危険な傾向
六十歳の還暦記念に自費出版した「私のために戦うな」という本の中で、私はある同僚からまじめな顔で「板坂さんて露出狂やね」と評されたほど、赤裸々に、自分の中の嗜好や性癖について書きました。
しかし、それは、フェミニズムとも結びついた客観的な分析であり、必要なことだったし、嘘ではありませんでしたが、私の中のすべてではありませんでした。
このホームページの中では、「クイック&デッド」という映画を批評した一文、また「空想の森」に収めた多くの小説の中で、私は自分のそのような好みや傾向を、ある時は論文のかたちで分析し、ある時は小説のかたちを借りて表現して来ました。
その背後には、決して文章には書けず口にすることさえできない、幼稚で病的な、さまざまの空想や妄想の世界がありました。
いわゆる腐女子やオタクの人たちが書く小説の隠れサイトで読んだ数々の小説が、一番私のそれと近い、ほとんど同一のものだったと思います。
さて、これをどうするのか。
おそらく百歳超えて死ぬまで、私のこういった嗜好も妄想も、なくなることはないだろうと、このごろ、うすうす、わかって来ました。
なくても生きては行けるし、幸せです。
しかし、やはり、何かが足りないのです。絶対的に。
結婚していても、子どもがいても、きっと同じことだったでしょう。
私のような人間がどれだけいるのか、知りません。
でも、さしあたり、少なくとも、この私ひとりは確実にいます。
これについて考えることが何を生み出すのかは、わかりません。
人に説明できるように整理できたとして、それが何になるかも、わかりません。
しかし、今後、この場を借りて、私は自分の中の、そのような危険な傾向について、考えて行こうと思います。(2019.2.13.)
写真は、最晩年の母。私のミーハー精神は、彼女から引き継がれたのかもしれません。