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いったいこれって、もう何なのよ

週刊文春だっけ、しんぶん赤旗だっけ、とにかく統一教会が高市首相のパーティー券を買ってたとか、その他のずぶずぶの関係をついた報道に、高市さんも自民党も、何のコメントも弁明も釈明もしないんですね。「選挙中だから、差し控える」って、マジですかそれ。誰がどう考えても「自分が首相でいいかどうか決めて下さい」と言ってる立場としては、こんな他国のカルト集団と深い関係があったと言われたら、もう全力で全否定しなくちゃならない、しないではいられない案件のはずじゃないですか。たがが外れて、底が抜けてますよねとか言いようがない。つまり全部本当なんですね、否定もできないんですね、嘘さえつけないぐらいなんですね、としか判断しようがないじゃないですか、こっちとしては。
 もう、党としての体をなしていない、政治家としても欠陥商品。絶対投票しちゃだめですよ。

話は変わって私の方も、昨日久しぶりに毒を吐いて、とまどわれてる方々もおられるかと思いますが、ついでにもう少し言ってしまいますと、最近私の茶坊主パソコン(こっちの気にいるだろうと思う記事やニュースばっかり、とりそろえて出してくれて、私はおかげで敵側や反対勢力の言い分がちっともわからなくて、自分が劣化してくんじゃないかと気が気じゃない、そういう、気が利きすぎて世間を多分分断させてるAIのこと。まあ、たかがAIだから罪はないけど、怒ってもしょうがないけど。笑)が、私の好みをどこでどう判断してるのか、せっせと送りつけて来るニュースや話題には、この手の、老親や親族の劣化老化に不安を感じ、何とかしようと思ってもうまく行かずに悩んでる人たちの話が、やたらと多い。

昨日私がぶちきれた、「魅力的な老人がぼけて弱って劣化して、家も庭も荒れたり消えたりして行きそうなのが、そぞろつらくて淋しい」みたいな、甘ったれてんじゃねえ物件の状態は、もはや多くが通り越して、「もうどうなっても知らん。手を出してほしくないなら、勝手に孤独死しやがれ」みたいな気分になってる子ども世代がむしろ主流で、疲れ果てたあげくの冷たさや無気力が横溢してる。無理もないっちゃあ、無理もない。ちょっとだけ笑える。笑い事じゃないけど。

私自身も田舎の母の大きな家が、ものすごいゴミ屋敷と化しているのを、しばしば何とかしようとしては、母と大げんかして来ました。思い出したらもうきりがない。
 長い廊下のはしに昔ながらのお風呂があって、何度も改修リフォームもしたのだけど、何しろ居間から遠くて寒くて、きしんだガラス戸の開閉の音もなつかしく、今も覚えているのですが。

何度目かのリフォームで、私は風呂場だけでなく、そこにつながる廊下の洗面所の蛇口からもお湯が出るようにしてやりました。大きな花の絵が絵画のように前面にあるタイルの、それはゴージャスな洗面台ではありました。祖父が買う前は大金持ちのお医者さんが金にあかせて建てた、当時は豪邸だったようです。
 母は大いに喜んでくれたし、私もよかったと思ってましたが、その内に何度目かの帰省のときに気づいたのは、風呂場に入って入浴する手間がめんどうになった母は、雪の降るような酷寒の日でも、暖房も何もない、風も吹きさらしの廊下で朝晩、裸になって、その洗面台の蛇口から出るお湯で身体を拭いて満足していたということでした。
 凍えて死ねと思いましたよ、いやほんと。

もうそんなことばっかりでしたよ。よかれと思ってしたことが皆、命取りになるような結果につながる。母はその方がきっと快適で面白かったんでしょう。私はもちろん怒ったけど、そのまま放置して、なすがままにまかせたような気がします。心臓麻痺で廊下に倒れて凍死したって多分涙も出なかったでしょう。

叔母についてはまあ富裕層で、一族の経済的な基盤でした。私の学費や生活費もすべて出してくれて(ちなみに当時は国立大の授業料は半期で六千円、一年で一万二千円で、叔母は「安いねえ」と何だかものたりなさそうにしていました)、彼女がいてくれなかったら今日の私はなかったかもしれず、それは感謝してもしきれません。
 私はときどき叔母の家の片づけを頼まれるまま手伝ったことはあったけれど、叔母の財産や経済状態にも生活状態にもいっさい関心がなく、まったく関わらないようにして来ました。叔母が亡くなって、かなり巨額の財産が残り、叔母はそれを全部私にくれるつもりでいたようですが、高給取りでエリートでも基本的にはかわいい女性で、詰めが甘いっちゃあ甘くて税理士さんや銀行ともきっちり手続きをせず、遺言状もなかったから、相続人は外国も含めて十人ほどいました。

