弟たちへの手紙(4)

芸術と僕たち 真野幸生から真野芳生へ

芸術ということで、いやでもすぐ僕が考えるのは、才能、天分ということだ。いかに刻苦練磨しても、それだけでは芸術家たりえないとは、よくいわれることだが、それは本当だろうか? おまえが迷ってるのも、つまり、そのへんのことなんだろう?
 自分に才能がないということを知るのはいやなものだ。もっとも、才能とは何だろうね。本当の芸術家というのは、ふつうの人間とどのくらいちがうものだろう。そして、ふつうの人間というんは、この世の中に、どれくらいいるのだろう?
 おまえは言うかもしれない―才能のあるなしなんかどうでもいいんだ、とにかく僕は描きたいんだ、って。それは大切な気持だ。でも、よく分っていてほしいよ―それは、あくまで、それだけのものなんだってことをね。
 いったい、芸術って、自分の想像意欲だけで、できるものなんだろうか? 「人に見せたい」「何かを訴えたい」という欲望は、創作に、どれだけの比重をしめるだろう?
 おそらく、その欲望は、欠かしてはならない要素だろうけれど、では、大衆の審美眼というか、鑑賞力というか―僕らは、(といって、僕も大衆の一人だけれど)それを、どれだけ信用すればいいのだろうか?
 鑑賞のこつ、というものがある。それを知らねばならない。そのへんでやせがまんをしないでほしい。でも、そんなこつを知らないでも、各時代の民衆は、自分たちの芸術を育ててきたではないか、とおまえは言うだろう。けれど、まさに、その、昔から今にいたるまでの、民衆の心を知ることが、鑑賞のこつではないかと思う。
 あらゆるすぐれた芸術は、人の心に訴えかける何かをもつ。その訴えかける部分が、人間の本質にふれるものであるだけ、共通の感激をもつ人々の数はふえる。だから、自分自身の心の奥をのぞきこみ、他の人と共通するものを見出して、表現するということが、すぐれた芸術を生むことに、つながっていくのかもしれない。時代によって、その共通する部分は複雑になり、共有の喜びもするどいものになっていく。
 だが、それは、相手への迎合になってはならない。不特定多数を相手とする迎合は、不可能でもある。それをしようと思うならば、絶対に共通するとわかりきっている、すでに何度も証明ずみの部分を、くりかえしあらわすしかない。富士に桜の絵、セックスを描いた、それも週刊誌的小説、メロドラマ、―それは、一定部分の人々には必ずうけ入れられる。時代的成約を、そのつどとり除いて新しくしていけばよい。富士の下にハイウェイをかき加え、枕もとの行燈を、蛍光灯にかえればすむ。だが、それだけをくり返していると、新しい時代と環境が人々に与えた新しい心の動きを、人々は、共通のものとして確認してゆくことができない。人々は、それを求めようとする。しかし、芸術家は、求められるものに応じて作るのではない。人間は、すべて共通のものを持つと同時に、あらゆる他人とちがっている。芸術家もやはりそうでしかない。他人と共通するものを、彼は、あくまで自分をとおしてあrわすしかない。永遠なるものは、彼というつかのまの個人の中に具体化される。彼は自分を使うしかない。自らの経験、感情、欲望、だけが彼の武器だ。彼が創るものが独自であればあるほど、それは万人に通じ得る。
 おそらく、才能の有無というのは、その、永遠なるものを、自らを通じて表現し得るかどうか、というあたりにあるのかもしれない。同じ人間である限り、ましてや、同じ時代に生きる限り、共通の感情は、誰でも持っている。それを表現することも、さほどむずかしいことではあるまい。しかし、それを、頭から手へ素通りさせずに、一度全身を通して、自分自身のものとしてくみ出していくこと、それが一番やっかいなことのように思える。

