば世間の声を知りつくして、くみ上げられるものをくみつくしたとき、新たに自分自身のものを、世間にむかってかえしていこうとしはじめたとき、その決意と自信は、私に「人生なんて意味がない!」ということばを叫ばせた。
 人生なんて意味がない―それに続くことばは、こうだ。だからどう生きようと、かまわない。心配するだけ、ばからしい。失敗したって何だというのだ。せっぱつまれば、死ぬだけだ。どうさわいでみたところで、一人の人間にそれほどいいことも悪いこともできるものではないのなら、思う存分、やりたいことをやるまでだ!
 だが、もしも私が本当に心からそう思っていたなら、なぜ私は、口ではそんなことを言いながら、なおいつも自分の思想に忠実であろうとし、ときには度がすぎるほどかたくなに、自分の信念を守りぬこうとしたのだろうか? そうしたかったから、それが好きだったから、したのだ、といえば、言いわけとしては通る。だが、そうではなかった。決してただそれだけではなかった。第一、私は、自分の信念が守りぬけるというたしかな自信のないときには、絶対に、人生に意味がない、とは言えなかった。いくら口では人生を無視しても、実際にはすべての人に認められる生き方をしなければ、安心していられなかった。それはなぜか。私は何を恐れていたのだろう?
 正確を期して考察するひまはない。わかるところからさぐっていこう。ここに、一つの手がかりがある。私は、自分が好きなように生きているつもりで、実は他人の思うつぼにはまって生きるということを、極度に恐れ、また憎んでいたということだ。しかも、それが単なる感情としてでなく、一つの信念にまでなっていったのは、「人生なんて意味がない」と叫んだころからだったということだ。そう叫ぶことは、私にとって、他人の手から、自分の人生を奪いかえし、自分のものにすることだった。だからこそ、奴隷が、小作人になって自分の土地をもちはしたものの、やはり主人の麦を作っていたように、せっかく自分のものになった人生が、実はかりものであり、名目だけのものであって、やはり、他人を―友人や家族ですらない、どこか遠くの強い他人を助けるためだけのものである、と考えることは、たまらなかった。(たとえば私がニヒリストやエピキュリアンであることが、この世界に戦争をおこそうとしている人たちを、結局は助けることになると考えると、私自身にとって意味のない私の人生を、勝手に使われてたまるものか、という気になるのを、どうすることもできなかった)
 あるいは、それも、ロマンチシズムにすぎなかったろうか? 人間の主体性とは、それが客観的にどんな結果を生もうとも、やはり厳として存在するのだろうか? いずれにせよ、客観的な事実はこうだった―いかに、人間が自分の手の中ににぎったつもりでいても、しょせん、個々人の人生とは、何かにささげられる面を持っている。我々にできることは、せめて、かすめとられない前に、自分の主人をえらんで、それにささげるしかない。
 私は、その事実を認めた。そして、自分の貢物をささげた。だが、どれだけを納めればよかったか?
 選挙の一票。求められたときの意思表示。迫られたときの抵抗。そのような受身のたたかい、自分の城でくらしていて、敵がせめてきたときだけ、き然としてはじきかえすたたかいは、しかしまた言いかえれば、決して負けられないたたかいででもあった。どのようなみじめな結果になろうとも、自分の良心の自由については、一歩たりともひけをみせられぬたたかいであった。やりなおしがきかぬ、防戦のみのたたかいだった。自らが主導権をとったたたかい、負けも勘定に入れて、究極の勝利をめざすたたかい、二度と敵がおそってくることのないような日をめざすたたかい―それを、徐々に私があこがれはじめたのは、当然ではなかったろうか? 票を投じることから票よみへ、意思表示から相手の説得へ、抵抗から攻撃へ、私が転じていったのは、自然といえないだろうか?
 人生に意味がないと考えるとき、私が思い描いたのは、自分の一生がはてしない時間と空間の中へ、悠久の自然の中へ、とけこみ、還元されてしまう姿であった。そのようなものと比較するときのみ、私の人生は小さくみえ、私はつつましく、心安らかになることができた。だが、私の人生を、人間の手にまかせることは、私には、がまんができなかったのだ。大いなるもの、永遠なるものの中に、自らをかえそうと思えばなおのこと、自分を回りのものに結びしばっている、あらゆる絆を切りたかった。それができぬならせめて、回りのものを、ひきずれるだけの力がほしかった。そんなことは考えの遊戯にすぎず、かりに私が他人に自分の人生を利用されたとしたところで、どうせ、その人だって、人類全体だって、すべてほろびさる運命ではないか、といえるのだろうか? そこまでは、私はまだ謙虚になれない。なるほどそういうこともあるだろうが、少くとも、自分のきらいな他人のために、自分の人生をささげたくは決してない。目的次第では、利用されても困るとばかりいうわけではないが―。
