弟たちへの手紙(1)

これは、1968年8月31日の日付で発行された、個人雑誌「かまど」の特別号である。
 大学のほぼ四年間、私は自治会活動をしていた。民青同盟にも共産党にも入っていた。忙しくて勉強もままならず、高校時代までしていたように、自分の内面をのぞきこんで思考や分析に時間をとることはほとんどできないままだった。
その時期の心情というか心象風景は、鳩時計文庫の小説「水の王子」第三部「都には」で、潮由美が描いているのと同様である。

大学四年の夏休み、私は故郷に帰り、昔と同じように、自分の内面を徹底的に整理してみた。それがこの特集「弟たちへの手紙」である。
 この後すぐ私は、自治会活動を離れ、政治活動をやめた。共産党にも民青同盟にも文句や不満があったわけではない。ただ、自分の今することは、そういった活動ではないと感じた。その間の気分はこれまた、「闇の中へ」「従順すぎる妹」第二部に少し書いている。
そのきっかけとなったのは、この「弟たちの手紙」を書いたことか、同時期に読んだ加藤周一『羊の歌』だったか、両方だったか、よくわからない。

それから五十年あまりが過ぎて、今、あらためてこれを読み直し、公開しておきたいという気になった。「かまど」の中には他にも紹介しておきたい記事がいくつかあるのだが、かなり大量のこれから手をつけるあたりが、私と言えば私ではある。
なお、弟妹への手紙というのは、架空の設定で、登場する筆者はすべて私のペンネームである。(2021.5.19.)

巻頭詩 野崎豊

いずれ くぐらねばならぬ火ではあった。
 だが、鋼鉄はきたえられただろうか?
 火に入るのは、おそすぎた、とある人は言い
 火をくぐるのは、早すぎた、と他の人は言う。

何はともあれ、鋼鉄は、火をくぐった。
 そこに、何かが、残っただろうか?
 かたちは、とかされた。
 たくさんのものが炎の中に失せて、
 そして、今、再び とけた鉄の中に
 漠としたかたちが、うごめく。

しばし、火を弱めよ。
 そして、何が残ったか、
 何が生まれたかを見よう。

いずれ、くぐらねばならぬ火ではあった。
 だが、鋼鉄は、きたえられただろうか?
 火の中にとけ去るのではなく、
 かまどの外で さびくちるのではなく、
 より強く、より美しく、
 鋼鉄は、きたえられつつあるだろうか?

 

かまど 特別号

 弟たちへの手紙

目次

はじめに 野路啓介
幸福とは何か     峯由郎から峯正彦へ
生と死        進藤律子から進藤順子へ
自由な人々      吉川純子から吉川敏雄へ
愛国心の意味     小山典子から小山満へ
愛について      細川圭子から細川詩子へ
真理の認識      小泉喬から小泉俊二へ
孤独ということ    上月昇から上月朗へ
神・運命・人間    水田厚広から水田夏子へ
芸術と僕たち     真野幸生から真野芳生へ
創作が与えたもの   土屋信子から土屋陽子へ
受験は敗北か     清原昇から清原路子へ
強者と弱者      柴崎一郎から柴崎良平へ
学生運動をやってみて 中司圭子から中司昭世へ
政治への参加     保坂恒二から保坂亜子へ
友情を語る      永井美和から永井清高へ
人間の歴史      高倉真弓から高倉浩へ
人生の価値      新田京子から新田麻己へ
 編集後記にかえて 棟方梨恵

 

はじめに 野路啓介

ある者は、自治会活動のために、ある者は勉強のために、ある者はサークル活動のために、そしてある者は自分で考えるところあって―とにかく、僕らは、この夏休み、一度も帰省しなかった。それをくやむ手紙が故郷から何通か届いても、読むときだけはシュンとして、すぐにけろりとしてしまうのが、僕らの悪いくせである。
しかし、その中に、ぜひ返事をしたいと思われる手紙がいくつかあった。それは主として、高校生の弟や妹たちから来たものである。きびしい受験勉強の中で彼らは人生について、愛について、未来について、考え悩み、ときには、ことさらいいかげんなポーズをとりながらも、真剣な問いかけを僕らにぶつけてきているのだった。
 実をいって、僕らはそれにたじろいだ。彼らの疑問や叫びにこたえてやれるだけのものが、僕らの中に何かあるか。誰しもがそう思った。大学四年間、何をしてきたのかと、思いがけずきびしく自らに対せねばならぬことになってしまった。しかし、僕らの昔を考えてみても、僕らは、たとえ、どんなに不充分な答であれ、彼らの問に答えてやらねばならないと思った。そして僕らは、それを、このようなかたちで、まとめることにした。もちろん、僕らの答は完全ではない。これは僕ら自身の今後への問いかけでもあるのだ。