創作が与えたもの 土屋信子から土屋陽子へ

もし、小説をかく、ということがなかったら、私の性格や生活は、かなりかわったものになってたかもしれません。かきたい、という欲望は、今では私の中で、かなり根本的なものとなっています。
 実は、高校のころまで私はそれを公認しませんでした。小説はあくまで片手間にかくべきものだと思い、不まじめな手なぐさみとして位置づけていました。自分にそれほどの力があるかどうかも分らなかったし、第一、私には、書くことがなかったのです。思想、といってもいいでしょう。
 私は自分の描写力、表現力に関しては、今もってあまり自信がありません。特に、その方面での努力をこの数年間―というより生まれてずっと―やってないからなおさらです。ですが、構成というか、筋立というか、とにかく嘘のつき方については、誰にも負けない自信がありました。現実をありのままに描くよりは、勝手気ままな空想を走らせる方が好きでした。もっとも、それはある点では無理もない―私は現実のものに感動をうけることは、ほとんどなかったのです。私の回りの景色は、美しかったけど、平凡なものでした。私の回りの人々は、私にとって謎でした。だって私は、お嬢さん扱いされてて、世の中のことは、全く何も知らされなかったし、大人の世界には足もふみ入れさせてもらえなかった。私もmた、自分の分を守って、子供らしくしているという―最も子供らしくない分別をもっていたから、なおさらでした。私の回りには「驚き」がありませんでした。
 だから私は気ままな空想を走らせながら、ちょうどロビンソン・クルーソーを読んだ少年が海にあこがれると同じように、さまざまな「現実」にあこがれていました。大人の世界、一人前の現実の世界の中にふみ入るときを待っていました。本当に、おませのように見えて、私はどんな子供よりも世間知らずだったんです。
 小学校、中学、高校と、私は現実の世界にふれて行きました。それは、必ずしも楽しい世界ではなかったけれど、私は失望しないように気をつけました。どんなに汚れて、せまくても、それは私に与えられた唯一の海でした。そこを、せいいっぱいに探検すれば、やはり、ロビンソンと同じ、海の喜びが、どんなかたちにしろ得られるはずだと信じていました。私はそのときはまだ、小説をかく気はありませんでした。現実を知り、その中で不可能なことを次々と知っていくとき、はじめて私は、その不可能な夢を小説の中で実現させようとしはじめたのです。そう、これだけは、はっきり言える―私自身が、現実に、達成できるという可能性が万分の一でもある限り、小説をかくより先に、私はそれを実現させるための行動にとりかかったことでしょう。
 幸か不幸か、私の夢は大抵実現不可能なものばかりでした。そんな夢を、ほとんどいつでも、一ダースばかり私はもちあわせていました。その不可能の原因をさぐりあて、それを小説の中で、さまざまな手段によって消し去り、実現させてはその結果を検討してみること―自分にできなかった体験を、小説の中でしてみること―それが私の創作でした。
 だから、私の創作には、現実をそのまま描いて満足しているものがまずありません。たとえ、その現実がどんなにすばらしいものであれ、私はそれに没頭しきることがありません。風景のすばらしさであれ、人の心の美しさであれ、それを、それだけを描くことは、意味のないこととさえ、私には思われます。そんなものは、実際につれて行って見せるなり、自分自身の心をみがくなりすればいいことではないかと―無茶な理屈かもしれませんが、これは私の本心です。実際、そういうものがあるならば、あるというそのことだけで、もう充分ではないかとさえ思うのです。
 しかし、私の創作態度がそのようなものである限り、私はいつでも、現実に自分の夢の達成に努力していなければならず、常に片手間の創作たることを、まぬがれないのかもしれません。私はそれでもいいと思っています。
 私にとって実現不可能な夢は、他の人にとっても、そうでなければなりません。私の作風からして、これは絶対必要です。私にとって鉄棒で逆上がりすることは、実現不可能な夢ですが、これを可能なこととして、小説にかいたところで、大して珍しくはありません。もっとも、鉄棒競技で一高校生がオリンピックに出る、となると、そういう記録はあまりないから、それなりに訴えるものもつよくなるかもしれない。しかし、その場合、私と、その小説との間のギャップは大きくなります。それを、資料でうめるという条件にまだ恵まれない私としては、ギャップを覚悟で書くしかない。そういう創作も、私はいくつかしています。それでも、私は、鉄棒逆上がりよりオリンピック出場を描く方が、ましだと思っています。
 しかし、そのギャップを少しでもつぢめ、きめのこまかい嘘をつくためには、私が自分の夢に最も近い現実を、充分生きぬき、多くの人と共通なぎりぎりまでの可能性をきわめなければなりません。そのためには、今の私には片手間の創作をするしかないのです。自分自身を資料とするしかないのです。
 夢へのあこがれが非常につよい場合、それはしばしばギャップを克服することもあります。またあべこべにギャップのない、きめのこまかい夢は、実現可能性がかなり強いだけに、魅力的です。
 他の人たちが、どのような気持で小説を書いているのか、私は知りません。あまり、考えたこともありません。私は、もしかしたら、自分の夢にまさる現実に、まだぶつかったことがないのかもしれません。一方では、現実にまさる夢を常にもっていたいというあせりが自分の中にあるのにも気づいています。私は自分の夢を、現実とぶつかって砕けさせたくない、創作の中で、現実とゆっくりつきあわせてみることによって、私自身の手の中で、処理していきたい。
 私の夢とは、では何か、それはときどきにかわってきたし、一口には言えそうにないけれど、とにかく、それは、現実に密着しており、平和とか自由とか、そういうひとつのことば、理念ではなかったようです。あるいみではそのときまかせの衝動的なもの―だからこそ本ものだったともいえるかもしれません。

