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「水の王子」通信(56)

あまりというか全然上手に処理できていないのですけど、この絵は実は手前の老女の幼少期の思い出なんです。自分より小さな男の子と二人でたこあげをした時の。

と言ったら、ずっと前のこの記事を思い出される方があるかもしれません。

そこでもちらっと書きましたけど、今まで誰にも話したことがないのですが、私が一番好きだった男の子との思い出と言えば、これなんですよ。別にかくすとかいうつもりもなく、単に忘れていたんですけど。

私はまだほんとに小さくて小学生にはなってたのかなあ。たまたまうちに来ていた男の子と多分大人たちからいっしょに遊ぶように言われて、二人だけで家の前の田んぼで凧あげをしたのです。もう稲も刈り取られて、切り株と畝しか残ってない、広い田んぼです。遠くに村の家があり、その向こうには見慣れた山がありました。たこは多分やっこだこ。もちろん季節は冬だったんでしょう。

その子がいったい誰だったのか。たまたま訪れためったに来ない遠い親戚の子だったのか、それともただの祖父母のお客様の誰かの連れて来た子だったのか、そういうことも何一つ覚えていません。というか、その時でさえ知らなかったんじゃないのかな。私だけじゃなく、相手のその子も私のことを、おたがいに。

今にして思えば私はそんなに小さいころから、守られるより守るのが好き、男性は年上よりも年下が好きでした。昔はそんなのは普通じゃなかったから自分が少数派というのはぼんやりわかっていたけれど、多分中学か高校のころに私は自分のその性向をはっきり自覚し、「いや、まだ年上の人が多い今はこれは不便だけど、長い目で見れば、年をとるほど年下の男性が増えて行って恋愛対象が広がるわけだから、将来の心配はいらないな。すっかり老女になったとき、年上が好きだったらもう回りに誰も好みの人がいなくなるわけで、それより年下好きだったら、年取るほど前途洋々じゃん」と考えて一人ひそかに喜んでいましたっけ。それも人には言ったことないけど。友人にも。家族にも。

まあもっと小さいころは近所の年上の男の子にべたべた甘えてなついてたらしいから、たしかなことはわかりませんけれどね(笑)。

とにかくその時、その小さい男の子をまかされた私は、何の不自然さも不安もなく、その子をつれて、たこあげをしました。その子も年上のお姉さん好きだったのかどうかはわかりませんが、とても素直に人なつこく私についてきました。元気だったけど、おとなしく静かで、どことなく育ちがいいというか、きちんとした感じもあったような。私のそばで気を許して、楽しそうで幸せそうでした。

風が強くてたこはものすごく高く上がって小さくなり、どういうはずみか、糸を持っていたその子の手から糸がはなれてしまい、田んぼの中を糸がみるみる転がって行き、たこはますます遠く小さくなりました。

私は間髪入れずに全力で糸を追って、うねを飛び越えて走りました。今でもその時、身体にみなぎっていた力と自信を思い出せます。絶対に追いつけると思っていたし、必死にさえならなかった。勝利と成功を確信していた。

そして、地面からはなれようとしていた糸をひっつかみ、たこを引き戻して、うねを飛び越えて戻って行くと、男の子は待っていて、無邪気に笑って「ごめんね」と謝りました。「ごめんなさい」だったっけかな。悲しそうとかすまなそうという感じは全然なく、私の力を信じ切っていたという明るさと感謝と信頼があふれていた。いいのよ、と私は言って、二人はまたしばらくたこあげをして遊びました。

彼はそのままおうちの人に連れられて帰って行き、それ以後二度と私は会っていません。彼が誰だったかも知らないままです。家族に聞こうとさえしませんでした。

でも、今ふりかえって、人生で一番愛した異性は、ほんの数時間、一度たこあげしただけの、あの男の子だったと明言できます。顔も声も姿もまったく覚えていないのに、あの笑顔とことばは、ありありとよみがえって来るのです。

彼も生きていたらもう立派なおじいさんですよね。不思議な気がする一方で、私も彼も全然老いてはいない気もします。田んぼのうねも、風の強さも、糸を引くたこの力も、私の中でちっとも古びていない。

…ということを、ある老女の思い出として「村では」の中で短編小説として書こうと思っていたのに、覚えていることほぼ全部書いちゃったじゃないか、どうしよう(笑)。

ちなみに私は、このイラストのようなカッコいいおばあさんではありません(笑)。

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カツジ猫