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水の王子・「岬まで」6

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 私はなぜ、父と母のもとをはなれて旅に出たのか。それは今おいておくとして、長い旅をし、さまざまな冒険をしたあと、私は限りない知恵と大きな力のさまざまを持つと言われる老人スクナビコの弟子になった。
 彼には多くの男女の弟子がいて、皆それぞれにすぐれていた。
 思い出しても、あれは楽しい日々だった。私が若いこと、美しいことを気にする者は誰もいなかった。私たちはただひたすらに、スクナビコの教える学問に没頭し、修業に励んだ。競争心はあっても嫉妬はなく、愚かしい駆け引きもさぐりあいも全くなかった。私だけでなく誰にとっても、それは夢のように清らかで清々しい、そして力強い毎日だった。
 その中心に、スクナビコがいた。のん気で、いたずら好きで、したたかな、食えない老人。私たち弟子のすべては彼を愛し、信じ、そして楽しくバカにしていた。彼を理解しようなどとは私たちの誰もが考えてもいなかった。その知識も知恵も、かいまみるだけでもあまりにも膨大で、どこまで広がり、深いのか、想像さえもできなかったから。
 彼は私たちの知らない世界で、たくさんの人や生き物を救っていた。そのことをおぼろに知っていても、私たちは彼のそういった面を詳しく知ろうという余裕がなかった。そうやって救った一人、タカヒコネという草原の若い盗賊に裏切られて彼が殺されたと知ったとき、呆然としながらも私たち皆は心のどこかで、いつかそうなると思っていたような気もしていた。
 私たちは彼から学んだ知恵と力のすべてを集め、協力して、彼の首を切られた死体を元に戻し、それに命を吹きこむために、自分たちの身体と心をひきかえにした。何度も失敗し、多くのすぐれた弟子が死に、この世から消えた。残り少なくなったとき、私が初めてそれに成功し、彼の身体と心と魂を、自分のそれとひとつにした。そして私の身体は消えた。心と魂はほぼそのままに残ったが。
 そして、私は、あの風景を見た。スクナビコの心で、スクナビコの目で。あらゆるものが見通せる、あらゆるものが手の内に、指の先につながってくる、あの圧倒的な世界を。
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 残された弟子たちと、しばらくいっしょに暮らした。昔のスクナビコがそうしていたように、私たちの回りにはおだやかで力強い、清らかな時が流れた。
 やがて噂を耳にした。心でも感じた。ナカツクニの村が危険な状態にあると。長く続いたタカマガハラとヨモツクニの争いの何かが、その地で大きな終末と変化を迎えようとしていると。
 選ぶべき道は何か。どれだけ残されているかもわからない残りの日々を、どう生きるか。いささかの迷いはあったが、私は心を決め、弟子たちと別れて、ナカツクニへ向かった。それを決めたのが私の中のスクナビコだったか、シタテルヒメだったのか、それはいまだにわからない。
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 村で私に再会したとき、当然ながらタカヒコネは愕然とし、脅えきった。必死で隠していたものの、混乱し、動揺しきっていた。それを少なからず楽しんでながめながら心のどこかで私はスクナビコは何もかも承知で彼に殺され、こんなかたちでよみがえろうとしたのではないかと思いはじめていた。こんな楽しいいたずらをする機会を彼が見のがすはずがあろうか。
 それほどに、この若者とあなたは愛しあっていたのですか。私はときどき、自分の中のスクナビコに問いかける。
 そしてまた、私を選んで一つになって下さったのは、私とあなたの、どちらの相手への愛の深さだったのでしょう?
 窓のすき間から、朝の明るさがしのびよる。目の前のタカヒコネが眠そうに何かつぶやいて、もぞもぞと寝返りを打つ。
 彼に限ったことではないが、若い男たちの寝起きの顔は、いつでもとても美しい。今にも目をさましそうな彼の顔にも、すでにその兆しがあらわれている。
 それはあの、完璧な澄明な風景と、かけはなれているようで、どこか似ている。(つづく)

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カツジ猫