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私を一人にしておいて(3)

(2)から続きます。
 もちろん、死にかけてる人や弱ってる人の中には、「あなたがいないと困ります」「あなたがいないとどうしていいかわからない」「あなたを待っています」「あなたにいてほしい」「あなたに帰って来てほしい」と言われて、力づいてはげまされて、元気を取り戻して生き返る人もきっといると思います。そういう人の方が多いかもしれない。だからこれは、はげましや力づけることばとして有効な場合も多いでしょう。ですから、以下に述べるような私の気分は、どうかぜひくれぐれも一般化しないで下さい。本当に!

その上で申し上げますと、こう言われたときに私がとっさに感じるのは「えええ~~~?」ということです。さらにその内容を申し上げると「ええ加減にせい」「甘ったれるんじゃねえ」です。「どこまで人をこき使うんだ」「もういい加減に解放して」です。ついでに言うと「結局あんたたちと手は切れないのか」「この世では休ませてもらえないのか」「どこどこまでもしぼりつくされて、すりきれるまで使われるのか」「あーもう死にたい」です(笑)。だから全然はげましにも呼び戻しにもならない。黄泉の国へと追いやることばです(笑)。

もちろんそんなことは私はどれも口にしません。と言うのは同時に私は「これも自業自得だなあ」ひいては「私の人生は失敗だったな」とも考えていますから。惜しまれながら死ぬなんて、だから全然満足じゃないし幸福じゃないし、もちろん目的でもない。反省と自己嫌悪しかありません。「今度生まれてくるとしたら、もうちょっとちがうようになるようにがんばろう」と思うのが、きっとわずかな救いでしょう。

これもまた、いつからなのか思い出せないほど昔から、私がいつもめざしていたのは、「私がいなくても皆が幸福になる世界」「私がいなくてもすべてがうまく行く世界」でした。

小学校の校舎の裏に大きな池がありました。どうってことない殺風景なその岸辺に小さな柳かなんかの木がありました。地面はコンクリートで固めてあり、校舎の陰の小さな空間になっていました。
 休み時間などに私はよくそこに行って、一人で過ごしていました。その間、壁一つ隔てた向こうの教室では皆が楽しそうに笑って遊んでいました。そこには対立もいじめもなく、皆が仲良しで幸福なことを私は知っていました。全力をあげてそうなるように努力していたからです。自分も皆といっしょにおしゃべりして盛り上げて誰も落とさないように、幸福で平和で楽しいクラスを作って、そうやっておいて、誰にも気づかれないように、そっと自分は抜け出して一人になる。それが私の最高の幸福でした。気づかれない程度にそうやって過ごして、やがて戻って平穏も秩序も壊れていないかを点検する。問題が何かあれば、さりげなく解決しておく。私の一日はいつもそうやって終わっていました。

そりゃ、へまも失敗も見落としもいっぱいあったことでしょうよ。でも、そのころからずっと、それが私の生きる目的でした。一人でいてもじゃまされない生き方を守るために、私がいなくてもすべてがうまく行く幸福な世界を作り続けて、維持することが。

ちなみに、ときどき自分の書く小説の中で、全部じゃないけど、こういう面を持った人を登場させると、私の周辺の人の中に、異様に激しく反発し、その人物をきらう人がいることがあります。そんな時に私は、あー、この人は私の本質を知ったら、きっと私が大嫌いになるんだろうなと確信しますが、別にかまわないと思っています(笑)。

まあ、これについては、もうちょっと詳しく書こうかな、次回に。
 それにしても、あの池はまだあるのかしら。柳の木は大きくなったのかしら、枯れるか切られるかしたのかしら。今度故郷に帰ったときに、こっそり見に行ってみようかな。

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カツジ猫