「水の王子・町で」(1)/197
「水の王子・町で」(第一回)
【見下ろす二人】
「何考えてんでしょうかね」峠の上から谷底に広がる町を見下ろしてタカヒメが言った。「こんな四方が山に囲まれた土地に町なんか作って、周囲の嶺から攻められたら、ひとたまりもないじゃないですか」
「そうでもないわよ」アワヒメが顔をおおった薄紅色の布の間から落ち着いて目を四方に走らせた。「ごらんなさい。崖の根元にはいくつも深い洞穴が見えます。人の手で作ったものだわ。いざとなったら住民も軍隊もあそこに身をかくせるでしょう。山の裏側へ抜ける道があるかもしれないし、四方の嶺に登れる道が内部に作られているかもしれない。嶺のあちこちの岩かげに番所のようなとりでがあって兵士らしい姿が見えるのがわかりますか? 四方の山を占領されたりしないように、それぞれの嶺の頂上に陣地が作ってあるのですよ」
言われる方に次々目をやってタカヒメは、ため息に似た声をあげた。「ほんとだ。すごい。それに気づかれるアワヒメさまも」
「きっと、えりぬきの射手が陣地を固めているのでしょうね」アワヒメは言った。「タヂカラオの町ですもの。それはそうと、皆はもう着いたのかしら?」
「あそこの広場の木のかげに停まっているの、そうじゃありませんか?」タカヒメは指さした。「帆をたたんで、つるくさを巻きつけて、うまくかくしているけれど」
「ああ本当ね。さすがはトリフネとタケミカヅチ」アワヒメは楽しそうに笑った。「まるで古い建物のひとつのように見えるわ。それじゃ私たちも行きましょうか。あなたの舟はかくしたの?」
「ご心配なく。そこの岩の間にすっぽり押しこんであります」
「小さい舟って本当に便利ね。もっと作らせようかしら」
二人は肩を並べるようにして、峠から下りる小道を歩きはじめた。
※
悪の国ヨモツクニとの戦いは終わっていたし、このところ新しい敵も、これといって現れていない。
それでもタカマガハラの空飛ぶ白い巨船は、下界の草原や海をめぐって、怪しい動きがないかたしかめていた。
今、船団をひきいる将軍はアワヒメ。背の高い、金色がかった髪の、目を見張るほど美しい女性だ。今日彼女は、かつてタカマガハラの戦士だった力自慢のタヂカラオが長となっている、北の方の町を訪れていた。
タヂカラオは巨大で強靭な肉体を持つだけでなく、戦士として船に乗っていたころから、その身体の維持に人一倍気をつかっていた。身体によい食物や薬については医者たち以上に詳しく、皆に頼りにされていた。船を下りてからは空気のよい土地をさがして、健康にいい、身体をきたえるのにうってつけの町を作った。今その町は、あちこちからやって来る力自慢の男女や、その逆に病弱で治療や療養を望む人々が集まってくる。薬草や動物の飼育場もあって、とにかく身体にいいものは何でもそろうと評判の町だった。
※
まだ少女と言ってもいいぐらいの若い戦士のタカヒメは、自分だけの小さな舟を作ってもらい、それに乗ってあちこちの村や町を飛び回っていた。海辺の村のナカツクニとは特に親しく交流していた。その村で若い男女に戦士としての訓練を行い、村の防備を固めている、これも昔はタカマガハラにいたアメノサグメから、一度タヂカラオの町に行ってみたい、できたら弟子の若い男女も何人かつれて行きたいと相談されたとき、アワヒメにそのことを報告すると、美しい将軍はあっさりと「ちょうど私も行こうと思っていたところ」と言った。「それなら、おまえの小舟で何度も行き来するよりは、タカマガハラの船でサグメさまたちをお連れしましょう」そして、「私はおまえの小舟に乗って行くわ」と告げた。「一度乗ってみたかったの」
というわけで、二人はタカヒメがへさきに明るい紅色の布を旗のようにつけている、彼女の小舟に乗って、タケミカヅチとトリフネのあやつる大きな船のあとをついて行った。タヂカラオの町が谷底にある岩山に近づいたとき、船は町の中に下りたが、タカヒメは町をとりまく山の上に小舟をとめた。そこから町を見ておきたいからそうするようにと、アワヒメが命じたのだった。
※
細い革ひもをくるぶしで結び上げた白い素足を動かして、アワヒメは鹿のように軽やかに小道を下って行く。戦士用のごつい長靴をはいたタカヒメの方が、どうかすると遅れがちだった。
「休みましょうか?」アワヒメがふりあおいで、ほほえんで聞く。まるで花の咲くような笑顔だ。「いいええ」と息を切らせないように用心しながらタカヒメは首をふった。「何のこれしき」
「特に用事があるというわけではないのですよ」アワヒメはおっとり言った。「今日はとにかく町の様子をひとわたり見ておくだけで。ですから何も急ぐことはないのです」
「そうは言っても、見るものけっこうありそうですから」タカヒメは大きな岩に手をかけて身を乗り出し、次第に眼下に近づいて来た町を見た。