「水の王子」通信(180)
「水の王子 空へ」第十九回
【笑うイザナミ】
「それよりもはっきりと、あの女の気配を感じたのは、そのもうちょっと後ですわ」タケミカヅチは言った。「ワカヒコさまは驚くほど早く体力をとり戻して来られましたが、まだ甲板の上を鳥のように自由に飛び回っていた以前とは及びもつかなかった。足どりもどうかすると、おぼつかなくて、上手にかくしておられたから誰も気がつかなかったが、回りに人がいないときは、さりげなく積荷によりかかって息を切らしておられたりした。ある時たまたまそばにはタヂカラオと私しかいなくて、それで気がゆるまれたのか、へさきの端のいつもの椅子に座ろうとされて、そこまでどうやって上がろうかと積み荷に手をかけて見上げておられた時、見かねたタヂカラオがいきなり近づいて、小娘にするように抱き上げて椅子の上に、とんと乗っけてしまったのです。おそらく彼にとっては、羽根のように軽かったのでしょうな。不意をうたれたあの方は、すぐに相手が誰か気づいて抵抗もなさいませんでしたが、さすがにのけぞって笑われました」
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「直接お身体にふれたことなど、それまで一度もなかったでしょうから、タヂカラオは自分のしたことに自分で腰を抜かすほど驚いたらしい。風をくらってすっとんで、どこかに逃げてしまいました。だから、その笑い声を聞いたのは私だけでした。それは、あの女の声でした。若々しくて、それはもう幸福そうな、明るい笑い声でした」
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「もちろん私はぎょっとして、ワカヒコさまを見つめました。でもあの方は心配するなと言うように笑って首をふり、今度はちゃんとご自分の声で、大丈夫、その内に出て行ってくれるよとおっしゃいました。しかし、そのお方はお身体がないのではありませんかと、ぶしつけながらお尋ねすると、ワカヒコさまは落ち着いて、その気になったらこの人は空にも溶けるし、人にでも壁にでも何にでもなってしまえるから安心していていいんだと、いとものんきにおっしゃって、それより下りるときにどうするかなあと考えておられた」
「どうしたの?」
「よく覚えておりませんが、私が手をお貸ししましたかな。それともご自分でごまかされましたかな。どのみち、それからもうすぐにご自分で登り降りできるほど足どりもしっかりしてきたし、女の気配も消えました。二人のお子さまを探すには、いっしょにいるより手分けしてさがした方がよいと思われたのかもしれません」
「どうせそれ、ワカヒコの判断だよね。そしてイザナミも納得させられた」
「そんなところでございましょうな」タケミカヅチはうなずいた。「そうであっても驚きませんな」