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水の王子・「湖よ」

(これは、時期的には「渚なら」と同じぐらいで、「岬まで」よりは、かなり前のお話。短いし、のんびりとお楽しみ下さい。)

第一章 とり残されて 

深い緑の森の中に、大きな湖はしんと静まりかえっていた。小鳥の声がするだけで、人の気配はまったくない。晴れた空からふりそそぐ光をいっぱいに浴びて、水の表面は澄んだ青に輝いていた。
 「昔、ここには村があった」老人は、かたわらの幼い子どもに語りかけた。「その名前も今は知られてはいない」
     ※
 向こう岸は遠くかすんで、色づきはじめた木々の色が湖の上に映っていた。森の中の、少し高くなっているあたりから、ゆるやかな坂道がのびて、その先端は水に沈んで、とろりとした藍色の中に消えている。その周辺のみぎわはすべて、小さな石ころや木の根や砂に包まれて、おだやかな小さい波をよせては返していた。
     ※
 「たくさんの人が住んでいたと言う」老人は子どもの頭をなでた。「そのころは海も近くて、街道もこのすぐそばを通っておったらしい。村人たちは畑を作り、魚をとって、平和に、にぎやかに、豊かに暮らしておったそうな。たくさんの家があってな、浜辺には立派な船がいくつもつながれ、長くのびた岬のはしには灯台があって、夜な夜な光を、沖のかなたまで投げかけていた」
 子どもはふり向き、重なり合った木々の茂みと、どこまでも生い茂る、うっそうとした草むらを見る。
     ※
 「岬も入り江も今はない」夢みるように老人は言った。「季節ごとに祭りがあって、大きなかがり火の回りで人々が夜明けまで踊り明かした浜辺もとっくになくなってしもうた。旅人たちも大勢立ち寄り、中にはそのまま住み着いてしまう者も少なくないほど、楽しい祭りでもあったらしいが。村の中を横切って街道沿いに大きな川も流れていたらしいが、むろん、それも今はもう、あとかたもない。森がすべてをおおってしもうて、湖だけがこうして残った」
     ※
 子どもは老人の腰のあたりによりかかり、その手をにぎって顔を見上げる。
 「どんな人たちが住んでいたの? その人たちの名前も残ってないの?」
 「オオクニヌシとスセリという夫婦が村を治めていたらしい。その息子のコトシロヌシという若者も。スクナビコという賢い老人や、サグメやウズメやニニギという勇ましい戦士たち、コノハナサクヤという美しい女、料理上手のイワナガヒメとツクヨミという夫婦もおったし、ヌナカワヒメという女の医者もおったそうな」
 「すごいねえ。村が栄えるわけだねえ」子どもはちょっとため息をつく。「僕たちの町よりか、よっぽどすごそう。どうして皆、いなくなったの?」
     ※
 「それはもう、誰にもわからないんじゃよ」老人は言う。「何しろ昔のことすぎてのう。何があったか知る者はない。ひとりでに人が減って、さびれてしまったのか、強い敵におそわれたのか、悪い病がはやったのか、とにかく長い月日の間に村はすっかり消えてしもうた。川も、海も、何もかもな」
 「皆でどこかに、ひっこしてしまったんじゃないかな」子どもは晴れ渡ってうすい水色に輝く空を見上げる。「ほら、そのころは雲の上のどこかにタカマガハラってすばらしい国があったんでしょう? 白い空飛ぶ船に乗って、そこから人がときどき地上に下りてくることもあったんでしょう?」
 「ああ、そうも言われておるな」
 「川も海もなくなったから、ここにいた人たちも、そこに皆で行ってしまうことにしたのかもしれないね。空の上の、すばらしい世界に」
 「そうだったらば、よかろうのう」老人は笑った。
     ※
 「でもそうしたら、ここにこうやって残っている湖は、ちょっとかわいそうだね」子どもは言った。「ひとつだけ、おいて行かれて、淋しくないのかな?」
 「海も、川も、村の人たちがいなくなった時には、まだあったかもしれんじゃろ」老人は言った。「だんだんに消えて行ったのかもしれん。そういうものが、ひとつずつ」
 「そうか。でもそれも何だか悲しいね」子どもは言った。「そう思ったら、やっぱり最後まで村の人たちはここにいて、いくさや病気で、いなくなってしまう方がいいのかな。湖や、川に、見守られながら」
 「たしかにな。それはそうかもしれんなあ」

