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「水の王子・丘なのに」あとがき(25)/230

三十代の最後に、友人たちと自費出版していた「鳩時計文庫」のひとつとして、「水の王子」を書きはじめた。
 「森から」「草原を」「都には」「海の」「村に」と続いた全五部は、私たちの幼少年時代から学生運動、女性としての生き方などを含めた自分史であり自叙伝であり、それを日本神話をモチーフにしたファンタジー小説として、いわば寓話風に制作した。
 四部「海の」を書いて以来、四十年の空白があったが、去年つまり二〇二二年の四月に、思いがけなく第五部「村に」が完結し、「水の王子」は一応の完成を見た。

私の計画では、これ以後はおまけの後日談として、気軽な短編でも続けて行くつもりで、むしろ本職の国文学の研究に集中する予定だった。しかし、あくまで後日談のつもりの「山が」「空へ」が思いがけなく長編になり、これでおしまいにしようと思っていた、次の三作「畑より」「町で」「丘なのに」が、また予想外に長くなり、この三作を合わせると「村に」とほぼ同量になってしまった。
 これでは時間も体力ももたないので、今度こそ、以後は短い後日談もしくは前日談を、気軽に気ままに本職の片手間に書いて行きたいと思っている。

「丘なのに」を主とした三作について、少し述べる。
 これまでの登場人物の中で、あくまでわずかな読者について言うなら、アマテラスとツクヨミが好きという人が多い。サグメはまあまあだが、ウズメは人気がない。最近ではアメノワカヒコについての評価がさまざまで、好き嫌いの差が人によって激しい。
 そんなこともあって、「丘なのに」の三部作は、何となくワカヒコが登場もしないのに主人公になっている。

最初の五部がそうだったように、後日談や前日談にも私たちの現在や日常は反映していることに、現実の私を知る人は気づくだろう。特に老後や死後についてのあれこれの記事が。若いときの空想とちがって、今の私の年代では、死と未来はかなり身近で親しみ深いものになっている。
 私は自分の教え子に、自分の死後は偲ぶ会や追悼集のたぐいはいっさい作るなと厳命しているのだが、それは私に限ったことではないが、私を理解している人など、どこにもいるわけはなく、思い出を語られたり分析されたりするのが、いやだからだ。しかし自分は死んでいるのに、いやも何もないだろうと考えていて、ふとわかったのは、まったく私を理解していない人がまるで見当違いなことを私について述べたとき、私を愛してくれている人たちが、どれだけ傷つき悲しみ苦しむだろうと思うと、それが何より耐えられないからだという、とても我ながら立派な心がけに起因することに、最近気がついてしまった。かなり図々しい取り越し苦労というべきかもしれない。

それはもちろん、身近であれ遠い存在であれ、個人であれ作品であれ、私が心から愛し理解していると思っているものに対して、ぞんざいで雑で見るに堪えない批評や批判や感想が語られたとき、どれだけ悲しみ苦しんだかという、いくつもの記憶に基づいている。

もちろん、私自身もそうやって、不用意で無神経な発言やことばの数々で、たくさんの人を傷つけてきたのにちがいない。若いときも、そして今も。

「畑より」は最初に予定していた通り、何でもない村の日常だが、「町で」は、アメノワカヒコを愛した人々が、彼の思い出を傷つけられることで苦しみ、自分たちの精神もゆがんで闇に堕ちて行く体験を描いている。「丘なのに」は、直接ワカヒコと関係はないが、やはりことばによって、殺される人々と破壊される町の物語だ。不用意に、無造作に、周囲が常に自分のことばを浄化し容認してくれることを当然のように期待しつづける人の存在が、ときにどれだけ自他にとって危険を呼ぶか、反省も含めて、自分の体験を書きたかった。

でも、くれぐれも、これは、道徳の教科書ではなく、ネット社会のマニュアル本でもない。言葉づかいに気をつけましょうという教訓を語るのではない。ただ、そのような軽率で雑駁なことばによって、愛する者を傷つけられ、大切なものを失った人々が、何を言われようと何を聞こうと、ゆらぎない強い愛と信頼によって、幸福を守り、自らの愛するものの思い出と記憶を守り、自分と世界をよみがえらせて行く物語だ。いかに汚され、傷つけられようと、愚かさや弱さに負けず、悲しみや嘆きや疑いを抱いたまま、未来に向かって新しい歩みを進める物語だ。

なお、最初の五部作にあったような残酷な描写はありません。また、内容の割にはのんきで陽気な話なので、そこはどうぞ、ご安心を。それから、いつものことですが、ふだん友人知人としゃべったりしている会話と同じ内容が出てきたりして、それを、こてんぱんに攻撃したりしているかもしれませんが、失礼があったらお許し下さい。ちなみに、別にそういうことを言った人は一人や二人じゃなくて、けっこう大勢ですから「私のことか」と、苦にしたりは、どなた様も、どうかなさいませんように。

 2023年6月30日          板坂耀子

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