1. TOP
  2. 岬のたき火
  3. きゃらめる通信
  4. 限りなく、参院選

限りなく、参院選

これは死者への冒涜ではない。私に出来る最大の弔意であり、追悼である。

アベ元首相の死については、いくつかの驚きがある。
彼が最近、いろいろと発言していたのは知っていたが、「党内でも人気の高い応援弁士として」これほど精力的に各地を回っていたとは予想もしなかった。

桜を見る会、森友加計問題。どれもまったく納得の行く回答をしないまま、次々に怪しい事実が明らかになる中、私などの感覚ではほとんど容疑者でしかないような存在の人に、それだけの力があり、それだけ頼られているという、この組織(自民党)は何なのだと、あらためて呆然とする。
それほど人がいないのか。それほど自浄作用がないのか。その疑問がふくらむばかりだ。

そして、その精力的な応援演説の中で、彼はいったい何を語り訴えていたのか、どれだけ考えてもわからない。この、なすすべもない現状と、そのもととなった失政について、どうやって聴衆を説得しようとしていたのだろう。まさか、まだ民主党政権の悪口か。中国や朝鮮民主主義人民共和国を利用した、日本の軍備の必要性と平和憲法への攻撃か。

私がこの選挙にあたって、彼とその体質を徹底的に受け継いだ現政権のことを根本から信用できないし、皆にも信用すべきではないと伝えたいのは、まさにその点に関わっている。

彼の生涯の悲願は改憲だと、今もラジオは言っている。そもそもそれが私には最初から信じられない。彼が改憲について、まともに自分の見解や信念を語ったことは、まったくこれまで一度もなかった。これからもなくなったわけだが、本当に生涯をかけた悲願なら、こういうことはあり得ない。

政治家なら、人間なら、自分の理想や目的について、限りなく人に語り、理解してもらおうとするだろう。反対意見があれば耳を傾け、論破や説得や修正をして、何とか相手に受け入れてもらおうと努力するだろう。交渉やプレゼンの基本中の基本である。これを一度も彼はやったことがない。信じられないことである。

おそらく、現憲法を彼は読んでもいないし、それに関連する勉强もまったくしていない。彼が終始一貫して努力し工夫して来たのは、あれこれと制度を変えたり、受け入れてもらえそうな(実質は変えない)言い回しをしたりして、何とか気づかれない内にどこかを変更してしまおうという、姑息な糊塗のくり返しだった。それ以外の、自分の意見を他者に理解させて実現するという方法を、この人は知らないのだろうかと私は何度も疑ったものだ。

本来、選挙というものは、政治家なら自分の理想や目的を語りつくして理解してもらい、正しい評価をしてもらう、絶好の最大の機会のはずだ。それなのに、選挙のたびに、彼は「改憲」を争点にせず、ひたかくしにした。そして、あらゆる手段を用いて投票率を下げ、国民の関心を薄らがせ、議席を得ることだけに専念した。その結果、議席が増えると、「すべてを委任された、認められた」と解釈し、改憲の意図を公にした。ずっと、そのくり返しだった。

麻生副総理が「いつの間にか憲法が変わっていた、ナチスの手法に学べないかね」と口にしたように、この姿勢はひとりアベ氏のものだけではない。もはや政権与党の骨にまでしみこんだ体質になっている。議論をさける。本心をかくす。ありのままの自分を評価されることを嫌い、避ける。それを政治や戦略と勘違いしている。

憲法を変えるのも、軍備を増やすのも、そうしたい人がいるのは当然だ。その理由を述べ、意図を説明し、反対派と議論を重ねることで、その計画や目的は深まり、皆のものとなる。それができない人間は、政治家としての資格がない。選挙に参加する資格もない。だから、このような集団に投票してはならない。彼らを利するような勢力にも投票してはならない。最低でも、共産、社民、立憲、れいわのいずれかに投票するしか、まともな政治家を選択する余地はないと私は考えている。

Twitter Facebook
カツジ猫