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水の王子・「川も」13

第七章 動く川

「よう、坊やたち!」
 声をかけられてふり向くと、のんきな顔の若い男が川辺に腰を下ろして魚を釣っているのだった。ハヤオとヒルコは屋敷に夕食に行く途中で、まだ早かったから、ゆっくりと歩いていた。
 男の顔には見覚えがある。ときどき屋敷に下働きに来て、掃除や給仕をしている若者だ。「今日はお休みなんですか?」近づきながらヒルコが聞いた。
 「ああ。ちょっと働きすぎたんで今日はでれでれしてるとこさ」男は言った。「坊やたちも釣りはうまいんだってな」
 「まあ、そこそこは」ハヤオが言った。「あんたの獲物を減らしてなけりゃいいんだけど」
 「気にしなくっていいよ。おれはふだんは網でとるし」男は陽気に笑いかけた。「あんたら、ここで冬を越すのか?」
 「どうしようかと迷ってるとこ」
 「いたらいい。冬の旅は大変だぞ。このあたりの山のけものは気が荒いしな。おれはそれで早々に逃げ帰って来たんだが」
 「ていうことは、あんたも村を出たことがあるんだね」
 「子どもん時に、ちょこっとだけな。まあ、若気の至りってやつよ」男はすまして、そう言った。
 「そんな子どもも多いのかい? ちょこっとだけ出て、また戻る、みたいな」
 「うーん、どうだろな」男は首をひねった。「おれはまあ、おやじの家があったし、おふくろも病気だったし、もともとあんまり出てく気もなかった。そんな子は今でもいるさ。でも大抵一ぺんぐらいは出て行くんじゃないかな。そのまま帰って来ないやつも多いし」
 「大人はあんまり引きとめないんだね?」
 「いやあ、まあ、そこはいろいろあってなあ」男はちょっとことばを切った。「坊やたち、この村に昔来た、二人の男の話は、もう誰かに聞いたか?」
 「二人の男? いいや、聞いたことない」
 「旅人だったの、その二人?」
 「そうらしい。何しろ昔のことすぎて、おれもまだ子どもだったから詳しいことは知らないんだ。年寄りたちの話だと、その二人が来てからというもの、ここは昔とあんまりいろいろ変わっちまって、大人たちも何が何だか、よくわからないままらしい。だから、子どもたちがここにいるのがいいのか、出て行くのがいいのか、誰もよくわからんらしいのよ」
     ※
 「だけどここ、悪い村じゃないのに」ヒルコが言った。「山のけものもおそって来ないし、川じゃこうして魚もとれるし、畑の作物もそこそこ出来はいいし」彼は回りを見てつけ加えた。「花だって、こんなにいつも、みごとに咲いてる。それも何だか勝手にさ」
 「うん、そう言えばそうなんだがな。たしかに暮らしやすいっちゃ、そうだ」
 「その二人が来る前は」ハヤオが聞いた。「ここは、どんな村だったんだい?」
 「とにかく、やたら暗かったらしい。あ、暮らしぶりがとか、そんなんじゃない。もっと実際にってことだ。大きな木がうっそうと茂りあってて、陽の光もめったにささない。静かで涼しくて、花もほとんど咲かなかった。だけど、それはそれでよかったとか、その方がよかったとか言う者もいる。ま、年寄りの中にはな」
 「二人の男が、何をしたの?」
 「そもそも、どういう男たちさ?」
 「その二人だが、似てるようで似てなくて、主従のようでも兄弟のようでも、仲がよさそうでも悪そうでもあって、名前はもう誰も覚えてないんだが、一人はとにかくすることなすこと、やたらと派手でカッコよくて、することすべてが、『もうこれしかない!』って自信に満ちてたようなんだな。たとえば、食事のときに料理の皿を持ってこちらに歩いてくるときでも、こう、顔つきや手つきなんかがもうすべて、『これしかない!』って感じがみなぎってて。歩き方、しゃべり方、何から何まで全部が『どうだ、おれを見習うしかないだろ、おまえらの生きて行く道は』って言ってるようで」
 「わあ、すごい」二人はくすくす笑った。「で、もう一人は?」
 「こっちはもう、そんな相棒を見るからにバカにしててな。いつも斜にかまえて、横から冷ややかに、冷やかすように、からかうように見てたんだそうな。そのまなざしやほほえみを見てると、その仲間のカッコつけて自信にあふれた様子がよ、ただもう、みっともなくてこっけいで、見られたもんじゃなくなるんだと。面と向かってもかげでも、そのカッコつけ男の悪口ばかり言うんだが、これがなぜか本人にはそう聞こえないらしいんだな」
 「どういうこと?」
