バックとバギイラ
誰も聞いてないと思うけど、私は幼いころから、年下の弱い男性が好きで、もう肉体的にも精神的にも外見も内面も、ひよわではかなく情けないほどよかった。「そんな私でも、見ていていらいらするのが、上方歌舞伎や浄瑠璃の男性なくらい、皆なよなよふらふら頼りない」と文学史の授業ではいつも説明するものだから、学生から「先生が肉食系とは思わなかった」というレポートをもらったりする。
それは73歳になる今日まで、終始一貫変わらない好みだが、その一方で、「開かれた処女地」のナグーリノフとか、「博多とんこつラーメンズ」の猿渡俊助とか、直情径行単純バカの暴力的でアホな男性も平気でとことん好きなので、結局好みはないに等しい。実際これまで会った男で(女も)、絶対嫌いなタイプというのは外見内面ともになかった気がする。そのわりに断乎として近づけない相手が多いのは、タイプの問題ではなく、状況や対応によることがいつも決定打になる。「私にそういうことをするか、このふとどき者」とか「この状況でそうするか、とことん頼りにならんやつ」とか時間の無駄とかやばすぎるとか、そういうことで私は人を遠ざける。まあそれは、私に限らず誰でもそうかもしれないが。
それはともかく、上記の二つのタイプのどちらでもないのに、めろめろに好きだったのは「ジャングル・ブック」に登場する黒豹のバギイラだった。
新しい文庫本の訳も悪くはないのだが、若干悪乗りしてる風もある、古い講談社名作全集の池田宣政氏の訳で、初登場のときの説明を紹介したい。
その時、輪をつくってすわっていたおおかみたちの頭の上を、ひらりとおどりこえて空地にとびこんで来たものがあった。
全身、黒ビロードのようにつややかで、へびのようにしなやかな尾を持った黒ひょうだった。月の光でその毛皮は銀色にきらめいたが、見る方角によって黒い中にとくに黒くひょうのまだらが見える。
「あ、バギイラだ。」「ひょうのバギイラが来た。」
おおかみたちがささやきあった。
黒ひょうのバギイラはおおかみたちから、かなり恐れられている。だれもバギイラの前をつっきって通れるものはない。こいつは、悪賢いことはやまいぬのタバアキイにもまけない。しかも野牛のようにむこう見ずで、傷ついた巨象のようなあばれものなのだ。それでいながら、見かけはとてもおとなしく、からだのこなしなどはくねくねして、いかにもしとやかだし、かすかな足音さえもたてたことがない。おまけにその声ときたら、はちみつのように甘ったるく、女の声みたいにやさしい。
いやもう、何という造型でしょうね(笑)。人間として見ても魅力ありまくりですが、私がうっとりした一つは、このイメージが動物園で見たひょうや、家で飼っていた猫たちの姿を彷彿とさせたからです。ネコ科の動物のあの凶暴さと優雅さ。謎めいた予測不能のたたずまい。
しかも、こいつは、バギイラは、後で誰にも教えてない過去をマウグリに話すんですけど、もともと王宮かどっかに飼われていた王様のペットなのよね。それも、とらえられてそうなったとかじゃなく、そうして飼われていた母親から生まれて、人間に育てられてるんですよ。だから、のどには、首輪の痕が残っているし、人間のことがよくわかっているし、ちょっと好きでもある。だからマウグリの保証人?になって命を救ってやる。
人間のペットとして育てられて、贅沢三昧をしていて、何かいやなことがあったわけでもなく、ある夜、突然、おれは野性の黒豹だと自覚して、檻の錠をたたきこわして密林に逃げ出してしまう。そうか、書いてて気がついたけど、この経歴って「野性の呼び声」の犬のバックと同じなんだ。
人間を知ってて、嫌いじゃなくて、でも自分はちがう生き物だって自覚があって、そして人間のずるさや恐さもちゃんとわかって、いくらか自分のものにもしている。そこが魅力の根源なのかな。
最近、金と時間がないものだから、ミーハー趣味としては海外ドラマの「セックス・アンド・ザ・シティ」とソフトバンクホークスのファンサイトしか見ていないため、例を引くのがその二つからになりがちな私ですが、バギイラやバックにあてはまるタイプは、とっさにこの中からは思い浮かばないなあ。むしろ否応なしに連想するのは、映画「アラビアのロレンス」でオマー・シャリフが演じたシェリフ・アリかしらん。黒ずくめの衣装着てるからというだけじゃなく、文明世界(というか欧米の文化)を知っていて、アラブ民族として生きている。凶暴で危険で古風で、しかも理性的で柔軟な思考もする。
ちなみに、私が溺愛した飼い猫の故キャラメルですが、彼を部屋に閉じこめる必要がある時のために(今では「にゃんがーど」とか言う既製品もあるようですが)私は手作りで格子戸を作って入り口にはめていました。
彼はそれを見ても関心もなさそうで、黙って閉じ込められて平気でいたのですが、彼の死後、しばらくして新しい子猫を飼ったときだったか、小さな子猫たちは、あっという間にその格子をかじって破壊してしまいました。七キロの巨体のキャラメルは、その気になったら、バギイラが檻の錠をたたきこわしたと同様、ひとたまりもなく格子を破ってしまえたでしょう。
それでもずっと知らん顔でいた彼を思い出すと、黙って見ていてバカにしてたんだろうなあと、しみじみわかって、おかしいです。彼は、外に出さないように庭に作った金網の小屋の天井によその猫が来て乗ると激怒して、ぶっとい身体で飛び上がって天井の網につめをかけてぶら下がり、片手で金網越しにパンチをくり出すという、ファイト満々の猫でもありました。あの余裕綽々の落ち着きと優雅さも、バギイラに通じるものがあったと、あらためて思います。
この挿絵も講談社の文学全集なのですが、どこかなまめかしい妖しさもありますね。梁川剛一という著名な方の絵のようです。
こちらはキャラメル。もう彼の写真は増えないんだと思うと、死んで二十年たった今でも、とても淋しくなることがある。