受験は敗北か 清原昇から清原路子へ

路子、受験は敗北じゃない。たとえどんなに受験制度を認めないからって、他に方法がないからと受験するというのは、それは、敗北じゃない。
 だが、僕自身、迷いがある。僕も今また一つの敗北をしつつあるからだ。この敗北は君のより、もっとよくない、と、君は言うかもしれない。
 簿奥は、知ってのとおり、入党している。党員としての義務もある。それを僕は、今、放棄したかたちになっている。いや、今はまだいいとして、この休み前、自治会執行委員という立場にありながら、僕はそれをサボり、文自治会は、トロに敗北した。
 僕が苦しんでいるのは、自分のプライドが傷つけられたからではない。皆の目が恐いのでもない。敗北したということ自体でもない。僕は自分の義務を守れなかった。あらゆる点から考えて、やるべきだったことをしなかった。それが、僕をたまらない思いにする。
 しかし、一方ではまた、こんな気もしている―そんなことを言っては、おられない。そんな理屈だけでは、何にもならない。大学に来て、入党して、活動の中で僕が学んだのは、それこそ、そのことではなかったか。理屈だけでは、何にもならない、という、そのことではなかったか―と。
 皆は認めてくれまい。まして、君は認めまい。大学入試の前、今の君とまったく同じ気持だった僕には、それが痛いほどよく分る。だが分ってくれようがくれまいが、僕は言わずにはいられない。その気持というものを、大学に来て、僕は捨てざるを得なかった。そして、僕は、自分が不誠実だったとは思わない。
 そんなことで、最後まで自分の信念を守れる? 拷問や死に耐えられる? と君は言うだろう。それは、分らない。分らないけれど、たとえ僕が休み前に自分の義務を放棄しなくたって、その可能性にかわりはないと僕は思う。君に自分の行動を認めてもらうつもりはない。許しをこう気もない。だが、自分の信念を守りぬき、自分の義務をあくまではたすということがどういうことか、僕も、君も、もっと考えてみなきゃならない。
 大学に来て、活動する中で、僕は、義務ということだけでは、皆がどれだけ動かないかを知った。君もうすうすは気づいているかもしれないが、それは全く信じられないほどだ。それは必ずしも、皆がつまらない人間というわけではない。僕も、君も、考えてみれば、自分の信念を、いつでもたやすくとおすことのできる条件に常にめぐまれていた。自分の信念をとおせば、敗北し、破滅するしかない状況のもとに、おかれたことがなかった。
 そんなとき、人は、どうすべきだろう? 敗北も破滅も覚悟で断固たる抵抗をすべきだろうか? 党に入る前なら、孤独なら、自分のすすむべき道が分っていなかったら、あるいは、そうすべきかもしれない。その敗北や破滅が新しい道を開くかもしれないから。
 しかし路子―ああ、僕には分らない―分らないけれど、自分のとるべき方向が、どんなにおぼろげでも見えていたら、敗北や、破滅をさけ、そのかすかな可能性を、たぐりよせていくべきだと思う。僕はきっとそうするだろう。
 皆は、これを、実生活の中で、たくさんの苦労の体験をとおして知っている。皆は、ほとんど本能的に可能性を見つけ、それをめざしている。生きる賢さ、といったものがみられる。僕らの世界はせまかったし、敗北が分っているたたかいは、僕らは終始さけてきた。
 それにまた、皆が器用なのは、状況をまるでつかんでないということもあるだろう。ただ生きることだけ見ている人は、かえってものがよく見えるのかもしれない―僕にはよく分らない。
 義務を守って生きぬくのは、たしかにロマンチックなものだ。しかし、自分の義務とは何か―それを見きわめなければならない。拷問や、死を恐れぬ人は、決して自分自身の良心の満足や、信念のために死んだのじゃない。彼らは、具体的に守るべき何かを持っていた。あらゆる状況と可能性を考慮し、最善の道を求め、それが死しかなかったとき初めて彼らはためらわず死を選んだのではなかったろうか。
 僕が自分の義務を放棄したこと、それは明らかに正しくない。しかし、そんなことは、はじめから、僕にだって分っていた。そこで思想斗争だけをすすめても―その時点でだけすすめても、問題は決して解決しない。それ以前の段階に、真の問題が実はある。そこにかえっていかない限り、思想斗争だって無意味だ。
  固定したひとつの教えを守って生きることは、僕らには許されていないのだ。僕らの義務は、その瞬間々々に変化する。適時それをつかみ、それに反応していくことこそが、真にロマンチックな生き方だ。
 おまえは新しい社会を作りたいという。そのためにも大学に行きたいという。それは正しい。だからそれを求めて努力するがいい。受験勉強をすることが、それでも敗北というなら、それはたしかに敗北だ。しかし、同じような敗北は、どんな革命においてもみられた。我々の勝利をねがう努力が、ときには敗北をいっそう促進させるかにみえることがあっても、あわててはならない。難破船から脱出したボートの上に、悪漢の方が多かったとしても、ボートをひっくりかえしてはいけない。つきおとされないように用心して、一刻も早く、岸につくことだ。岸は必ずある。僕が断言する。大学入試のための、どんな努力でもするがいい。第一、僕が何もいわなくても、おまえはやっぱり僕が言ったとおりにするに決まっている。僕に言えることは、せいぜい、それを恥ずかしがらず、びくびくせずにやれ、ということぐらいのものだ。
 もっとも、僕は大学入試が岸につくこととはいわない。それは、より大きなボートにのりうつることでしかないかもしれない。僕自身今そういう危険な航海をつづけているのだ。そして、うかうかすると、悪漢の一味になってしまいそうな気もして心配だ。だが心の奥では、決してそんなことにはなるまいと思っている。まだまだあやふやなところは多いが、そういう生き方の基本技術を、僕はつかんだような気がする。

※「弟たちへの手紙」(5)に続きます。

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