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水の王子・「川も」14

第八章 商人の宿

それ以後、屋敷でヒルコとハヤオは、時々その若者としゃべるようになった。屋敷の空気はのんびりしていて、下働きの者たちもひまそうにしていることが多く、庭先で家具を修理していたり、廊下で床をみがいていたりする彼のそばに座って、時にはちょっと手伝ったりしながら、二人は若者の話を楽しんだ。彼の話は突拍子もないようで、案外うなずけるところも多く、時には意外な発見もあったりした。
 特に二人が驚いたのは、彼がツマツのことを「しっかりしてて、いい子だよな」と手放しでほめ、「いつか村の長になるんじゃないか。そうなったらいいのにな」とまで言ったことだ。
 あんまりまっすぐ彼が彼女をほめるので、ハヤオが思わず「あんたそんなにツマツが好きなら、いっそいっしょになったらいいのに」と言うと、男は大まじめに手を振って、「君ら知らないかもしれないけど、ツマツはけっこう面食いだからな。おれなんか、はなからお呼びじゃないよ」と答えたから、二人は相当おどろいて、ぽかんと口を開けてしまった。
 「ツマツがかい?」ハヤオが念を押した。
 「そうさ、見ていてわからんか?」男は腰に手を当てて伸びをしながら平気で言った。「実は、ここのお屋敷の姉娘が、おれと彼女をくっつけようとしたことがあったんだ。身分も見た目も似たもんどうし、うまく行くって思ったんだろ。おれも彼女の顔を立てて、何度かツマツと話してみたが、彼女はまるで何のことかわからなかったみたいでな。おれを男として見てないって、すぐにわかった。多分、もっときれいでカッコいいやつでなけりゃ、あいつは鼻もひっかけない」
 「そうかなあ。そういうとこ見たの?」
 「何となく、わかるのさ」男は自信ありげに断言した。
 人のよさそうな丸顔の太った男は、たしかに女をひと目で引きつけるような、ぱっとしたところはどこにもない。しかしツマツが男に対して、そんなえり好みをするということが、そもそも二人には、あまりぴんと来なかった。
     ※
 その、すっきり納得できなかったせいもあったのだろうか。数日後、二人はたまたま屋敷の女主人のへやで彼ら三人だけだったとき、若者がツマツについてしゃべったことを、うっかり全部、彼女に話してしまった。
 「どこかでおれたち、ツマツを軽く見てたのかなあ」と、あとになってハヤオはヒルコに言ったものだ。「あんなことを、軽々しく話しちゃうなんてさ」
 「しょうがないだろ」ヒルコは口をとがらせて、肩をすくめた。「僕たちにとって、彼女それほど大切にしなきゃならない人だってわけでもなし」
 ヒルコのそういうそっけなさが、ハヤオは何だか逆にもやもや不安だった。話の流れの成り行きで、結局二人は、姉娘が若者とツマツの中をとりもとうとしたことも、いっしょに告げてしまったのだが、まあそれも姉娘だって「別に大切にしなきゃならない人でもなし」とヒルコに言わせれば、そうかもしれない。
 だが、ハヤオは自分はともかくヒルコは、どうもこの村に来てからは、いろいろ言うことやすることが雑で冷たくなっているようでならなかった。おれたちのこの口の軽さや気配りのなさって、もはやニニギどころじゃないんじゃないか? あの若者のせりふじゃないが、何か変な花と花を食べ合わせてしまったのだろうか? どうも、この村にはそういう、人を無責任でいいかげんで、無神経に、残酷にするようなところが、どこかにあるようでならないのである。
 ただ、女主人の反応は、穏やかで落ち着いていた。それがハヤオを安心させた。
     ※
 「うちの娘もまあどういうか、余計なことをしたものねえ」彼女はまず、そう言ってため息をついた。「まあ、くせだからしかたがないけど」
 「くせなんですか?」
 「自分が傷つくのが恐いのかしら。人と人とをくっつけたがるの。お人形遊びをするように。そうやって夫婦や恋人を作って感謝されたり相談されたりして、その人たちに関わるのが好きなんでしょう。困ったものだわ」
 「あなたの趣味には合わないんですね」ヒルコがしかつめらしく言った。「彼女がきらい?」
