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水の王子・「岬まで」7

 

第四章 求婚の旅

クラド王の宮殿には使用人たちのための居心地のいい小部屋がいくつも作られていた。今、その一つのへやにある石づくりのかまどに火を入れて、イワスヒメとオオトシが保存用の野菜や果物を作りながらのんびりとおしゃべりしていた。
 「クラドさまのおへやには、もう火を入れたのかね」オオトシが聞く。
 「何日か前に」イワスヒメは笑った。「寒がりでいらっしゃいますから」
 「お妃も姫さま方も、けっこう平気でいらしたのにな」
 「それで意地をはってがまんなさって、よく風邪をお召しになりました」イワスヒメは言った。「その点は今ではほっとなさっているのではないかしら。火っていいなあ、と炎を見て、うっとりなさっていらしたから」
 「カナヤマヒメの塔のおへやにも?」
 「ええ、ちゃんと火を入れてさしあげました。このごろは、ひっそりあそこに閉じこもっておられるし、すっかり大人しくなられて、何だかちょっとお気の毒」
 「もともと、悪人というお方ではないからな」
 「クラドさまもそれはわかっておいででしょうから」イワスヒメは首をかしげた。「今度いっしょにお食事でもして、お妃さまの思い出話でもされたらどうかと思っているのですけれど」
 オオトシはほおえんだ。「そんなお相手なら、あんたの方が適役だろうに」
 「何をおっしゃいますことやら」イワスヒメは首をふった。
 「家来たちの中には」オオトシはゆっくり果物の皮をまとめた。「あんたが次のお妃になったらいいと思っている者が多いよ」
 「知っていますけれど」イワスヒメは眉を上げた。「私には向いてませんわ。花の世話と家作りの仕事があれば楽しいし、カナヤマヒメはあの方なりにお妃さまを愛しておられた。クラドさまともきっとお心を通わせることはできるし、この町のためにも、そうなってほしいわ」
 「欲のない人だ」オオトシは笑った。
     ※
 ぱちぱちと火がたのもしく音をたてる。「オオトシさまこそ、これといった望みはおありにならないの?」と、イワスヒメはかめのふたを蜜蝋で封じながら聞いた。「奥さまになりたがっている女は、この城の中にも何人もいますでしょうに。それとも故郷に好きな方でも?」
 「故郷にはいい思い出がなくてね」オオトシは言った。
 「ごめんなさい。悪いことを聞いたのかしら?」
 「いや、隠しておくことでもないから。実は弟を殺したんだよ」
 イワスヒメは手をとめて、顔を上げた。「まあ」
 「他の兄弟たちといっしょにね。しかも、助かったその弟を、また殺した」
 「ひどい人だったの?」
 「逆だね。やさしい、いい子だったよ」
 オオトシの声も顔も、沈んでいたが落ち着いて、いつものようにおだやかだった。
 「何人兄弟?」
 「皆で十人」
 「多いのね」
 「王家の出でね。もともとはタカマガハラの血を引く名門だ。父はアメノフユキヌ、母はサシクニワカヒメ。私は上から五番目で、殺した弟は末っ子だった」
 「かめのふたを閉め終わってから、ゆっくりお話を聞いていい?」イワスヒメは言った。「果実酒の味もたしかめなくちゃならないし」
     ※
 「父は誇り高い、厳しい人だった」オオトシはずらりと並んだかめを見回しながら、イワスヒメと自分の杯にゆっくりと作りたての酒を注いだ。「自分の血筋を誇りにしてたし、それにふさわしい、よき支配者であろうとし、古くから続く大きな町を治めていた。私と兄弟は、父の宮殿からはなれた広い館に、母といっしょに住んでいた。私たちは皆、父をあがめていた。たまに会うと緊張して、声も出せないほどだったよ。だが末の弟オオナムチだけは平気だった。まだほんの子どもだったこともあるだろうが、ものおじせずに父に甘え、まつわって、言いたいことを言って、時には逆らいもした。それがかえって愛らしく、父は目を細めて喜んでいた」
 「あなたたちはそうではなかった」
 「特に長男と次男はね。フヌヅヌとオミヅヌ。どちらも生真面目で努力家で、父の気に要られようと必死だった。おたがいに憎み合ってもいた。無理もなかったかもしれない。責任感が強く、小心者だった。その下の兄弟たちは私も含めて、さまざまで、長男次男のどちらかにつく者、大人しく皆の言いなりになる者、自分勝手にわが道を行く者と、さまざまだった。オオナムチが父にかわいがられるからと、まだ子どもなのに、彼を大事にして、ごきげんをとる者もいた」
 「お母さまはどうだったの?」
 「母は皆に優しかったよ。誰のことも決してわけへだてなどしない。聡明で、強い人で、父も一目おいていた。そんな母を、父や兄たちより尊敬し、慕う者もいて、私もその一人だったかな。父に認められなくても、母にわかってもらえればそれでいい。ずっとそう思っていた」
 「末の弟さんは、あなたから見て、どんな子どもだったの?」
 オオトシは笑った。
 「愛らしかったよ。見た目も、中身も。言うことすることのすべてが、時にこっけいで、まちがっていても、それはそれでたまらなく、人をひきつけた。長男や次男が時に意地悪をしても、きょとん、ぽかんとして、まったく相手の悪意に気づかず、二人ともしょうがないから苦笑していたほどだ。気の弱いフハノや、おっちょこちょいでへまばかりするツドヘなどは、年はずっと上なのに、まるで自分たちが弟のようにオオナムチを頼りにしていた。少々変わり者のウカノやフカブチも、長男次男の二人よりも、むしろ末の弟の彼に気を許していたかもしれない。大人しいヤシマやフテミミ、そして私は、そんな中、あたらずさわらず、そんなすべてをやりすごしていた」
     ※

イワスヒメは酒をかまどの火で温め直し、オオトシの杯についだ。
 「そんな家族や兄弟って、わりとよく、どこにでもいそうな気がするわ」考え深げに彼女は言った。「それがどうして、末の弟を皆で殺すまでになってしまったの?」
 「私にもよくわからないのだよ」オオトシは吐息をついた。「人の心や、関わりは、まったく同じ人間でも、ねじれようや、からまりようでは、まるでちがったものになる。成長するにつれて末の弟は、ますます愛らしく、美しくなって行った。武芸はもちろん、歌も踊りも何をさせてもうまかったが、何よりも、たとえ下手でも、悪びれず無邪気だから、それはそれで人をひきつけてしまうんだ。話せば面白いし、動けば目を奪われる。長男次男も含めて私たちのすべてが彼を好きにならずにいられなかった。だが父があとつぎとして誰を選ぶかということになると、これは話がまったく別だ。長兄のフヌヅヌ、次兄のオミヅヌ、どちらが選ばれて次の支配者になるのか、そうなったとき二人のどちらについている方がいいのか、誰もが考えずにはいられなかった。父の決断の日が近くなってくるにつれて、私たちは何やら熱にうかされたようになり、館の中は息づまるようなせっぱつまった空気がはりつめて、朝から晩まで息もつけなかった。そんなとき、ウカノミタマとフカブチが、私にある提案をして来たんだ」(つづく)

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カツジ猫