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「水の王子」通信(60)

「水の王子」第5部「村に」は、1部から4部までの続きでもありますが、一つの独立した作品として読んでいただいてもかまいません。4部までの暗さや鋭さ、重さに比べて、5部は明るく読みやすいというご感想もいただいており、むしろ1~4部への入門編として読んでいただくのもアリかなと思ったりしています。

今回は、各編のタイトルについて少しお話することにします。

これは一応ファンタジーのかたちをとった私自身の自伝でもあるわけで、幼年時代を過ごした樹木がいっぱいの庭に囲まれた田舎の家での生活は、自然に「森から」になりました。ひきつづき私が最もやりたい放題楽しんで友人たちと遊び呆けていた中学から高校時代を「草原を」とするのにも何の違和感もなかった。ここに登場する空を飛ぶ船は、当時の私が通学に利用していた、黄色と緑の車体のガソリンカーってやつの最前列の窓から周囲を見ていたイメージで、とっくにそれは廃線になりましたけど、今でもその緑の中を疾走する爽快感を夢に見ることがあります。広がる空の下、川の上の鉄橋を突っ走る時、まるで空を飛んでいるようでした。主体的に関わり、向かい合い、征服し、一体化する。「草原を」の「を」は私にとって、そういう気分の象徴でもありました。

大学時代の学生運動と政治活動を象徴的に描いた「都には」は、それに引き換え、中途半端な献身と組織活動、自分を捨てたようで捨てきれなかった体験、その中でめぐりあった優れた人たちへの尊敬と違和感、何より私自身の空想や理想が機能せず、小説もまったく書けなかった決定的な喪失感、などなどが表現されています。「には」は、「そこには何かがある」の期待と信頼、「そこにはなかった」自分の本質への渇望がないまぜになって示されています。ずっとあとになっても思い出すことさえ苦痛と不快で出来なかった、苦い時代の記録です。そして、その中でも、かけがえのない人間関係や体験だけが生む確信が生まれて、今も続いていることも忘れるわけには行きません。

「海の」は私の人生の時系列からは外れます。ずっと味わいつづけてきた、女性としてのさまざまな実感と問題点を、とことんここで書き詰めました。外見と内面の落差、社会や周囲からの圧迫、ガラスの天井ならぬ決して突破できない鉄格子、心を殺して岩となるのか、残酷無比に陵辱されることでだけ生きる実感を味わうのか、妥協して受け入れて身体の芯から甘い香りを漂わせつつ腐敗するのか、選択肢はそれ以外にはないように、いつも私には思えました。鉄格子を突破するには不自然なかたちに変形しなくてはならず、そうしたところで他と同じ権利は得られない。何もかも八方塞がりの中で、最後にその世界から連れ出してくれる力になったのは、憎悪と怒りしかなかった。それだけが救い、それだけが支えだった。

このタイトルあたりから、それまでのように自然に生み出されるのではなく、一考を要するようになりました。「海の」は第三部までのように、その時代、その世界に向かう私の姿勢ではなくて、もっと限定的です。それだけ、この問題について、先も周囲も私には見えませんでした。私はただ、鉄格子ごしの、決してかなわぬと知りつつ、あきらめずあこがれる海、広い世界、自由な未来への熱望を、「の」の一文字にこめました。

第四部で少ない読者の中のかなりの人たちが、ヒルコにあこがれた一人の子どもに注目し、愛したのは意外でした。でも考えて見れば、この子はたしかに、この第四部のテーマの中心であり、主人公でもあったのです。そして、それは、第三部のアマテラスやウズメやサグメのように、のびのびと羽ばたく私の理想像や空想の産物ではなく、まぎれもない現実との苦い恐ろしい接点でもありました。

その後、四十年の空白がありますが、前にも書いたように、その間私は何度もこの小説をしめくくる第五部を書いたし、また書き直しました。その間ずっとタイトルをどうするかを考え続けました。
こんなに間があくとは思わずに、自費出版の本の最後に予告を出すとき、とっさにタイトルを「村に」としました。しかしこれは変わる可能性があるとは考えていました。

文字通り、この「村に」は、私のその後の長いようで短い四十年間を描いています。追いかけてくる過去、二つの世界の間の相克、とどまらず固定せず常に変化することでおのれを防衛する共同体、そこでそれぞれの役割を果たす人物たち。日常生活、確実な労働、個性的なセンスの追求、現実と空想の支え合い、などなど。その世界を構築して行くのは私の人生そのものでもあったし、その中でタイトルも「村に」だけではなく「村へ」「村まで」「村と」「村なら」「村よ」「村しか」「村だから」などなど、あらゆるバージョンが生まれていました。