幸福とは何か 峯由郎から峯正彦へ

「拷問台の上でも人は幸福でいることができる」と、昔の哲学者は言った。僕は、実は、このことばが好きなのだ。これを言った人を何となく尊敬したい。そのくせ僕は、「いかなる環境でも、人は幸福でいることができる」ということばは、それほど好きではなく、「どんな苦しい生活でも、心がけ次第で幸福にくらせる」となると、ごめんこうむるよという気になってくる。おまえはどうだろう?
 この三つのことば、特にはじめのと、おわりのとには、ちがったイメージがわかないだろうか? 少なくとも僕には、「拷問台」は、抵抗と、自分の意思と、選択した運命を示し、「苦しい生活」は、忍従と、あきらめと、あなたまかせの毎日を示しているように感じられてならない。
 幸福をかたるとき、どうしても問題になるのは、物質的なそれと、精神的なそれのことだ。おまえも言っていたね―お金や、健康を無視して、精神的なことばっかり言ってるやつらを見ると胸がムカムカしてくる、自分は、物質的にも、精神的にも幸福になりたい、第一、物質的にある程度の裏付けがなければ、精神的にも幸福でいられるはずはない、って。
 だが、そういう、お坊さんのお説教とはちがった「精神的な幸福」は、やっぱりあるんじゃないかと、僕はこのごろ考えている。
 物質的なものしか求めないと悪口を言われやすい共産主義者たちが、現実には、物質的なものに少しも未練をもたず、実に精神的な満足によって生きているかにみえるのは、僕には、いつも不思議でならない。その点で、僕はあの人たちに、クリスチャンに対すると同じ、尊敬と反感を感じる。
 キリスト教徒の禁欲主義にしても、決して物質的なものを、全部否定はしていない。聖書を読んでもそれは見出せないし、どんな修道院だって、飢えて死ねなどと言ったところはない。「不必要なぜいたく」の廃止しか本来はとなえられていなかった。個々人にとってぜいたくの標準はちがうんじゃないか、という疑問は、また別の話だよ。
 物質的なものが、幸福には必要だ、ということは、誰でもが、心の中では認めてきたことだし、最近はことばの上でも、それが認められはじめている。だが、問題は、そこからはじまるといってもいい。物質的な幸福を、では、どうやってつかむのか。
 クリスチャンにも、コミュニストにも、それなりの見とおしはあるのだろうが、はたして、それがどれだけ、その人たちの一人々々に分っているか、僕は大いに疑う。僕の彼らへの反感も、つまりはそこから来ている。だって、僕は、幸福ということを、無知ということばとは、決して結びつけたくないからである。
 武者小路なんかがよく描く、白痴に近いお人好し、あれはたしかに幸福だろう。キリスト教にしろ、コミュニズムにしろ、他の何にしろ、それを信じきって、自分のすべてをささげられたら、それもたしかに幸福だろう。けれど僕は、そんな幸福はきらいだ。人に与えたくもなければ、自分が得たくもない。
 自分が現在していることを、その原因と結果とを、常に僕は知っておきたいと思う。もちろん、いつでもそれが知れるというわけではないし、まちがってしまうこともあるにちがいない。だが、可能なだけの手をつくして、それを知ろうとし、知らないときには、何を、なぜ知らないかを、はっきりさせておきたい。まちがいがわかれば、すぐただしたい。そのようにして、知った範囲内で、自分の生活を、なるべく快く送るようにしたい。結局はそれが、僕にとっての幸福なのだ。
 手足をひきさかれるだろうということを予想し、それでもいいと思えば、拷問台にも上る。ののしられてもいいと思えば、裏切りもする。どちらにしても、自分のしていることの意味を、知っておきたい。だまされたり、すかされたりして、ひっぱっていかれて、たとえ結果において、僕の望みどおりにしてもらえたにしても、だましてくれてよかったとは、決して言いたくない。自分の回りを注意深くみつめ、自分の喜び、自分の悲しみを注意深くみつめていたら、一つのものを信じきって、それにすべてをまかせるような生き方は、絶対にできないはずだ。必ず自分なりの何かを、そこにつけくわえていかなくてはならなくなる。そのような努力を、そのような悩みを、決してやめないこと、自らの無知も、弱さも、正確にとらえつつ、たえず自らのかじをとって、せいいっぱいに考え、生きること―僕にとっては、幸福とは、結局そういうことでしかない。

