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「水の王子」通信(161)

「水の王子  山が」余談 第三話「それぞれの愛」(5)

【タカヒコネの独白】

ニニギは鋭いほうじゃない。そこがいい。だから、つっこんで来なかった。それがわかって、おれも話した。
 本当はオオクニヌシは、あのときのおれの嘘をよくわかっていたのだと思う。あれだけきっぱり、誰かをうらやましいと思ったことなどないと言うのは、うらやましいと思ったことがあるに決まっているということぐらい。
 それがタケミナカタということまでは、わかっていたのかどうか知らぬが。
     ※
 タケミナカタは、おれたちの前ではふつうに父親のことをおやじと呼んでた。だが、おれと二人きりの時など、どうかすると気を許すのか、父さんがこうしたああしたそう言ったと、口を滑らすことがあった。それに自分で気づいていたかはわからない。おれはいつも聞き流して気づいた様子も見せなかったから。だが、いつからか、そもそものはじめからか、彼が父さんと言うときに浮かべるあたたかい楽しげな安らかな表情が、心に残るようになった。おれが知らないものなのに、どこかで知っている気もしたのだ。
 おやじさんに怒られたことあるのかと聞くと、彼は大きな声で笑って、「もう、しょっちゅう。小さいころからよくぽこぽこ頭をげんこつでたたかれた。ちっとも痛くなかったけど」と言った。「あれはいけないこれはだめって、母さんよりもやかましかったな」
 そうだ、今思えば彼は母さんとも言っていたのだ。なのにおれはなぜかそっちはあまり気にならなかった。なぜか、自分でもわからない。
 そこのところを、おれはもうちょっとよく考えておくべきだった。そうしたら、あんなことを言ったりはしなかったのに。
 「おれがおやじを一番すごいと思うのは」タケミナカタはこうも言った。「一度も人を殺したことがないってことだ」
 「本当に? そんなことできるのかなあ。一応、村の長なんだろう?」
 「運がよかっただけさ、って笑うんだけどね。やっぱりそれでも、すごいと思うよ」
 「スサノオは大きなヘビを殺して、この都を作ったらしいんだけど、もちろんその前に戦ってたくさんの敵を倒して来てるからな」
 「父さんはけものや鳥も、ほとんど殺さないもんなあ。けがしてる動物は治してやって逃したりしてるし」
 そんなことを話したこともある。
     ※
 身体をこわしてからというもの、おれは酒が弱くなった。すぐに酔って眠ってしまう。そんな時、気がつくとひきつけられるようにオオクニヌシの膝に頭をのせて寝るようになっていた。大きな厚い膝だった。
 自分でも情けないほど、心からなぜか安心してしまう。それでいて、これがなくなったらどうしようとか、どうしてもこれを守らなくちゃいけないとか、もどかしいほど感じてしまう。
 おれはもちろん人前ではオオクニヌシを父さんと呼ぶのは、気をつけてひかえていた。家の中でもそうだった。だが、そうして寝ている時だけは、安らかなのに心が乱れて、けっこう父さん父さんと連発していたらしい。ひどい時にはスセリやスクナビコにまで、父さんの酒をつぎたしておかないととか、父さんがああ言ってこう言ってとか、寝ぼけ半分口走って二人があきれていたようだった。
 「本当に気を許した相手にはでれでれよね」とスクナビコが感心し、「タケミナカタにもこんなところがあったものね」とスセリが言っているのを聞いたような気もする。
 そんなある日、スセリが台所で器を洗いながら、野菜を切っていたおれに、「ねえ」とくったくなく呼びかけた。「そろそろ私のことも母さんと呼んでくれてもいいんじゃない?」
     ※
 「だめです」と、おれは思わず言ってしまった。背を向けたまま、野菜を刻む手もとめずに。言ってたちまち、しまったと思った。包丁をおいて、ふり向いた。
 スセリは目を丸くして、おれを見つめていた。あんまりきっぱり、予想もしない答えが来たので、びっくりしたらしい。それでおれもまた、とり乱してしまった。「だってあなたは母さんじゃない。スセリです」と、おれは続けた。「いつだってあなたは、おれにとって、スセリです。母さんじゃなくて―」そのへんでさすがに何だかとんでもないことを言いはじめているのに気がついて「ちがうんです」と言い直した。「そんな意味じゃなくて、おかしな意味じゃなくて、ただあなたはおれにとっては、ずっと、スセリだから、母さんなんかじゃなくて、ずっとスセリだから。あの本当に、変な意味で言ってるんじゃなくて」
 スセリはうなずいて、笑った。「わかっているわよ。心配しないで」そして近づいて、おれの腕をしっかり握った。「大丈夫だから。わかっているから」
 おれが何も言えないでいると、彼女はくり返した。「心配しないでいいの。私は決して、まちがえないから」そしてやさしくつけ加えた。「そう言ってくれて、とてもうれしいわ」

【勇気の根源】

スセリからその話を聞いたとき、スクナビコのシタテルヒメは白髪の眉を上げてぴくぴくさせ、「まあ!」と言った。
 「あの人の言ったとおり、変な意味じゃないのだけどね」スセリは言い訳した。「ただ何か、そういう気持ちらしいわよ」
 「でしょうとも!」スクナビコは言い返した。「こうなったら、ちょっと急がなきゃならないわ」
 「あら、何を?」
 「この能力を持ったままで、元の姿に戻る方法を見つけること」
 「そんなこと、できないんでしょう?」
 「まだ今はね」スクナビコは難しい顔をした。「ちょっと無理。とても無理。かなり無理」
 「あせることないんじゃないの?」スセリはなだめた。「失敗でもしたら大変じゃない」
 「そうは言っても急がなきゃ」スクナビコは腕組みをして、あごをさすった。「彼がお母さまと道ならぬ恋にふみこんでしまわない内に」
 「バカね」スセリは吹き出した。「そんなこと、あり得ませんたら」
 「わかるもんですか。用心に越したことないわ。私が前の姿になって、そしてそばにいれば」
 「彼があなたに目を奪われる?」スセリはあきれたような目をした。「彼が好きなの、シタテルヒメ?」
 「うーん、まあね、悪くはないわ。何よりお母さまと私とのどっちにひかれるか、知りたいわ」
 「いっそ、今の姿のまま、それを試してみたらどうかしらね」スセリはまじめな顔で言った。「とにかく早まって、何だか変なかたちのものになっちゃったりしたらいやよ」
 「どんな姿になったって、どんなものになったって、お母さまは私を愛して下さる」スクナビコは笑った。「それがわかっているから私は安心して、どんな冒険でもできるのよ」

水の王子「山が」余談 完  2023.3.21.

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