弟たちへの手紙(3)

真理の認識 小泉喬から小泉俊二へ

もしかしたら、真理というものは、認識できないんじゃないだろうか。僕らが目の前に現在見ているものは、すべて幻にすぎないんじゃなかろうか。―これは、ちょっと魅力ある考えだ。
 君が真理が認識できるかどうかについて考えていると聞いたときには驚いた。どう考えても、僕は高校生の頃、そんなことに頭を悩ました記憶はない。後生おそるべしかな。
  冗談はさておき、僕だって真理について、まるきり考えなかったわけではない。いや、頭を悩ましたことはないにしろ、ちょっとでも真剣にことを考えようとするとき、僕の疑問はいつも最後に、「我々は真理をつかみ得るのか?」ということに帰着するのだった。安保斗争のさい、当時の全学連の行動に感激しながらも、やはり僕は、日記に、「彼らは自分が正しいと信じている。僕も彼らが正しいと思う。しかし、もし誤まっていたらどうするのか?その責任は誰がとるのか。それにしても、人間は、そのような判断をなし得るのか。」などと書かずにはいられなかった。
 あの頃からすでに、僕は懐疑論者だったということができる。それというのも、僕は、「何かを信じている」人たちが好きでなかったのだ。あまりにも多くの人が、あまりにもちがった「真理」をふり回していたので、僕はそれらを一つ一つ見わけるのに、いや気がさした。めんどうくさかったということもあるが、その人たち自身が、どうしても好きになれなかった。気狂いじみて腕をふり回している者も、自信ありげなやさしい笑みをうかべて手をさしのべている者も、皆、奇妙に似てみえた。彼らのその自信と、優越感は、どんなかたちであらわれても、この上なく、僕を不快にした。一方では、そういう連中が、いつも、うまくごまかそうとしているように感じて、警戒した。だから、僕は、名文や雄弁は極度にきらい、真理とは、あやふやに語られ、反感をかうようなやり方で紹介されねば、本物ではないと感じていた。それは、タイプのちがう名文や雄弁を求めていたにすぎなかったのだが、それには気づかなかった。
 ところで、僕は、行動的な人間でもある。「あやまった真理をうまく語り、信じる」人々に、いくら反感を感じても、その積極的な姿勢には、魅力と尊敬―というより、しっとと羨望を禁じえなかった。結局、小説やテレビその他で、あまりに多くの誤った真理を知り、その虚偽をある程度見ぬき得たのが、僕の不幸だった。僕はそれを語る人々の、何を、どれだけ否定し、拒絶すべきか分らなかった。「真理」そのものだけでなく、それを語る人々の誠実さや真剣さまでも、いっしょくたに僕は拒絶した。だから、自らが行動するとなると、矛盾がおこった。自分が信ずるところはあっても、それを「真理」として、他人にまで押しつける勇気がなかった。(言いかえれば、他人に押しつけるほど自信がない以上、自分一人が”真理”として信ずることは、僕には許せなかった)しかし、行動はしたかった。そこで僕は、自分の行動すべてを、「正しいかどうかは分らぬが、自分の得になることをする」という、「利己主義の哲学」で説明し、「気まぐれ」「いたずら」「面白半分」で、自分が「ひとりよがり」と感じるところの説明をつけた。
 僕は真理を感じとることができた。だがそれを、他人に説明することのむずかしさを痛感していた。いいかげんな説明でごまかしたくはないという気持が強かったから、なおさらだった。
 他人に自分の信念を説明しえないといういらだち、大げさにいうなら良心の苛責、一方ではそれだからといって自分の信念を否定されたくない、否定されたらどうしようという恐怖、その二つをあますところなく示すのが、僕の「利己主義者の哲学」である。そしてそれは、「真理は各人によってちがう、万人に共通の真理などない」という定義へ僕をたやすくひきつける一方、「だから、自らの真理を守ろうと思うなら、結局力でかちとるしかないのだ」という気持を、次第に、僕の中で、確信にまで高めていた。
 大学入試の数ヶ月前、僕は、エンゲルスの「空想から科学へ」を読んだ。むずかしくて、というより、今まで読んだ本とタイプがちがうため、文のポイントがつかみにくくて、ほとんど何も分らなかった。別に賛成も反対もとなえる気にならず、なぜこんな分りきったことをかくのか、とさえ、ときどきは思いつつ、僕は読んでいったが、エンゲルスが「真理は万人共通のものとして認識できる」としているところで、はっと目をひかれた。人間は、外界を観察し、推理することができるのみか、外界に実践的にはたらきかけることによって、その反応を知り、推理の真偽をたしかめることができる。そのようにして得られた真理は万人共通のものであり、真理そのものである。そういってエンゲルスは、たん白質の製造という例をあげていた。
 僕は、その文章のくだりを、今でもはっきり覚えている。ごくかんたんな照明にすぎなかったにもかかわらず、他の点ではむしろ僕をやさしくうけ入れてくれた、たよりないぐらい僕と気があった、エンゲルスの全文の中で、あの数行だけが僕に抵抗し、僕の心にひっかかった。後にもう一度マルクス主義を深く研究せねばならぬ機会がくるまで、マルクス主義ときくと、僕はその文章しか思い出さないくらいだったのだ。