そもそもの最初から、全五部ともタイトルは一見さりげないものにしようとしていました。思わせぶりな深遠なことばは決して使わず、平易な日常語で助詞だけで小さく個性を示そうと。しかし第五部ともなると、この世界を無理なくカバーする「さりげない、日常的な」タイトルはなかなかぴったり来ませんでした。

できればもちろん四部までとの連続性も、ささやかに維持したかった。どんなにちがっているように見えても、すべては私の中でつながっているものですから。その点で迷いはなかったものの、どこまで行ったら悪目立ちしすぎか、どこで止めたら平凡に堕するか、いつも迷って暮らしていました。そもそもこれをひょっとして外国語に訳するときは、これらの助詞はどうなるのだ、と、fromだのforだのofだのと、アルファベットがくるくる頭の中でうずまいていた時期もありました。

「村よ」は感傷が過ぎる。「村まで」はそこで止まってしまう感じで広がりがない。「村だから」や「村なら」は理屈っぽくなりすぎるし、限定したイメージを与えすぎる。「村しか」も消極的で未来が感じられない。「村と」はどことなく甘えすぎで私物化しすぎっぽい。結局、少し影が薄くはなるけれど、イメージを固定せず限定せず、大きく包んで支えるのは「村へ」か「村に」あたりしかない。

村は都でもタカマガハラでもありません。もちろんヨモツクニでもない。ささやかで、ありふれていて、一見平凡で目立たない。どこにでもあるような村に見える。誰もが自分も作れると感じる。いくらでも、どこにでも、いつでも、誰でも作れると。特にタカマガハラのエリートたちの目からは、そう見えるでしょう。

けれども決してそうではない。村はうごめき、変化しつづけ、それを意図しているのかそうでないのかさえ知らせない。あっさり消えるかしれないし、多分あとには何も残さない。その危うさと稀少価値を知っているのは、かけがえがない、失ったら終わりで、誰ももう作れないだろうと感じ、知っているのは、タカマガハラの中でも少数の人々です。おそらく自分自身がそういうかけがえのない存在であり、それを周囲に見破られずに生きてきた数人です。

どこにでもありそう。自分でも作れそう。誰にでもそう思わせて、永遠に消えてしまってさえも、そのかけがえのなさを残された人々のすべてに決して気づかせることはない。喪失感さえ抱かせない。
そういった「村」のあり方と共通し、つながるようなタイトルは、どうやらこの二つぐらいしかなさそうでした。さりげなく、めだたず、どこにでもあるようでいて、決して代わりになるものはない。

最終的に「村へ」ではなく「村に」を選んだのは、何と言おうか、熱量の差です。「村へ」は優しくてひかえめですが、「村に」は強引で荒っぽい。そちらに私は賭けました。そこに向かうにしろ、そこに何かを与えるにしろ、私が自分の人生に求めている関わりは「へ」ではなくて「に」なのです、きっと、あくまでも。

結局最初に適当に予告編で記したとおりになったわけですが、これはまあ偶然です。私は悩みに悩んだし、迷いに迷いました。そして、この四月、びっくりするほど意外なほど、すらすらと第五部が書けて、完成してしまったとき、そのタイトルは「村に」でしかありませんでした。まるで刻印され、焼き付けられているように、自然にそれは作品と一体化していたのです。

こんなことにこだわっていると、芭蕉をはじめとした江戸時代の俳人が、一語一句一文字に拘泥し命を賭けたことが、不思議でも何でもなく納得できるから恐いです。芭蕉が弟子の去来の句、「木枯らしの地まで落とさぬ時雨かな」を「ただ、地迄とかぎりたる迄の字いやし」(地まで、と限定してしまった「まで」の字がいやしい)と評して「地にも落とさぬ時雨かな」と添削して、今はこのかたちで残っていることなんかもね。

そう言えばフォークソング「戦争を知らない子どもたち」の一節で、「許されないなら」の語句を「許されないから」に変更して歌った(歌わせた)バカがいたらしいけど、これもそのたぐいだろうね。まるで意味もニュアンスもがらっと変わってしまうのに。

最近のイラストひとつ。「後日談」用です。まあ中身がとんでもないから、ネタバレにはならんでしょう。建物の色やなんかが新しくて新築っぽいのが味噌かしらん(何のヒントにもなってませんが。笑)。

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カツジ猫