 「ほめちぎるやら、おせじをかませるやら、そういうことばに毒があふれているんだが、人によっては全然気がつかなくて、普通にほめてるように聞こえるんだな。本人にも、聞いてる者の半分ぐらいには。言い方や顔つきに、愛嬌があるし、優しいし、まるで愛してるように聞こえちまうんだとよ」
 「誰に対しても、そいつそうなの?」
 「そうだったみたいだな。だから、こいつの人気ももうめちゃくちゃに高かった。悪口言われてる方も、それと気づかないから、敵もそんなにいないしな。特にもう、女たちの人気と来たらすごかった…あのな」男は口ごもった。「坊やたち、見た目よりはずっと長く生きてるし、大人だよな? いやらしい話聞いても平気だよな」
 「全然平気!」二人は身体をのり出した。「じゃんじゃん聞かせて!」
     ※
 「村の女のほとんどが、そいつと寝ちまったらしいのさ」男はあたりに誰もいないのに、声をひそめた。「子どもみたいな娘っ子から、寝たきりに近いばあさんまでが。もちろん、若い女や中年女はまずもう、ひとり残らずだ。夫がいようと何だろうと」
 「そんなにすごい魅力だったの?」
 「とにかく口がうまいんだ。やせて、見た目は貧弱だし、顔もつり目で貧相なんだが、角度によっちゃ、すごいきれいに見えちまうし、身のこなしとかもなめらかで、気をとられると目を離せなくなる。何よりほめたりけなしたり、上げたり下げたり、笑わせたり泣かせたりのしゃべりが抜群に女たちをとらえる。魚を網で救うみたいに、たとえ二人がいっしょにいても数人が固まっていても、その一人ひとりに、この人が一番夢中になってるのはこの私だと思いこませてしまうぐらいでさ。左右両方に女をおいてかわるがわるにしゃべりながら、どっちもうっとりさせちまう。さわり方もなで方も最高だし、寝たらもちろん床上手。ふらふらとろとろにされちまうんだと」
 「夫たちは何してたんだい?」
 「そこがまた恐ろしいところでよ」男は首を大きくすくめた。「まさか男たちとまで寝るひまはなかっただろうが、それに近いほど男たちも皆、魅入られちまって、そいつと仲よくなっちまってたらしい。いっしょになって、かみさんや恋人たちの悪口言ってこきおろすのも、ものすごく楽しかったんだってさ。だから夫たちも、妻を寝取られちまったとわかってからも、怒ると言うより、そのことを喜んだり、そいつや妻を責めるより自分がだめな男だったと落ちこんじまったり」
 「あんたのおっかさんも、ひっかかったくちなの?」
 「じゃないかな。はっきりとは言わなかったが、そんなにかくしたり恥じたりしてる様子もなかった。何せ誰もがひっかかってるんだから、もう皆開き直って、けろっとしちまってたのかもしれない」男はちょっと顔をひきしめ、居住まいを正したようだった。「村の女でなびかなかったのは、お屋敷の奥さまと、モモソだけだったらしい。どっちも自分のご主人にめろめろで、他の男には目もくれなかったらしいや。二人の男は結局二年ほど村にいて、またふらっと出て行っちまったが、その間に女たちの中には、子どもを生んだ者も多くてなあ。多分、ほとんどが、そのおしゃべり男の子どもだな」
     ※
 「あのさ」ヒルコの声が、ちょっと緊張したようだ。「その子たち、何か目印でもあるの? 他の子と区別がつくような」
 「まあ、こんなのもあるけどな」男はむぞうさに腕をまくって、ひじの内側にぱちぱちまたたいている小さな目を見せた。周囲の皮膚がまぶたのようにたるんでいるせいか、男の顔と同様に、その目にもどこやら妙な愛嬌があった。
 「こんな目や口や鼻の小さいのが、身体のあっちこっちにできるんだ。他にも指が一本多かったり、耳が片方なかったり、片方の腕や足が長かったり、いろいろ、人とかたちがちがう時もある。だが、あの二人の男は、そんな赤ん坊をいやがったり恐がったりするどころか、目を細めてでれでれにかわいがった。そこは二人とも一致していたらしいな。すばらしいと言って抱くやらなでるやら、めろめろになって、ほめちぎった。だから、親も回りも誰も、そういう子どもたちをみっともないとか変だとかはまったく思わないで、むしろ自慢の種にした。育ってからは、子どもたち自身もそれを得意がった」
 「浮気相手の子どもだってわかっていたのに?」
 「いやー、またそこが、どうもはっきりしないんだよなあ」男は首をふった。
 「目や口は、その内に消えてしまうこともあるんだ。何より二人の男が村を去った何年もあとになっても、そんな子どもが生まれることもある。たしかに最初の子どもたちは、あのおしゃべり男の種かもしれない。だが、その後の子どもたちはしいて言うなら、もう一人のカッコつけ男の方の種かもしれない。だからどちらの男もあんなにそういう子どもたちを、かわいがりまくったのかもしれない」