第二章 村はなぜ消えたのか

「それで? その先は?」見つめていた湖から目を戻して、ミヅハはせかした。
 「その先なんてないんだよ」タカヒコネは言った。「これから起こることなんだもの」
 「でも、どっちみち、その内に、村はなくなっちゃうのよね」
 「気にしなくっても、そんなのは、ものすごく遠い先なんだってば」
 まだ幼いが利発そうな目をくるくるさせて、ミヅハはしばらく考えていた。「だけどとにかく、そのころはもう、この村はあとかたもないのね?」
 「うん、多分ね。だってそんなにずっと先まで、この村がこのままだったら、その方が変だろう?」
 ミヅハはまた考えこんだ。
 「それじゃミヅハは、この村が、そのころどうなっていたらいいの?」ミヅハよりは年上だが、こちらもまだ若い、どこやら感じやすそうな青年のタカヒコネは聞いた。「今のまんま? それとも、ものすごく栄えて、大きくなってるとか?」
 「うーん、それも何だかつまらないなあ」ミヅハは言った。「だって、どんなに立派になって、栄えていたって、そこにあたしはもういないんでしょ? そんなの何だか、つまんなくない?」
 「そこかよ」タカヒコネはあきれた目になる。
 「だから栄えているのもくやしいけど、でも、あとかたもなくなくなっちゃうって言うのもなあ」
 タカヒコネは面白そうに唇をぴくつかせた。「じゃ、どうなってたらいいんだ?」
 「わかんない。でも、そのころの人たち、この村があったことは覚えてるし、知ってるんだよね?」
 「ほんのちょっとの人たちだけがね。その内誰も覚えていなくなるかもしれないよ。湖だってその内に、干上がって消えちゃうかもしれないんだから」
 「でも、今覚えてる人たちは、この村のこと、あんまりまちがってなかったね」
 「そうだなあ。おれ、そんな風に話したし」
 「じゃ、消えてしまう前は栄えてたんじゃない? あとで皆が覚えてるほど」
 「そうなるかもね」
 「なのに、どうやって消えたのか、それは忘れられちゃってるんだ?」
 「きっと、誰もが気づかないでいる内に、すうっと消えてしまったんだろうな」タカヒコネは言った。
     ※
 「それってやっぱり、いくさかな。あっという間にほろぼされちゃったのかしら」
 「だったら、ほろぼした連中が、あとにいそうなもんじゃないか」
 「きっと乱暴で、うんと悪いやつらだったんだよ」ミヅハは妙に張り切って断言した。「頭もそんなによくなくて、だから、ろくな村は作れなくて、すぐにさびれてしまったから、自分たちもそのままどこかに行っちゃったんだ」
 「あるかもなあ、それは」
 「それかほら、きっとねえ」ミヅハはますます生き生きして来た。「ほろぼされた、この村の誰かが何かやったのよ」
 「たとえば?」
 「たとえば誰かが、皆といっしょに殺されるとき、あとで新しい人たちが死ぬような毒をどこかにしかけておいて、それで疫病がはやって、あっという間に村は全滅!」
 「スクナビコならやるかもしれない」タカヒコネは何かを思い出したのか、何だかちょっと憂鬱そうな顔になっていた。
 「あの人、そんな先まで生きてるかなあ? あんなにおじいさんなのに。だいたい、あの人がいたら、そんなあっさり負けてないよ、どんなに強い敵だって、はじめから」
 「じゃ、他の誰だ? ツクヨミか?」
 「ああ、やりそう!」ミヅハは大喜びした。「にやっと笑って死んで行きそう。うふふ、おまえたちがそうやって勝ち誇れるのもあと少しの間だぞ…がくっ、とか」
 「あと、ウズメとかサグメとか」
 「サグメおばさんはやらないと思うな。最後まで戦ってカッコよく死にそう。ウズメおばさんもどうかなあ? 毒とかよりも、もっと何かで敵をだまして一人でさっさと逃げ出しちゃうとか。案外、タカヒコネおじさんかな」
 「お、おれが?」タカヒコネはめんくらった。
 「だって、ニニギやコトシロヌシはそんなことしそうにないし、オオクニヌシやスセリやコノハナサクヤも絶対そんなことしないでしょ? 何かやるなら、おじさんだけよ」
 「こんな話するんじゃなかった」タカヒコネは天を仰いだ。「ミヅハが今まで聞いたことないような恐い話を聞かせろって言うから、もう」
 「いいじゃん、今まで聞いた中で一番おもしろかったかもしんない。いろいろ想像できちゃうし」
     ※
 「おれもっと、いさぎよく死ぬと思うんだけどなあ」タカヒコネはこだわった。「そんな大量虐殺なんかしないよ、死ぬ前に」
 「オオクニヌシおじさんやイナヒを目の前で殺されても?」
 イナヒはオオカミとも犬ともつかない、ふさふさの毛の大きなけもので、タカヒコネになつきまくっている。タカヒコネはうっと息をつめて黙りこんだ。
 「絶対、相手を許すわけないじゃん」ミヅハは気持ちよさそうに続ける。「そんなことされて、おじさんが」
 「あのなあ」タカヒコネはしょんぼり言った。「おれが悪かったよ。もうこの話やめようや」
 「イワナガヒメやヌナカワヒメはどうすると思う?」ミヅハはかまわず続けた。
 「知らない」タカヒコネはやけっぱち気味に逆襲した。「その前におまえ自身はどうすんの?」
 「イワナガヒメもヌナカワヒメも、疫病とかはやったら、きっと敵でも一生懸命治療して治そうとするんじゃないかな。だから、あたしも他の子どもたちといっしょになって、その手伝いして、敵に感謝されて、村の長に選ばれちゃう」
 「それだと村は滅びないじゃないか」
 「あらほんとだわ。どうしよう?」
 「まあせいぜいがんばってくれ」タカヒコネは投げやりに言った。
     ※
 「じゃこんなのは?」ミヅハはタカヒコネのひざによりかかって、いい気持ちそうに湖を見た。「村がほろぼされたことをタカマガハラが聞きつけて、怒って船をいっぱい出して、やっつけに来るの、その新しい住民を」
 「ああまあ、それは、ないこっちゃないな」
 「で、あたしとヌナカワヒメとイワナガヒメは必死に止めるんだけど」 
 「ほんともう、とことん、いい役回りを選ぶよなあ、おまえって」
 「でも気づかれないで、敵といっしょに村ごと焼き払われちゃうの。それでタカマガハラの皆は、あたしの死体を見て悲しんで」
 「焼け焦げてるのに区別がつくといいけどな。顔の皮なんか、きっともうべろんとはげちゃってるはずだし」タカヒコネがつぶやく。
 「黙って聞いてよ。悲しんで反省して、もう今後タカマガハラは地上には来ないって宣言して、それっきり、船はもう地上に来なくなったの。ほらね、ちゃんとつじつまがあうじゃない?」

