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年寄りと家

連日の寒さにもかかわらず、庭のシクラメンは真紅に元気に咲いている。最初に植えたピンクの花もかわいらしく元気だ。

少し前から、老人の家や生活が衰えて荒れ気味になるのを見て、栄枯盛衰みたいな安っぽい感傷にひたるやつが大嫌いとか、将来自分が片づけなければならないかとあわてて、廃人や廃墟の処理をするような関わり方をするのも情けないとか書いて、多分いろんな人から引かれてると思うが、こういうことは人によっても千差万別だから、いちがいに説明はしにくい。以下にとりとめもなく書き散らかして補充するから、それこそ適当に「参考に」してほしい。

私の周囲や友人知人その他の人々についても、このようなことは皆それぞれにちがう。立派な研究者の先生方でも、わりと若い頃から「家に人は上げないことにした。近くの喫茶店で仕事の打ち合わせも皆すませる」と、何だか楽しそうに語っておられた方もいて、若い私にはそれは何だかカッコよく思えたものだ。その一方でお正月には研究室の学生が皆晴れ着でご自宅に訪問するのが年中行事になっていて、中にはお亡くなりになるまで、病院で見舞いの学生たちを歓迎し談笑しておられて、あれはあれで立派なもんだと若い同年輩の同僚と(ふだんはあまり意見も感覚も合う方ではなかったのに)妙に共感し感心したこともある。

これは大学関係ではないが、保守というよりばりばり革新系の方だったが、お家は庭も中もいつも料亭のようにきれいで、もてなしもお洒落で行き届いていた方がいらした。その人は私の家に来たことはなかったのに、誰かから聞いたのか町のあちこちで私の家を「ごみためみたいらしいですな」と言って回っていたらしく、それを人から聞いたときには、あああのような生活ぶりを生きがいにしておられる方なのだろうなと、妙に得心したものだ。最後までその状態を保つことがお出来になられたのかどうか、今その家や庭がどうなっているか私はまったく知らないし興味がない。立派なままでも変わり果てていても、私にはまるでどうでもいいことだ。

私の家はごみためほどではないにしても、いつも散らかっていたし、田舎の母の家はマジモンのごみ屋敷だった。それでもよく人が来ていたし、戸外での社会活動や全力を注ぎ込む創作や研究にも時間をとられていたから、家族の誰か(配偶者や子どもたちやお手伝いさん)がいない限り、掃除や片づけをする余裕などありようがなかった。それがかえって、くつろぐと感じていたらしい人も多かった。

家族や知人、遠距離の子どもたち、などなどが家に訪れて快適な環境で幸福になり、元気になって去って行くのを誇りに思い喜びとする人は少なくない。適当に、あるいは過度に散らかって汚れていても、それを楽しい美しいと思って楽しむ訪問者もまた多い。
 それらのどちらも、最後まで維持できるかどうかはわからない。家族や使用人、公共の援助によって、それがある程度保てる人もいるだろうし、どこかでそれが限界を迎えて崩壊し、ゴミ屋敷と化した中で暮らすようになる人もいるだろう。そうなった家や人も数多く見た。私はそれで失望もしなかったし、悲哀も感じなかった。そういう生活に移行されたのだな、変化したのだなと思うだけだった。知人の話では、近所のお客好きできれい好きなご夫婦が最近では疲れたらしくて、家に人は上げないで玄関先で応対するようになった(私はとっくにそうしている、と友人は笑っていた)とのことだったが、そういうことも多いはずだ。