     ※
 「よくわかんないんだけど」ヒルコが聞いた。「その、もう一方の男の方も、村の女たちに手をつけてたってこと?」
 「どうだろう。何人かとはつきあったかもしれないが、どっちにしたって、おれの言いたい意味は、そういうことじゃなくてだな。あのカッコつけ男は、この村をめちゃくちゃ変えてしまったから、今のこの村全体が、あの男の生み出したもので、それがああいう子どもたちを今も生み出しつづけてるんじゃないかってことだ」
 「たとえば?」ハヤオは聞いた。「木を切ったとか?」
 「まあそれが一番大きいよな。その男はとにかく、いつでも何でも大声で人に何かを訴えたり、呼びかけたり、回りを変えて行かないと気がすまなかったらしくてさ、『木を切って光を入れよう!』と彼は皆に訴えつづけた。理屈や何かより、その声のよさ、話のうまさが、あっという間に人々の心をひとつにして、誰もが思いがけなかったことが実現した。『光を! もっと明るく!』というのが、そのころじゃ村中の合言葉だった。朝のあいさつでも、飯食う前にも、皆でそう言い合ってたぐらいだってさ。誰もが夢中になって、ひと月もしない内に、すべての木が切り倒されて、一本もなくなり、村は光に包まれた。たしかに幸せな日々だったんだろう。そのころの毎日はもう夢のようだったみたいで、今も彼のことを信じて、慕ってる村人は多いよ。『光を! もっと明るく!』と皆で集まっちゃ唱えて、彼をしのんでいたりする」
 「それが今でも、そんな子どもたちを生み出していると言うの?」
 「花のどれかを長いこと食べつづけたとか、花のどれかとどれかをいっしょに食べたとか、川の水を飲んだとか、もういろんなことが重なって」
 「川も?」
 「おまえたちまだ知らないんだな。木を切っちまったあとで、一番この村が変わっちまったのはそれなんだ。昔はふつうに流れてたらしい。だが今じゃ季節ごとに流れを変える。季節どころか何かのはずみで気まぐれに、村のあちこちに移動してしまうんだよ」
     ※
 「それでなの?」ヒルコが思い当たった顔をした。「だから、川には持ち主なんていないって、子どもたちが言ってたんだね」
 「そうさ、毎年がらっとちがう所を流れるんだからな」男は、さじを投げたように言った。「それも、何の前ぶれもなしでさ。朝、外に出てみたら、昨日あった流れが干上がってる。そして今まで砂地だったずっと遠くに、新しい流れができてる」
 「それじゃ、畑の出来も暮らし向きも、まったく変わってしまうわけで…」
 「そうなんだ。だからここじゃ、貧富の差なんて、くらっくら変わる。うっかり近所の貧しいやつをバカにしてたら、翌年立場が逆転して、こっちがほどこしを受ける身になるなんてことしょっちゅうだ。だから誰もが油断できない。いつもそわそわしながら生きてる。モモソの家がずっと変わらず貧しいのは、あそこの近くを川が一度も流れたことがないからさ。だから毎日遠くまで水くみに行かなくちゃならないし、畑の作物はろくに実らない。だけど案外それをちょびっと、うらやましく思う者もいるかもな。今度は家のそばに川が来るかもとか明日は消えるかもしれないとか、毎年やきもきしながら生きるより、いっそ楽かもしれないってな」
 「でも、お屋敷のそばには川はないぜ」ハヤオが指摘した。
 「あそこは森に近いだろ? だから坊やたちもすぐ、あの家に泊めてもらいに行ったんだろ?」男は言った。「もともと、川の場所が決まってたころは、川から離れたあたりの者は森の中の泉に水をくみに行ってたんだ。お屋敷はその泉に近い。だから、川の向きがどう変わろうと畑の出来に変わりはないし、いつも豊かでいられるんだよ」
 「じゃ、あの家は?」ハヤオが屋敷と反対側の畑の向こうを指さした。「もう一つ大きめで豊かそうな家があるよね。あそこが暮らしに困らないのは、何か他の理由でもあるの?」
 「あそこは時々、よそから来る商人を泊めてるんだよ」男は説明した。「村の作物や何かと、いろんな品物を交換するんだ。だから村の作物も集まるし、両方からそこそこお礼ももらえるし、そういうので、あれこれうまくやってるのさ。主人はカッコつけ男を今でもありがたがって、あがめてて、『もっと光を!』ってときどき庭先で両手を広げて唱えてるよ」男は空を見上げてあわてた。「しまった、おふくろに魚を持って帰らなきゃ、どやされる。あんたらももう行かなきゃ、夕食を食いっぱぐれるぞ」(つづく)

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