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研究の今後

いささか古い話だが、海外ドラマ「セックス・アンド・ザ・シティ」で、四人のヒロインの中のひとり、弁護士として一応ちゃんと活躍しているミランダが、毛ジラミに感染したことから、これまで肉体関係を持った男性を思い出してリストにして、感染源を確認する作業をする必要に迫られる(書いてると実にくだらないなあ)話がある。

その相手の数が予想以上に多かったことから彼女は、よくもこれだけ男と寝ながら弁護士の仕事をやって来れたものだ、と自分で驚く。

私は毛ジラミにもセックスフレンドにも関係がないが、小説を書いたり推しにはまったり、関係ない趣味に溺れまくりながら、実感としてはいつも片手間で専門の国文学の研究と大学教員の仕事をこなして来て、その点ではミランダと似た、「よくもこれだけ何にもならないことをしながら、一応の仕事を果たしてきたものだ」と実感する。

それでも、生活の支えとなる収入を得る仕事として、絶対に手を抜かなかったし、全力投球はしていたという自覚もある。それは幼いころからそうだったが、自分の空想や夢の世界を楽しむためには、現実の学校生活、家庭生活を楽しい万全のものにしておかなければ、安らかに誰も知らない架空の世界へ没入できなかった。論文の締め切り、友人関係、家庭の事情、そんなものがかけらも不完全で不安で気にかかっていては、夢の世界で遊べない。申し分のない子どもとして優等生として社会人として完璧であることが、空想や創作を支えるには必要だった。昔から私にとって空想や夢は、現実からの逃避だったことは一度もない。現実などのために、空想と孤独の世界を汚したり傷つけたりはしたくなかった。現実はただ私の空想と孤独を守るための城壁であり、シールドであり、だからこそ貴重で大切なものだった。だから、そこだけを見てライバル意識を燃やされたり仲間意識を持たれたり憧れられたりすることは、私にとってただひたすらに不愉快で危険でとことん嫌悪すべきものでしかなかった。

むしろ、私にとっての「現実」とは、強大な城壁に守られた広大な都を豊かにし、堅固に長く支えるために、城壁外に作られた田畑や果樹園や牧場、周辺の世界との交易のようなものだった。それらがなければ、城壁の中の空想や孤独も、痩せて貧しいひよわなものになっていたはずだ。城壁の中の誰も知らない都を守り育てるために、城壁の外に私が築いて育てた世界は、すばらしい喜びの数々もまた私にもたらしてくれた。現実はそのように私にとって、貴重で重要なものだった。

その中心に研究と教育があった。それはどちらも大切で欠かせない、私を支えるものだった。そして、城壁の中の世界を満喫する幸福の謝礼として感謝として貢物として、世界と人類と未来に私が捧げるものでもあった。
 研究者として私が作った業績は、多分今までほとんど手つかずだった、江戸時代の紀行文学の全体を俯瞰して、大ざっぱな概観を示したことだろう。そして、その江戸時代の紀行文学の最終的な到達点として、これまでは蔵書家と馬琴の友人としてしか知られていなかった小津久足を発見し指摘したことだろう。そこに至るまでの膨大な作業や検討は大変だったが楽しかったし、何より手抜きもごまかしもなく確信を得て断言できる、満足感と達成感を私は得た。これは誰でも味わえるものではないし、生まれて来てよかったと思うぐらいの幸福だった。

これでもう江戸時代の紀行文学史は後戻りすることはないと安心していたけれど、最近でもやっぱり昔ながらの見解で書かれたものは少なくないし、小津久足の紀行文学者としての功績についても、最初に指摘し発見したのは私ではなく別の人のように扱われていることもある。
 だがそれは私は気にならない。私の説であれ私自身であれ、それが埋もれて忘れられても、少なくとも前者がまったく消えるということはさすがにあるまいし、私個人については誰の業績になろうが、それは大したことではない。江戸紀行文学史と小津久足を、私は自分の味わった幸福や生活の安定の謝礼として、時代と世の中に差し出すことができたのだし、その義務を果たしただけで私には充分だ。

これだけでも満足なのに、最近ふらりと読んだ「おくのほそ道」についての本の著者序文の中で、私の紀行文学研究が紹介されていて、そこで私が、「紀行や日記というものは、決して事実をそのまま記したものではなく、語り手や書き手によって選択し構成された創作だ」ということを言っているのに、共感し励まされて、自分もこの本を書いた、というような感じのことが書かれていた。

