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水の王子・「岬まで」4

第二章 草原の片すみで

「いっつも思うことなんですけどねえ」魚売りの女はかごを下ろした縁先で、湯のみを口に運びながら、のんきな口調でそう言った。「こんな、だだっ広いとこの、ぽつんと一軒だけの家で、女三人だけで暮らしておられて心細くあんなさらんですか」
 女主人はころころと、のどを鳴らして笑った。灰色の髪に赤い髪飾りをつけた、目鼻立ちのはっきりした大柄な中年女である。「そんなこと言いなさるんなら、そちらさまこそ、たったお一人で商売をして草原を歩き回っておられて、恐くはないんですか?」
 「はあん、行く先々に男がおって、あれこれ守ってくれますのさ」物売り女はからから笑った。「まあ、せめて崖の下にお住まいになりゃええのに。あそこなら漁師の家もそこそこはあるし、魚だって直接手に入るんでしょうに。まあそうなりゃ、あたしもここで取り引きをしてもらえなくなりますがね」
 「そこがいいんですよ。崖の下には人がいて、いつでも声が届くのに、この上にいると、海と空と、そこの大岩しか見えませんでしょ。世界中に私たちだけって気分になれるじゃないですか」
 「奥さまは人ぎらいって風でもないのに」物売り女は女主人のさし出す薬草と木の実を袋に入れ、干し魚と貝を渡した。「お二人の娘さんもさ」
 「まあ、私たち三人とも、人ぎらいではないわねえ」
 「お子さんは、あのお二人だけ?」
 「いえいえ、たくさんいたのですよ。でも今は、皆どうしているのやらね」
 二人が話している小さな家は、沖まで海を見はるかす崖の上にあり、反対側には草原が広がっていた。さわやかに潮風が吹き、海鳥が鳴く。ただし、山のように巨大な高い大岩が、ついたてのように崖のはしにあって、ここから海はほとんど見えない。そびえる岩の手前では家は実際よりずっと、ちんまりと小さく見えた。
 「この岩も、風よけにゃなるだろうけど、何だか上から倒れて来そうで、恐いですよ」
 「倒れてなんか来ませんたら」女主人は魚と貝を台所に運びながら笑った。「ここだと、ほら、それもいいのよ。海のそばなのに、何やら山のふもとの家みたいでしょ」
 「ほんとだ。それも落ち着かないんですよ。自分がいるのがどこなんだか、わからなくなりそうで」
 戸口の方で物音がして、背の高い、しっかり者らしい娘がたき木を抱えて入って来た。「ああら、いらしてたんですか。もう品物は受けとられたの?」
 「いただきました。キサガイさんはいつも元気だねえ」物売り女は目を細めた。
 「ウムギほどではないけどね。今日も朝から岩登りして、鳥の卵や木の実や、いろいろ集めてますよ」土間にどさりとたき木を下ろして、のっぽの娘キサガイは腰をたたいた。「その内、岩から落っこちて、背中の骨でも折らなきゃいいけど。ねえ、まだ日は高いし、もうちょっと休んで行かれません? あの子が戻ればまた新しい木の実をさし上げられますよ」
 「そりゃありがたい。そうしましょうかね」物売り女は腰を落ち着けた。
 「どう、草原じゃ何か面白い話はある?」キサガイは女主人のさし出す湯のみを受けとって、熱い茶をすすりながら聞いた。
 「面白くない話ならありますよ」物売り女は舌打ちした。「南で、いくさが始まりそうです」
 「またあ? 皆バカね」キサガイは首をふった。「どうせまた、あの二つの町の争いでしょ?」
 「よくおわかりで」
 「だいたい、もともと、あんな近くに二つの町を並べて作るのがまちがいですよ。いずれ領土がぶつかりあうことぐらい、誰が考えたってわかりそうなものじゃないのよねえ?」
 「そう言ってやって下さいましよ。両方の町の長に」物売り女は、ひざをたたいた。「あたしら下々の者が皆わかることを、あのお二人はおわかりじゃない」
 「そこなのよね」女主人が言った。「二人はいったい何がしたいんでしょう。オミヅヌとフヌヅヌは」
     ※
 家の外で楽しげに歌う声が聞こえ、ほどなくキサガイより少し小柄の、陽焼けした元気そうな娘が、足どりも軽く入って来た。背中に背負ったかごの中から、さまざまな色のつる草や木の枝がのぞいている。枝に咲いた花を慕ってついて来たらしいちょうちょが数羽、ひらひらとその回りをとび回っている。
 「ついて来るのよ、追っても追っても」娘はうるさそうに布で包んだ髪をゆすった。
 「蜂でないだけいいんじゃない?」キサガイがかごを下ろしてやりながら言う。「こりゃ重いわ。よくも落っこちなかったこと」
 「なれてるからね。おばさん、来てたの」娘は足に巻きつけた布をほどきながら、白い歯を見せて笑った。「何か持って行けそうなものがある? この前あなたがおいてった変な顔の魚は案外おいしかったわよ」
 「ご自分で見て下さいな、ウムギさん」
 小柄な娘ウムギは上着を脱ぎすてて、帯をしめ直しながら、身軽に物売り女のかごの方に走りよった。
 「結局、オミヅヌとフヌヅヌは、どっちもおたがいを嘘つき呼ばわりしてるんですよ」女がキサガイに説明している。「それぞれの町の成り立ちも、今、町の中で起こってることも、どっちも相手の言ってることが嘘で、作り話だと言いあって、もうどっちが本当なのか、誰にもわかりゃしないですよ」
 「その二人の名、もう耳にするのもうんざりだわ」ウムギが背を向けたまま、両手を空に向けて高く上げてみせた。
 「長だけならともかく、住人たちまで今じゃたがいの悪口言いあっちゃって、こっちは商売しにくいったらありゃしない」物売り女も陽気に言いつのる。
 「あらら」ウムギが声を上げた。「ねえ、この真珠の腕輪も売り物なの、おばさん?」
 「どれです? ああそれ、フヌヅヌの町を逃げ出すご夫婦が食べ物と引替えにってことで渡してったんです。いるならお安くしときますよ」
 「じゃほら、あの金色のトカゲのつがいと替えて」
 「よござんすとも」
 「住人が町を逃げ出してるの?」女主人が気にした。「いくさが始まりそうだから?」
 「それもありましょうが、何しろどっちの町も今は何だかきゅうくつで息苦しくって、いても楽しくないんですよ」
 「タカマガハラはどっちの味方?」ウムギが腕輪を手首につけて、日差しにかざして見ながら聞く。
 「それがますますややこしくってね。どっちの町もタカマガハラとは長いつきあいで、今も味方につけたがってるって話ですよ。オミヅヌもフヌヅヌも。どっちの町もヨモツクニとは戦って来たことだし、タカマガハラも、どっちの町と仲よくなるか決めかねてるんじゃないですか」
 「何でそんなにややこしいことになっちまったのかしら」女主人がたき木の山の上にほおづえをついて、ため息をついた。(つづく)

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