 いや、もう一つ、いうことがある。私は、自分の人生を、他人に利用されてもかまわない。だが、自分で、そのことを知っておきたいのだ。もしかしたら、それを、本当に知りぬいたら、私は意外と平気で他人に自分の人生を、ひきわたしてしまうかもしれない!
 自分の人生の利用価値―それを、自分で知ることができるかもしれないと考えるのは愚かなことだ。だが、私は、ときどき自分がまさに、それをたしかめるためだけに、生きているような気がすることがある。自分の人生が、どれほどの価値あるものか、てんで分らないからこそ、私は生きているのだと―そして、その価値を、すべてを、はっきりと見きわめてから、惜しげもなく、他人の手へでも、自然の中へでも投げすててしまうために、私は今、生きているのだと―思うことがある。
 そんなときがくるかどうかは分らない。だが、私は、できれば来てほしいと思う。
 「人生に意味はない」ということばは、せいぜい神と世間から私を切りはなして、自由にし、人生そのものを、私に与えてくれたにすぎなかった。私自身から私を切りはなし、私のものとなった人生を、私の手から投げすてるためには、いったい何が必要だろう?
 今、自らの思う信念にしたがって生きながら、しばしば私は宇宙の無限などを思い、自分の死や、それによって消え去る一切を思って、おそろしく気が楽になることがある。だが、かつてのように、それだから好きなように生きてやる、ということばは続かない。そのことばとうらはらに、同時に生まれてきていた、たしかに自分の良心を守ってみせる、というひそかな決意も生まれない。それは、現在の仕事の困難さから出ているのならいいのだが、そうとばかりもいえないようだ。死ねば、すべてが終わるのだ、私のすべてが消え去って、無へ帰るのだ、―その実感は、かつてより、ずっと強く、大きなものとなってきている。人生は無意味だ、ということばは、今、新しい意味を加えて私にせまってきている。
 それをさけようとは思わない。だが、これは、結論を急ぐべきことがらではない。これまで私の生きてきた道すじは、自分を殺して他人にばかり支配されていた、その支配をひとつひとつふりきって、私という人間が作り上げられてきた道でもあった。その誇りにみちたたたかいの戦利品ともいうべき、私自身を投げすてることは、たしかに、私の最後のくびきをふりきることになるかもしれないが、ただ、あまりに早すぎるような気もする。それによって何が得られるかも、私はまだ分らない。―何も得ないことこそが、必要なのかもしれない。

編集後記にかえて 棟方梨恵

これは、私たちの、大学四年間につかんだものの、すべてとは言えないにしろ、その大部分である。
 私たちは、これをかきおえ、まとめおえた今、心から、この仕事をしてよかったと思っている。勉強の遅れなどにはかえられない。
 なぜなら、これをかき、又よんで初めて、私たちは、自分の大学生活が無駄ではなかったことを知ったのだ。私たちの多くが、やはり、それなりに、せいいっぱいに生きてきていたことを、この記録は物語るだろう。
 多くの筆者が、めまぐるしい活動の中で、自分自身を失っていたこと、妥協を重ねていたことを反省し、もう一度自分を見つめなおし、真実を求めることを宣言しながらも、自分たちの経験を有益だったとし、新しい考え方のいくつかをつかんでいるのが注目される。しかも、その一方では、早くも、自分自身からの解放まで語られ、この問題はこれからの私たちの大きな課題になりそうだ。
 時間もなく、かきおろしの文章のため、つかみにくいところも多いと思う。内容についても、批判、軽べつすべきものがたくさんあるかもしれない。それでもいい。これは、現在の私たちがさし出し得る、せいいっぱいのものである。

                   1968.8.31.発行

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