創作活動の今後
終活レポート第四弾です。
五年前に大病をした。前から時々やばいと思っていた部位だったから、そう青天の霹靂ではなかったが、あまり残された時間がないかもしれないから、それに合わせて生活を変える必要は感じた。
とりあえず、政治や社会に関する活動からは手を引いた。それで余裕ができた時間を何に回そうかと思ったとき、死ぬまでに完成させておきたい仕事として、四十年前から書きかけてそのままにしている小説の完成をめざした。一年ほどでそれを書き上げ、さらに後編や続編を数年かけて補充した。病気の療養はしていたが、精神的な不安や落ちこみといったストレスがまったくなかったのは、それどころではないそんなひまは一秒もないと思うほど、仕事を仕上げることに全力集中していて、それがめっぽう楽しかったからだ。
それに引き続いて、ホームページで公開していた長編小説を、電子書籍と紙本で出版した。いつかはやりたいと思っていたが、これももうこの機会しかないと思った。結果として最近それもほぼ仕上げた。
幼いときから、いつも空想し妄想し、紙切れや教科書のはしに小説を書いていた。三十代の終わりに名古屋の大学にいたころ、友人たちと合作のかたちで、それらの中でまとまったものを、「鳩時計文庫」として自費出版した。金も時間も恐ろしいほど使ったが、以下の八冊が完成した。
青い地平線
A高野球部日誌
吉野の雪
水の王子1・2
水の王子3・4
細菌群
従順すぎる妹
ユサイアの子ら
この中で「水の王子」だけが、未完成だった。それを今回仕上げて補充し、さらにその後、今の大学で作っていたサイトに掲載していた、映画感想関係の小説を出版して、次の十六冊を自費出版した。いわば鳩時計文庫の第二期である。
水の王子5
水の王子6・7
水の王子8・9・10
水の王子11・12・13
水の王子14・15
砂と手・ローマ
砂と手・戦友
砂と手・皇女
砂と手・アフリカ
砂と手・コロセウム
砂と手・家
砂と手・季節
砂と手・予言
馬の中・炎
馬の中・風
馬の中・夜
他にも出版社から出版したエッセイや小説も少しあるが、私の主要な創作は、この「鳩時計文庫」シリーズに集約されていると言っていい。そして、こんなことが可能になった、この時代のネット状況、それを十二分に活用することを可能にした、すぐれたパソコン担当者で共同編集者といってもよいdynamis life様の存在には、深く感謝し自分の幸運をことほぐしかない。
かつての一時期、大手の出版社の雑誌に掲載してもらったり、本を出してもらったりした間の、編集者の方々の支援や協力には、今でも深く感謝しているし、これまたお礼のことばもない。当時読者や編集者に指摘されていた自分の作品の欠点や未熟さも、今は当時よりさらによくわかる。それでも私は、どの作品も当時にはなかった新しさを持っていること、それは指導や忠告によって変化させては失われる恐れもあることを知っていた。そこを工夫し妥協して世の中に受け入れられる努力をするのは、本職の研究や教育を第一にしていなければならない状況では許されなかった。そのこともいつも自覚していた。
「鳩時計文庫」の第一期も第二期も、結局はそんな中で、最も時間を節約しエネルギーを無駄にしない方法として選択した決断だった。今考えてもそれは正しかった、と言うよりそれしかなかった。そうやって私は自分の中にある狂気と異常を守りきり、文字としてこの世に出現させ固定した。たとえそう長く残らず消え去るにしても、それは私が生きていく上で必要なことだった。
それにしても、危険な選択にはちがいなかった。第一期でも第二期でも。特に五年前、残された時間がどれだけあるかを読めないとき、研究者としてのやりかけの仕事をあとまわしにして、こちらを優先させるのは、まさにある意味狂気だった。出版社やその他の人々に多大な犠牲と迷惑をしいることもわかっていた。その時点で母も近しい親族も愛猫キャラメルも死んで、ほぼ天涯孤独になっていたことも、いくらかは私を楽にしたかもしれない。家族は先月亡くなった最後の飼い猫カツジだけで、それを入院中に安心して託することのできた三人の友人知人は、そういう点でも私のかけがえのない人たちとなった。
思えば幼いころからずっと、私は空想し小説を書くことを恥ずかしいことと思い、人に知られないよう隠して来た。世の中の人たちに気づかれないようごまかしつつ、無難な作品を発表することはあっても、常に健全な市民、まっとうな公務員という自分の立場を優先させ、創作はいつも日陰の存在だった。それは私が持ち続けた禁制の毒薬、危険な爆薬、かくまい続ける犯罪者で、うっかりと人に見せれば逮捕され処刑され精神病院に送り込まれてロボトミー手術をされかねないかもしれないものだった。そんなのは思い過ごし、考えすぎと笑う人が、そうなった時、何の責任をとってくれるというのか。それも私はわかっていた。
だからこそ、残された時間が読めなくなった時点で、人生で初めて、そうやって隠し通して来たもののケアを最優先にするしかないと思った。人目をごまかして逃げ延びるだけの変装をさせて、私のもとから逃亡させるためにも。
医学やその他の僥倖を得て、思ったよりも私は生き延び、今その予定は、ほぼ完了した。それに安堵するとともに、それも予測の内だったが、その間に放置して荒れ果てつくした日常生活(具体的には家と庭)と、専門の研究活動を、歯をくいしばって私は見つめている。何もかも覚悟の上だった。そして、到底もう完成は無理だと思っていた、鳩時計文庫の未完の作品の数々が、奇跡としか思えないほど満足度の高いものとして完成したことを思えば、日常生活も研究生活も、ここからとんでもないスピードで修復して完璧な成果をあげるだけの時間は、まだ残されているかもしれないとも思う。やって見なければわからない。私のすること、できることなど、私も含めて誰にも予想がつきはしない。
だが、そう思っているそばから、「マクベス」の魔女の呪文が思い出される。彼女らが「コーンウォールのご領主万歳!」と予言して、その実現に喜ばせ、それに続いた「国王万歳!」の予言も実現するかと期待させ、野望を抱かせて地獄へ落としたあの手法だ。
それはさておき、今後私は空想や創作をどうやって死ぬまで続けて行くのだろう。これ以後の人生で多分私の主要な柱は、日常生活と研究生活にシフトする。両者はたがいを支え合い、絶妙なバランスも要求される。
その中で、空想や創作は、あくまでささやかな存在となるだろう。とは言え「二本の柱」で書いた人生最後の偉大な作品を生み出すことにつながる要素もここにはある。たとえば猫たちとの思い出。たとえば数しれない「推し」の存在の文章化。たとえばいまだに私に性的快感をもたらしつづけるみだらな空想のポルノ化。たとえば鳩時計文庫の下手な挿絵で味をしめたイラストや絵画とのコラボ。どう転がってどこまで行くか、まだ私にはわからない♬
なお、鳩時計文庫の作品ほぼすべては、このホームページで読めます。またAmazonで出版されており、紙本と電子書籍があります。
