どこまでも、参院選
元首相の死について、ネットではこんなスレッドもできています。
まあ、私の周辺の私と同じ感覚を持つ方々は、こういうのもごらんになって、彼のどこが人々に好かれていたのか知っておくのも、今後のためにいいのかもしれません。
これを見ていて、元首相の死にショックを受け、脱力して悲しんで立ち直れないと言っている人の中に、「見慣れていた人が殺されていなくなった」「眼の前で現実に殺される映像を見せられた」という二つの要素がかなり大きいのが意外でした。そんなに皆さんデリケートだったのですか。世界の紛争にも貧困層の困窮にも何も感じていないように見えたからタフだと決めつけていたのは私の誤解だったのかもしれません。
けれど、それなら、絶対に言っておきたいことがある。「見慣れた人が殺されて消える」「眼の前で人が殺される」、それこそは戦争の日常であり、本質ではないのですか。元首相の死で今感じている喪失感や悲しみや恐怖は、戦争になったら避けられず日夜与えられるものではないですか。
防衛費を倍増する、他国から攻め込まれないような国にする、そういう岸田政権の方針や公約に、多くの人が賛成しているようです。それは多分にロシアのウクライナ侵略を(珍しく詳しく報道した)テレビなどのニュースによるものでしょう。
私はこの件について悪いのは完全にロシアとプーチンだと考えていますし、世界がウクライナを支持すべきとも考えるし、ウクライナが勝利してほしいと願っています。
しかし、それを前提とした上で、今、私たちがロシアとウクライナの戦いを見て何を学ぶべきかというと、どんな正義がこちらにあっても、世界の支持をとりつけても、戦争は勝てるとは限らず、始めた以上は長引き、その間に兵士はもちろん一般市民も「見慣れた人が殺されて消え」「眼の前で殺される」毎日が、いつ終わるともわからず続く、それが戦争だということです。
戦争は始めたらおしまいです。絶対に始めてはならない。あらゆる手段を用いて避けなければならない。その実感をいやというほどかみしめたから、たとえ保守層でも自民党でも戦争だけは避けようとして来たし、平和憲法も作られたし守られて来たのです。
今も、これまでも、世界各地で紛争は山ほど起こり、人が死につづけています。国内でも貧しい人、恵まれない人が悲惨な状況の中で望まない死を迎えつづけています。それを見ないでやりすごすことも、自分がいつそうなるかを考えないで目をつぶっていることも、今はある程度は可能です。しかし、戦争になったらそれはもう許されない。あらゆる人が「親しい人が消えてなくなり」「眼の前で殺される」状況に直面しなければなりません。毎日毎日、毎時間毎時間。
それが戦争です。そして、軍備を固め武器を増やして、戦争を回避するのは、そう簡単ではありません。どの程度武器を増やして軍備を増やして国民の戦闘能力を高めたら(男女ともに徴兵されることもふくめて)安全なのか、おそらく誰にもわかりません。
もし真剣に国を守ろうと思うなら、自分や家族の命も財産も喜んで捧げるぐらいの覚悟もまずは必要だし、他にもすることや考えることは山積みです。政府に武器を買ってもらって、自衛隊に使ってもらって、それで自分たちは安全な暮らしを確保しようと思うのは、あまりに虫がよすぎるし、見通しが甘すぎませんか。
あなたは国防について真剣に考えたことがあるのか。戦争だけは避けたいと切実に実感しているのか。元首相の死を悼むなら、まずそこからはじめたいと私は思っているのです。そのためには、さしあたり当面は、平和憲法を守ると明言している政党(共産党、社民党、れいわ、立憲民主党)に投票するしかないと思っているのです。彼らが勝とうと負けようと、彼らの票が一票でも増えることが、この問題について雑な粗末な結論でなく、慎重な議論を生むことにつながるだろうと信じるからです。