叔母の遺志だからと相続を放棄して皆私にくれると言った人も相続人の中にはいました。でもそうでない人もいて、私は差をつけるのもいやだったから、法律通りに全員に財産を分け、手のかかるマンションなどの不動産は皆私が受け取って(その分当然、受け取れる現金は減る。ものすごく減る)、それなりに処分しました(儲けなんか度外視。ほとんどお金になってない。ただ最善の処置をした)。その間の外国も含めた諸手続き、弁護士費用に名義変更も皆私が負担しました。叔母の残した膨大な衣服や器やその他も、全部人に譲るなどして片づけました。それを多分二三年でやりました。母のゴミ屋敷とちがって、叔母の遺したものは家も物も皆美しく、その点ではストレスはなかったけれど、それでも一度、酷暑の町の交差点の真ん中で、思わず数秒しゃがみこんで動けなかったぐらい、身体も心も消耗しました。

母も叔母も愛していたし、感謝していました。一度も恨みには思わなかったし、彼女たちを辱めない、私も誰にも恥ずかしくない行動を取ろうと決めていました。幸い、相続人たちも、特に外国関係ではちょこちょこ、こんちくしょうと思うことはあったけど、特に困った行動はしないで私にまかせてくれたし、その後も感謝して叔母の遺産を大切に使ってくれた人たちもいます。私に迷いはなかったし、今も後悔はありません。というか、もう誰もいなくなった田舎の大きな家で、一人で寝ることは何度もあったけど、その時にいつも私は祖先であれ家族であれ、死霊であれ生霊であれ、出て来るなら束になって出て来やがれ、こっちは一晩あんたらに言ってやることがあると、ずっと思っていました。

母や叔母の、晩年の孤独や衰退も、ずっとこの目で見、肌で感じていました。二人が死んだとき淋しかったよりも味わったのは、安堵と脱力でした。及ばないことは山ほどあったけれど、私はできるだけのことはした。後悔するなら、もっと前に、二人が生きている間にちがう選択をした。今さら嘆かない。そうとしか思えなかった。

母は聡明で、映画でも小説でもいつも私といっしょに読んで感想を語り合っていました。でも晩年に購読していた「民主文学」の短編小説のひとつを「たいそうよかった」と、あらすじを話してくれて、それならと私も読んだら、どこにもそんな小説はなく、どうやら母はもう小説の筋が追えず、自分で作った話にしているのだろうと思う他なかった。
 別に愕然ともしなかった。ああこうなるのだなという発見だけがありました。自分もいずれはこうなるのだなと思いました。それも特に恐くもなかった。

きれい好きで華やかだった叔母も病室で最後に着ていたのは、誰かに買ってもらった地味な味気ない灰色のパジャマでした。彼女の口からただよって来るヨーグルトに似た腐臭の記憶に私は叔母の死後数年、ヨーグルトが食べられなかった。そして死後数年は、叔母のマンションの片づけに向かう途中、本能的に叔母のいた近くの病院に行く道に車を向けようとする癖も、ずっと治りませんでした。

そんなさまざまが刻み込まれた数年に、これまた私が考えていたことの一つは「子どもがいなくて本当によかった。こんな苦労を私のために誰にもしてほしくない」でした。

ただ今は、家族はいなくても遠い親族には、特に顔も知らない若い人たちには迷惑をかけるかもしれないと、それだけはちょっと気がかりで、何とかしなきゃと思っています。

「参考にします」という言い方は、昔なら多分非常に失礼な言い方だったと思いますが、今はAIの判断では(ネットで検索して見たところ)、特に失礼じゃないということになってるようです。そりゃAIはそれで生きてるんだし、それで食ってるやつですからね。そうなるのも当然かと(笑)。

でも私は、こういう自分の生き方や関わり方が、どなたかの参考になるとは思えませんね、正直のところ、あんまり。いろんな意味で、あらゆる意味で。

昔、大学で組合活動をしていたころ、私はよく、「私がやれることが、あの人にできないはずがない」という言い方や考え方を基本にしているらしい人が多いのに対し、いつも考えていたのは「この私がすることが、どんな他人にもできるはずないじゃないの」でした。おかげで腹も立たなかったし、不満も抱かずにすんでいた。今もAIも含めて、どんな人にも、「私にできることが、あんたにできるわけがないじゃないの、たかがあんたにできるような、そんな生き方、生まれてこのかたしたことも、しようと思ったこともないわ」と私は普通に考えています。

あ、今後は、この手の発言は、「テロリストの心」の方に回すかもしれません。そこの投稿が今少ないし、あとで検索するのに便利なので。よろしくお願いいたします。

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カツジ猫