人間は、真理を認識し得る。自然科学の上での多くの例をひくまでもなく、僕は、今は、それを疑っていない。しかし僕にそれをかつて疑わせた原因そのものについては、僕はまだ充分解決していない。実践的に解決していないというべきかもしれない。すなわち、自分がいかに真理を知っていると確信していても、なお、それは誤りかもしれない、他の真理があるかもしれない、という疑いは、僕はどうしても消し去ってしまえない。その疑いがあるからこそ、確信がかえって強くなることさえある。たとえば、神について、幽霊について、現在のすべての資料から考えて、あり得ない、とはいえても、絶対に、永遠に、それがあり得ない、とまで、僕はいいきれないのだ。エンゲルスやマルクスは、それを、宇宙のかなたには神が存在するかもしれぬ、といいわけをする、はにかみやのやり方とあざ笑った。そう言われればそのとおりだが、僕は少なくとも、それが、それほど害になるとも思えない。
 僕だって、自らが信ずる真理を、他人にわかってもらいたいという気はある。しかし、他人に話すときには、僕は、捨身にならないと、話せない。納得させえないなら、こちらが納得させられる可能性もあると考えて話さなければ、話せない。どんな相手と話しても自分の信念はかわらず、ただ相手をかえるためだけに話すというのは、僕には、絶対にがまんできない。
 しかし、実は捨身になれるということほど、自分の信念に確信が必要なものはない。確信というより知識だ。自分が今とらえている真理を、そのつかむまでの過程を、限界を、証明を、知り抜いていなければならぬ。しかし僕は、そこまで確信し、はあくする以前に感情的にとらえて、しがみついてしまうことの方が多い。そしてまた、経済学上の真理が、プロレタリアートとブルジョアのたたかいの必要を証明するように、いくつかの真理は、僕と、仲間たちとの永遠の不一致を明らかにしてしまうだけのような気がして、つい、ためらうのだ。万人に共通な真理が、万人を結びつけるとは限らないのだ。
 僕は、こういうためらいや迷いを、何とかしてのりこえたいと思っている。いずれにせよ、「各人にとってちがう真理」などということばで、ごまかすことは、もうあるまい。