 「ときどきうんざりするけどね。そこは自分の子どもだし、ずっといっしょにいてほしいとも思ってますよ」妻は笑って話を戻した。「あの若者とツマツねえ。気が利くし、話は面白いし、いい人だけど、ツマツが彼を相手にしなかったのは、顔のいい男しか相手にしないということとは少しちがうと思うのだけど。見てくれで相手にされなかったなんて、彼も案外自分に自信があるのね。中味で嫌われたわけじゃないって、それは全然疑ってないんでしょう?」
 「あ、そこですか」ヒルコがまばたきした。
 「うぬぼれではないでしょうけどね。たしかに、その通りだろうから。でも、それだけではないと思いますよ。ツマツは多分、そうよねえ、人から聞いたり、自分の目で見たことで、夫以外の男にうつつを抜かしてしまう女たちに、きっと嫌気がさしているのじゃないかしら。だから見た目でも何でも、とにかく自分がよくよく好きで、絶対に他の誰かに心を動かされたりしないと信じられる相手でないと、気持ちが動かないのでしょうね」
     ※
 そう言いながら女主人の手は、飴色の木で作った、手のこんだ模様入りの小さい箱の中をかきまわしていた。こまごまとした品物が少しごちゃごちゃつめこんである。
 その日、ヒルコとハヤオは、モモソが作ったまんじゅうをことづかって持って来ていた。花を乾かして砕いて練りこんだもので、屋敷の妻は、モモソの作るこの菓子はとてもおいしいのだと喜んだ。そしてお返しに、いつかモモソがほしいと言っていた、つくろいものをする時に使う縫い針を渡すから持って行ってくれるように頼んで、自分の小物入れからそれを探し出す間、二人を自分のへやに招き入れてくれたのだ。ありふれた品物しかないが、それなりにぜいたくで居心地よさそうなへやだった。
 「それって、村の女の人たちが軒並み夢中になったっていう、二人の男のことですか?」ヒルコがいつもの人なつこげな口調で、さらりと聞いた。
 「そうね。その人たちだけでもないけれど」妻はちょっと手をとめ、軽いため息をついた。「それはもう、あの男は特別ね。口を開けば息をすると同じように、嘘ばかりついていて、それがわかっていても、女の耳には快いことばでしたからね。小柄な女にはきゃしゃで抱きしめやすいと言うし、大柄な女には華やかでふくよかでうっとりすると言うし、それはそれは笑ってしまうぐらい、ぬけぬけと口がうまかったものですよ」
 「あなたとモモソだけが、彼を相手にしなかったって?」
 「そんなこともないでしょう。他にもいたと思うわよ」妻は笑いながら、また箱の中をさがしはじめた。「私とモモソはもともと仲よしだった上に、それぞれの夫と仲むつまじいと、人からもよくまとめてからかわれていたから、そんな噂も広がりやすかったんでしょう。でも、たしかにあのころ村の女たちのほとんどは、熱に浮かされたように彼に夢中になったし、私はそれがふしぎでなりませんでしたよ」彼女は軽く首をふった。
 「私も若かったですからね。今ならもう少しわかるけれど、世の中の妻というものは、本当に自分の夫を世の中で一番愛しているのではないのね。ちょっとびっくりするぐらい、誰もが夫以外の人にこっそり目や心を奪われて、生きるよすがにしています。それを何度も見せられましたよ。仕えている主人や、使用人の若者、友人の夫、訪れる旅人、女友だち、自分の子ども、飼っている動物。そういうものに、さまざまなかたちにことよせながら、どれだけ心を捧げているか、知るたびに驚かされました」
     ※
 「たしかに僕らの故郷の村にも、そういう夫婦はいるけれど」ヒルコはサクヤとニニギのことを思い出しているように、ちょっとほほえんだ。「それなりに幸せそうだ」
 「責めるのではないのよ。人はさまざまですからね」女主人はうなずいた。「ただ、きっとツマツは、そんな夫婦になりたくないのだと思いますよ」彼女は注意深く選び出した銀色の針を二本、少年たちに手渡した。「これをモモソに上げて下さる? 気をつけて持って行ってね」(つづく)

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