1968年、原水禁カンパで

(私が大学時代に作っていた個人誌「かまど」には、今読んでみるとあらためて紹介したい記事がときどきある。これもそのひとつ。上月昇は私のペンネームで、これも実体験である。
この時、原水協は中国の核保有をめぐって分裂していた。学生運動も共産党系と全共闘系で激しく対立していた。その一方で、今では信じられないぐらい、街頭署名に人々は積極的に応じてくれた。当時の100円は今の1000円にあたる感じなのではないかと思う。F通というのは、多分中洲のアーケード街だったと記憶している。)

……毎年、夏になると、原水禁のカンパがはじまる。駅頭で、夕ぐれの繁華街で、僕たちはいつでも毎日、カンパ板を持って、あるいは自治会として、あるいは民青として、署名とカンパを呼びかけた。この種の署名には、大抵の人が応じてくれる。山のような荷物を持ったおばさんも、セーラー服の高校生も、紳士も、老眼鏡のおばあさんも。「中国の核はどうなんですか」と真剣な顔で聞いてくる人、「おつりをくれませんか、50円カンパしますから」と100円札を出す人、「さっき使っちゃって、これをかわりに―」とキャラメルやチョコレートを入れていく人……毎日くり返していると、女の人や男の人がそれぞれお金をどんな財布に入れて、どんな持ち方をしてるか、よくわかってくる。
 あれは、F通だったろうか、もう夜だった。もう一枚署名用紙が埋まったら今日のところはやめて、コーラでも飲みにいこうか、と考えながら「おねがいします」と声をかけていたその矢先、僕の目の前に紫色の花もようのスーツを着た女の人が立ちどまりかけて、ためらうように署名板を見た。ちょっと苦笑しているようだった。僕はすかさず、「原水爆禁止のための署名とカンパです、お願いします」と、一歩ふみ出して頭を下げた。
 女の人はやっぱりためらうようなしぐさをしながら、万年筆をうけとり署名をはじめた。中国のことが気になってるのかな、それとも分裂問題かしら? トロツキストもこのごろはカンパをはじめていて、先日は、別の繁華街で、こっちの連中となぐりあいをやったとも聞いていた。僕はさりげなくアメリカのナパーム弾のことや、被爆者の生活のことなどを話した。女の人はうなずきながら、署名をおわってペンをおき、財布から100円札を出して袋の中におとし、またちょっと立ちどまっていた。
 「ありがとうございました」僕は明かるく言って、頭を下げた。
 女の人は立ち去ろうとして、二、三歩あとずさった。そして笑いをうかべたまま、急に言った。
 「私も、被爆者なんですよ」
 あ、と言ったまま、僕はその人を見つめた。どんな表情をあらわすべきか分らず、かりにも気の毒そうな目になんかなってはいけないと思って、ただ、強い、一心な目で、その人の笑いをうけとめた。「そうですか―」と僕ははりつめた声で言った。
 女の人は、ゆっくり二、三度うなずいた。それから何にも言わずにくるりときびすをかえし、もうまったくふつうの足どりで、まっすぐ人ごみの中に消えて行った。……
                  (上月昇「思い出の記 第二部・民青加盟」より)

Twitter Facebook
カツジ猫