孤独ということ 上月昇から上月朗へ

おまえは、自分が孤独だという。だが、あべこべに、僕はおまえの手紙を読んで、はじめて、自分が今、孤独であることに気がついた。おまえが書いているような自己嫌悪、劣等感、自己憐憫―今、僕は、それらを、まるで知らずに生きている。かつて知っていたかどうかさえ、はっきりしない。
 こう書くと、おまえは不満かもしれない。自分自身の性格について考え悩み、迷いに迷って相談を求めたのに対して、何と気のない返答だと思うかもしれない。だが、これは僕にとってせいいっぱいの誠意ある回答だ。たしかに、僕もかつて、おまえのように悩んだ。そして、今は、そのような悩みはほとんど持たない。だが、それは、克服といい、成長といえるものだろうか。僕は、むしろ、それを、おまえに、読んで判断してほしいと思うのだ。何となく、今の僕の姿を、おまえは軽べつするのではないかという気がしてならない。
 このやましさは、どこからくるのだろう? いま、僕は、自分が、精いっぱいの努力をしているという気がしない。真剣に己をかえりみて、反省するということが、この数年間僕にはなかった。自分を恥ずかしいと思ったことさえなかったようだ。しかし、では、それほど、僕が立派な生活を送ってきたかというと、決してそうではない。かえって、高校のときには、なかったような卑劣なことも、いくつかした。
 そういっても、おまえは信じないかもしれない。高校時代、僕はいいかげんなところはあったが、少なくとも、友人を故意におとしめたり、仲間どうしの約束を破ったりしたことはなかった。他人を軽べつしたり、憎んだり、冷たくあたったりしたこともない。性格的にも、誰よりもすぐれていたかった。すべての人を愛したし、愛されるように努力した。しかし、考えてみると、いったい何のために、僕はあんなに自分をみがこうとしたのだろう? 今となっては、それが僕には分らない。どれだけの信念をもって、どういう標準をもって、僕は、自分に対していたのか?
 いったい、僕は自分が他人より人格的にすぐれたいとか、他人から愛されたいとか、本当に思ったことがあったろうか? 僕が、大学で、高校のころのように他人のことを気にしないのは、何をしたところで、高校とちがって、それほど大っぴらにかげ口を言われたり村八分をされたりすることはないと知っているからだ。かりにひどい反感をかったところで、それが表沙汰にならず、日常の生活にさしつかえなければ、僕は痛くもかゆくもないとまで思う。
 みじめだと思うだろうか。軽べつするだろうか。だが、実はおまえに軽べつされても、僕はどうもないのだ。愛や尊敬は、僕にとってもう必要でない。誇りさえ、もう捨てた。生きていければ、それでいい。そして、本当は、その、生きていく、ということが、大変なことなのだ。ずるい言い方をするなら、生きることにせいいっぱいで、自分の性格のことなんぞ、くよくよ考えてるひまもない、と言えるかもしれない。
 いや、そうでさえもない。僕は、今、すぐれた性格の人間というものに対し、ある反感と、軽べつを感じるまでになっている。人に好かれる人間よりも、人にきらわれる人間の方に、ひかれはじめているのだ。
 愛や、尊敬や、誇りは、今考えると、昔から、僕にとってはどうでもよかった。一応、それを基準に世の中が通るから、片手間にうまく自分の性格を、それにあわせていただけだ。今、大学では、さほど、それがやかましくないから、当然、人格向上は、おるすにした。そのかわりに、僕は、何かを求めている。もともと、僕のじゃまさえしなければ、他人なんて、僕にはどうでもよかったのだ。その意味では、昔から、僕は孤独だった。さまざまな批判を他人からされても、その批判を本当に気にしたことはない。自分の性格は、他人に指さされて、かえるようなものではないと、僕は確信していたから、批判されると、それが正しいかどうかも考えず、すぐ表面だけとりつくろって、批判をうけないようにした。自分については、誰の意見も、忠告も、僕はうけ入れる気がなかった。自分を分るやつがいるはずはないと確信し、野蛮人の中にくらす者が、その風習にあわせようとすると同じ気持で―そのいみでは真剣に―皆の批判をきいていた。
 僕は、たしかに傲慢だった。しかし、どんな立派な人物であれ、しょせん他人にすぎない人の忠告でおいそれとかえるほど、自分の性格を、僕はそまつにできなかった。その性格は僕だけに与えられたものなのだから、大切にしたかった。「あの人のようになりたい」と思ったことは、生まれてこのかた僕は一度もないといっていい。僕はいつでも、誰ともちがっていたかった。自分自身でありたかった。誰でもないこの自分の性格、これをせいいっぱいに使って何かをつかみとりたい、何かをかちとりたい―それが、僕の責任のような気がしていた。
 求めているものが何かは、僕にも分らない。それは、僕の力にあまるかもしれない。また、もしかしたら、僕という人間の究極の完成、生きぬいた一生、それが、僕の生涯をかけた作品になるだけかもしれない。
 しかし、いずれにせよ、僕は自分に、まだかせをはめたくない。愛されないからといって、卑劣なことをするからといって、自分を否定したくない。人を愛し、愛され、己をころして他人のために生きるなんて、考えてみればやさしい。僕は今、それでは満足できない。今、一時的にそういう僕のよさを失っても、もっと鋭い、強いものを、僕はつかんでおきたいのだ。
 僕はいつでも何かを求め続けた。これからもそうだろう。それを求めているとき、僕は孤独であり、誰をも信じず、誰をも愛していない。それを求めるためなら、愛する者も殺すし、恥ずかしめもしのべる。たよりになるのは、そのときは、自分だけだと思うから、たとえ、表面は、そのときどきに従って、聖人になったり、英雄になったりしようが、根本の僕の性格については、指一本ふれさせる気はない。
 おまえの批判の声が聞こえてくるような気がする。僕も実は、もう少し考えてみたい。しかし、また、大学四年間、しいて自らの孤独を押しころそうとしていたために、僕が、たくさんの嘘をつかねばならなかったのも、たしかなのである。僕は、もうそれは、したくないと思っているのだ。