そこで初めて私は気づいた。今まで誰も指摘も評価もしてくれなかったことだった。紀行文学と同様に、文庫本を出した「平家物語」もそうだが、私は結局、紀行も軍記物も、記録や歴史ではなく、あくまで「虚構」の「文学」であるという観点と主張を常に意識し発信してきていたことに。

江戸紀行と平家物語に関する私の研究者としての姿勢は明らかにちがっていた。前者は妻、後者は愛人という意識だと例えて恩師にそのたとえの女性らしからなさを笑われたりしたが、それは私の実感だった。江戸紀行にはあくまでも愚直なまでに、資料調査や書誌調査といった専門的な態度で臨んだ。ひきかえて平家物語には、推しに対するのとも似た、執着と愛情を武器に取り組んだ。
 しかし、その両者が実は結局最終的には、著名無名すべてを通して、文学として扱われない面も持っていた作品の「虚構性」を指摘し「文学としての再評価」を求めるものであったことに、私は気がついたのだ。

それは私にしかできない、そして先の例えを使うなら、城壁の中の都を築いていない人間には決してできない、私の時代と社会へ捧げる供物だった。どんなにささやかでも、たとえ時間に埋もれても消えても、私がそれを捧げたことは、世の中や未来にとって、喜んでもらえることを私は疑っていない。

研究とは私にとって、そのようなものであった。別に自慢ではないが、絶対に私にしか出来ない仕事だった。生まれたことに感謝し、その感謝を返せたことに満足できる、かけがえのない幸福だった。

ここ数年の創作活動に費やした時間、日に日に衰えの迫る身体、その他もろもろを考えたとき、もはや私にできるこの方面の仕事はいくらも残ってはいないだろう。それでも、運がよければなお、次のようないくつかの仕事に向かって進みたい。

1)「紀行文学全集」の仕事。数十年もかけてまだ完成しない作業は、さまざまな人に迷惑をかけつづけている。できるだけ早急にそれを整理し、何とかかたちのあるものにしたい。

2)地元の方々とやっている、地域の俳書の翻刻作業。先輩から引き継いだ仕事であるが、さまざまな発見や喜びがあり、一般の方々と専門家をつなぐ仕事としても、可能性をさぐり、成果をめざしたい。政治や社会に関わる活動から引いた私の、社会への責任をはたす仕事の一環でもある。

3)出身大学の非常勤として出講している年に二回の集中講義。私はいつも、何らかの「教育」を行うことで、「研究」のめやすをつかんで来た。すぐれた人や組織に認められることよりも、初心者や素人に、どれだけ正確で最高級の知識と知性を手渡せるかが、いつも私の良心と精力の根源となり基準となった。
 現職のころから、それとなく夢見ていた構想があった。ひとつは、自分の「文学概論」、ひとつは、自分の「文学史」を作ることだった。研究室の本棚やファイルにも、いつもその二つのタイトルだけはあった。
 それはいつの間にか、授業用のテキストとして「金時計文庫」の数々として、ひとりでに完成した。ともに自費出版のささやかなパンフレットだが、私の目的はここでも果たされ、満足している。
 あとは、教育としての仕事を続けられる限り、これらのテキストを基本として、最新の研究の成果を補充し修正して行けばよい。

4)新進気鋭の後輩や教え子たちの活躍や仕事は、その点でも見ていて楽しいし、助けになるし、心が躍る。とは言え、まだ私にしか書けないこと、まとめたいこともあるなと感じる。今さら出版社や研究誌に発表するために、それらを整える余裕はない。だから、それは今後は、創作活動と同じく、Amazonの自費出版を利用して、好きなかたちに編集したものを、発売して行こうと計画している。それが一番エネルギーを使わないでやれる方法だろうと判断している。

以上、病気の療養や体力や知力の減退などなどを考えると、どこまでやれるかは見当もつかない。しかし、とにかく生き延びながら、できるだけのことをするしかない。先に述べた「虚構」の話ではないが、私のこういった予定は、まとめ方次第で、悲壮にも愉快にも、すさまじい冒険にも、楽しげな日々にも、どうにでも描けるだろう。人がどうとろうと勝手だが、私のことも自分のこともろくに知りもしない人が、安易に共感や憧憬や羨望を垂れ流してすりよって来るのだけは、どうか勘弁してほしい。人は孤独で、赤の他人の何かを利用できるほど、似た人生など、この世の中にそうそうはない。やるならせめて、一人でこっそりやってくれ。見せびらかすのはみっともなさすぎる。

さてそこで、これらの私の人生の最終活動を保障するのは、何よりもまず、環境で、具体的には家と庭なのである。次回はそれについて書く。

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カツジ猫