日本シリーズ回想(1)
先日、テレビをつけっぱなしたまま、ベッドで寝落ち(というのも変だが)してたら、夜中過ぎにどこかのテレビ局がワールドシリーズの中継の再放送をしていて、とぎれとぎれに最後まで見た。なかなか面白かった。大谷選手の活躍がいまいちだったのはファンにはものたりないだろうが、山本由伸投手がこれ以上はないドラマチックな最後を決めてくれて、なるほどちまたで、日本シリーズが見劣りする、大リーグに比べたらメじゃない、いっそ時期をずらしてはどうかなどと言われているのも無理はないかもしれない。
私は山本投手が日本で自分のチームのエラーに足をひっぱられながら、けなげにがんばっていたのを覚えているし、「侍の名のもとに」の感想でもけっこう長くふれたが、プレミア12での彼の姿も印象に残っている。その人が今やサイ・ヤング賞をとるかどうかなどと言われるようになっているんだから、時の流れの速さにも目をみはる。
もっとも私は日本シリーズも、それ以上に楽しんだからひょっとしたら勝ち組かもしれない(笑)。阪神とホークスの力は伯仲していたし、毎試合先が見えない面白さがあった。地元のせいもあって、私の知識や情報はもっぱらホークスに片寄っているし、それも最近では会員以外見られないニュースが増えて、昔ほどよく知らないが、それでも、去年の日本一の逃し方と言い、今年の開幕時以降の怪我人続出の低迷期と言い、それをのりこえて優勝したのは、監督や選手やオーナーやファンにとっては、これ以上ないほどの漫画でもこうは行くまいと思う劇的なドラマであり、しょっぱなから言わせてもらえば、阪神どころかドジャースと比べても、まったくひけをとらない、いやはるかにそれらを凌駕する、主役にふさわしい物語だったと思う。
それでも目立たない、印象が薄い、誰も覚えていない、と世間で言われまくっても、私は別にまったく、残念だともくやしいとも思わない。多分、かけてもいいけれど、監督も選手たちも、きっと私と同じ心境だろう。世間にもてはやされ、メディアで注目されなくても、おそらく彼らの誰もが、そんなに不満には思っていない。
自分たちがなしとげたことを彼らは知っている。自分たちが何を得たかを彼らは知っている。それで彼らは十分に満足し、満ち足りているはずだと私は自分でもおかしいほどに、確信することができる。
いや、そもそも彼らは満足さえもしていない。優勝のたしか三日後にはバッティングの練習を再開した山川選手に端的に見るように、彼らは全員の力で奇跡のような復活劇と最後の勝利を手にしたという実感があればこそ、だからこそ、自分の力でこの優勝をかちとったとは、おそらく誰ひとり思っていない。どのピッチャーもどこかで崩れた。どの選手も怪我で長短の差はあれ、戦列を一時は離れた。多くの野手がエラーを重ね、どの打者もここぞという時不振にあえいだ。そのたびに、他の誰かがカバーし、ファインプレーやヒットで起死回生の活躍でピンチを救った。「あの時、彼がいてくれなかったら」と、しみじみと誰かの顔を思い出さないですむ選手など、おそらくは一人もいない。センターの超ファインプレーに天をあおいだ、守護神の彼のように。
突出し、傑出した英雄はいなかった。数試合だけ見て、選手たちの名前もよく知らないで、数人の花形に熱狂して夢中になる、手軽で便利な楽しみ方は、しようとしても到底できないチームだった。だからこそ、手軽に楽しもうとするには、ものたりなかっただろう。その魅力を味わうのは、簡単ではなかっただろう。
そして選手たちもまた、自分たちの活躍をほめちぎられたり注目されたりしないことに、それほどに不満は持たない。それどころか、彼らは誰も自分に満足していない。むしろ誰にも危機感がある。このままでは、いつポジションを奪われるか、いつ誰にとって代わられるか。新星もベテランも花形も、その思いをすでにもう、優勝の瞬間から持っている。
わー、ほらね、だから書くのがいやだったんです。書き始めたら最後、絶対にとめどがなくなるんだから。まあいいや。ここまで遅くなったんだから、あとはぼちぼち書いて行きます。どうかどうか、せめて(10)までには終わりますように!だいたい野球にもホークスにもそんなに詳しいわけでもなし、ただの個人の感想ですからね、すべて、あくまでも。どうぞあんまり、気になさらないで。