神・運命・人間 水田厚広から水田夏子へ

僕と神さまのおつきあいは、まったく、とんでもないものだった。僕は日曜学校に行ったし、毎晩、寝る前にお祈りもした。その中で、自分の悩みを神さまにあからさまにうちあけてはいた。だが、実のところ、ほんとに解決のつきそうにない悩みについちゃ、」僕は神さまには黙っていた。神さまをごまかしたことになってはまずいから、自分の中でも、それは悩みとしてみとめず、時々、気づかぬふりをして考えていた。結局僕は神さまに、すべてをうちあけて教えをこうという気になれなかった。分りそうもない質問を投げて、神さまをあわてさせてはかわいそうだったし、まさか返事も返っちゃ来まいが、もし返ってきたらなお困るという気があった。で、神さまが充分返答できそうな悩みだけを選んでうちあけ、その他は、かくしておいた。せめて解決のヒントを自分がつかめるまで待った。神は僕らの心の中を見とおしておられて、そういうヒントも神が与えてくれるのだ、という考えもないではなかった。だが、心を見とおすという点では、僕は神に少々腹がたったし、ヒントを神が与えたという点は、まあ、そういうことにしといてもいいや、まけとけ、という気で、認めることが多かった。
 だが、そうすると僕は自分の環境なり、育ってきた過程なりをふりかえって、そこに、自分の力ではどうにもならないものを感じたことはなかっただろうか? 神の手とか、運命とかいうものの影を感じたことはなかっただろうか?
 少なくとも、今考えた限り、そういうことは思い出せない。僕の回りにできごとは、僕にとって、いつでも、それなりの説明が、ちゃんとついた。その説明が、しばしば僕自身にとって、不快で、苦痛であることはあっても。
 もちろん、偶然ということは常にある。それによってある程度僕の人生が左右されたことはあった。だが、僕は、それは黙殺した。偶然が偶然である限り、いくらそれに注目したところで、役にたたぬと判断したからである。それより、必然性の可能性を高めるよう努力する方が利口だと思った。実際には、いくら必然性を追求したところで、例外は必ず生まれるし、そこは偶然性にまかせるしかあるまいが、しかし、例外を極小にして、意味のないまでにしてしまうことはできる。そうなった場合、偶然は(存在はしても)黙殺していて現実には全くさしつかえない。
 卑近な例でいうなら、入試の一点差で、大学が決まり、一生が決まることはありうる。しかし、その一点を、大丈夫かちとれるだけの実力をそなえることはできる。更に、どんな大学に入ろうが、根本的にはかわらぬ生き方をするだけの人格をやしなうこともできる。そのとき、その偶然の一点は、おまえの生涯に、ほとんど影響は及ぼすまい。
 恋人とのめぐりあいは、偶然を重要視したがる人が多い。しかし、本来は、自らが、自分らしく生きていれば、過程はどうちがっても、やはりその人に、あるいは、そのような人に、必ず結びつけられていったはずだと、僕は思う。
 僕は運命を、ことばで否定したことはなかったが、運命に左右されないですむ部分を、自分の中に築いていくのに余念がなかった。それは、運命をかえていくということと、どこかでつながっていたかもしれない。もっとも、運命に左右されそうな部分は、はじめから流動体状にして、降参の姿勢をとっていたのだが。
 僕は、だいたい、自分にふりかかってきた運命は認める方だった。いいかえれば、どんなことがおこっても、あんまり驚きはしない。けしからんことでも、あり得ないことでも、あったら、あったのである。認めないといってもしかたがない。それに従って生きるしかない。その点、僕は、すなおだった。
 しかし、問題は、何が「あった」か、ということである。
 佐藤政府と、そこから出される命令は「ある」―これは否定できない。しかし、それに不満をもつ多くの人と、その人々のたたかいが「ある」―これもやはり否定できない。そして、佐藤政府への反感をもち、たたかいをのぞむ僕の心が「ある」―これは決して否定できない。これらすべての「ある」ものに、すなおに従おうとすることは、容易ではない。だが、必要だ。それを、「運命に従う」というのだろうか? 少くとも、その場合の運命とは、偶然としてあらわれてくる神のみ心ではなく、細い曲がり角だらけの迷路ではなく、いくつもの偶然を内包しつつもそれを圧倒してゆく、人間の行動と経験の集積による必然性であり、うずまき、さかまいて流れていく、泥まじりの大河であろう。
 僕は今、そのゆたかな必然性のひとつひとつを、見ることのできる目を、やしないたく思う。そういう目で見たら、神さまだって、きっと、もっとよく見えるにちがいない。

※「弟たちへの手紙」(4)に続きます。

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