生と死 進藤律子から進藤順子へ

お友だちの死が、あなたにそんなにショックを与えたのかと、驚きました。私はあなたの手紙を見るまで、死について、そんなに深く考えたことはありません。今だってそうです。
 死については、語りたくありません。考えたくもありません。そうしたところで、どうしようもないじゃないかという気持が、いつも私の中にはあります。
 もっとも、死を考えることが、まるで無駄というのではありません。それは、私たち自身が、死と背中あわせの生を生きていることを教え、生についても考えさせてくれるからです。自分の生に満足しているとき、死は恐いものです。しかし、人によっては、自分の生に不満足のとき、死は、もっと恐いものです。
 先日、友人たちとしゃべっていて、ふと、もっと若がえらして、人生をやり直させて、おらうとしたら、何才からがいいかという話になりました。皆、十四才、十六才、十才、などという中に、一人、「冗談じゃないよ、やっと二十年間すましたのに!」といった青年がいました。あなたには、このことばの意味が分りますか。これはいささかこっけいな、真剣なことばです。これを理解できるのは、悲しいことかもしれません。
 この青年は、大変朗らかな、賢い人です。健康で、人なつこく、政治活動もやっています。しかし、彼は、いつでも「死」が頭からはなれないといいます。だから、いつ死んでもいい生き方をしているのだそうです。そのようにして、どうなり満足できる過去をつみ重ねてきている彼を、私はえらいと思います。生きるということは、刻々死んでゆくということでしかないのかもしれません。
 私にもその青年と似たところがあります。私が死を考えないということは、それだけ死を意識して生きているということでもあります。だから、死ぬときの苦痛は別として、死そのものは、さほど恐くありません。
 今死ぬわけにいかないと思ったことは何度かありました。しかし、できればそんなことは考えないで、いつでも死を迎えられる人間でありたいと思います。そのためにも人間の生や死、とりわけ個人のそれを、私は過大評価したくありません。いったいこれまで何万、何億、何兆の人間が死んできたことでしょう。そして、それにびくともせず、宇宙は運動し、時間は流れすぎました。私はそれでがっかりしているのではありません。それが事実なのです。人間とは、それだけのものです。しかし、だからといって、いつまでもこれでいいということがあるでしょうか、せいいっぱいに生きてゆくことは無意味でしょうか?
 とにかく、私は自分がその、ちりあくたのような死の中のひとつを死ぬということが、うれしいのです。おそらくそれは、どんな生き方をしようが、おそく死のうが早く死のうが、要するに、一向に、大したことではないのだという安心感かもしれません。
 そこまで考えてしまえば、もうどうでもいいようなものですが、私は自分の生も死も、自分一人のものでしかないという気持からは、いまだにぬけ出せません。とりわけ自分が「何かのために」死ぬなどということは、言ってほしくありません。いったい、何かのために死ぬことなんて、人間にできるでしょうか。私は、私の生を生き、その結末として死がおとずれるだけのことです。もし私が何かのために死ぬとしたら、それは、いくぶんなりとも私に似ている古今東西のすべての人のためでしかありません。
 私は冷たいのかもしれません。しかし今の私は、どちらかといえば、死に劣らず、生も恐い。そして、死んでいく人に対して悲しみをもつとき、その悲しみが、現実的な利害からどれだけ超越しうるものかどうか、私には分らない。何より私は死者の枕辺で泣く人を見ていると、この人はいったい、自分が永遠に死なないつもりででもいるんだろうか、という、実に奇妙な疑いがわいてくるのをどうすることもできないのです。

※「弟たちへの手紙」(2)に続きます。

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