だが、それが本当に危険なまでの衰えか、憂慮しなければならない緊急事態か、当人たちが救いを求めているのかどうかそれなりに幸福なのか、判断するのは難しい。至難のわざと言ってもいい。
 私などは、荒れて散らかり汚れた家で暮らしていても、別にちっとも不幸ではない。汚れた便器に新しい洗剤をつけて、ぴかぴかに磨き上げるのは楽しいし、寸暇を盗んで、ほこりまみれの靴を磨いてつやつやにすると、宝飾品を買ったような喜びを味わう。片づかないごみとがらくたの山をながめて、あれやこれをどう処理しようかと長期短期の計画をめぐらすのも実は楽しい。
 たまに訪れる友人知人は、どんな生活を見られても、別にかまわないし相手も気にしない人ばかりだし、しょうもない感傷にひたったり、あっちこっちで赤の他人に人の家の評判をしたりするようなことはまずない。と言うより、そんな考え方や生き方をしていない。ごみのなかで私としゃべっているだけで、たがいに満足する人たちだ。
 それでも、そんな人たちの来訪にそなえて、ちょこっとあたりを片づけたり掃除機をかけたり花を飾って食べ物を準備するのは楽しいし、彼らが帰った後で、いつもよりきれいになった部屋の中で過ごすのは、これまた快適で悪くない。
 去年か一昨年、大したことのない手術で数日入院したが、その前に荒れた庭で、いいかげんな仕事をしながら、それでも私は痛切に「ああ、どうか無事で、この家に、この庭に、この生活に帰って来たい」と祈っている自分に気がついた。少なくともその程度には、私は今のこの暮らしを愛しているし、満足しているのだと、あらためて知った。

老いた親の家や知人の家や、その暮らしを見たときに、それが汚れて古びて衰えて、昔ほど自分にとって、心安らぐ幸福な世界ではなくなったと感じた時に、それはただ、その親や恩師や老人が、人を喜ばせたり尽くしたりすることにもう疲れて飽いて、手抜きで楽に自分のためだけに生きることに決めたからなのか、それとも本当に疲れて不幸で孤独で助けを求めているのか、せめて、そこの判断は慎重にしてほしい。前者なら、むしろ自分がそれまで甘えていたのを反省して、家事をやめて妻や母を卒業したと宣言する女性に対するように、新時代を迎えた気分で、せいぜいいっしょに安らいでいてほしい。後者なら、ただのこわれものの廃棄物と化した人間や家を処理しようと焦るような安易な覚悟ではなく、自分の暮らしを捧げるほどの、全身全霊をかけて金銭的にも時間的にも関わって、人と家との再生に取り組むべきだ。

よく、生まれた子どもを育てるのは、未来があるし楽しいし、どんなに苦しくてもいつかは終わると思うと救われるが、高齢者の介護には未来がないし行く手が見えないと言う人がいる。いやいや子どもの未来だって不治の病や犯罪や事故やその他、予測はつかないし、いつか終わるという保障はない。高齢者の場合はむしろ、その内に死ぬっていう希望や期待は見えやすいんじゃないですか。それに、そこまで放置して自分の暮らしや家庭やに没入専念してきた分の借財を請求されてると思ったら、腹は立たないんじゃないですか。それに目をつぶって放置しようというならそれもいいですが、その記憶はずっと残って、それこそ死の直前まで、生き方が左右され、性格にも影響与えられるんじゃないですか。

私も自分が滅びたらおしまいだと思ったから、母も叔母も家族も、結局は放置しました。できる限りのことはしたけど、それが充分だったかどうかなんてわかりません。若い時からそうやって、家族親族世間友人知人に尽くされて救われて、恩も返さず生きて来ました。社会にも、世界にも、歴史にも。
 それが変質し、失われたからと言って、だからしみじみもしないし、感傷にもひたらないと言ってるんです。私の力が足りなかった。私がそれらを守れなかった。それを実感するだけです。だからって、自分も責めませんけどね。

仕事や会議や研究で、へたりつくして、よれよれで、それでも叔母のマンションに行って、手伝いやおしゃべりをして帰る深夜、どこかもわからない道のそばで、意識朦朧として車をとめて爆睡して、「これ以上は続けられない」「将来どんな後悔をしても、これ以上はもう私にはできない」という決意や選択をいくつしたことか。今でも、まざまざ思い出せます。田舎の母の家に数時間かけて車をとばすときも同じでした。「これで将来、二人を捨てたと思うにしても、そんな後悔をするぐらいなら、今この決断はしない」と決めて、手を抜き、放置し無視することを選びました。政治や社会への活動もそれと同じ。どんな結果に終わるにしても、それは私の責任です。ひとごとじゃないけど、泣き言も言わない。

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カツジ猫