第三章 まんじゅうを食べながら

「あら、二人とも、もう帰って来たの?」スセリが言った。「コトシロヌシといっしょに、おまんじゅう作ったから、温かい内にあなた方にも持って行ってあげようと思っていたのに。湖はどう? 寒くなかった?」
 「ううん、ちっとも!」ミヅハは元気にとびはねた。「タカヒコネがしてくれたお話も、とっても面白かった!」
 「それはよかったわね。どんなお話?」
 「この村がね、ほろびて消えてしまうお話!」
 「恐い話をしてくれって言うから」タカヒコネが言い訳をする。
 「とっても面白かったのよ」ミヅハはくり返した。「ねえ、スセリおばさんは考えたことある? この村がなくなって、皆が一人残らず死んじゃうときのこと!」
 「そうねえ。まあまあ考えるわね」スセリは答えた。「日照りとか大雨とかで作物が枯れて食べるものがなくなって、皆が飢え死にしてしまうときのこととか」
 「あー、それはいやだなあ」ミヅハは深刻な顔になった。
 「どんな人も、どんなものも、いつどうなるかわからないし、いつかはなくなるものなのよ」スセリはまんじゅうを木皿にならべながら、さばさば言った。「あの湖について、せっかくだからおばさんも、恐い話をひとつしようか」
 「聞きたい!」ミヅハは喜んだ。
 「この家に来て、湖を近くで見るようになってから、村の昔からいるお年よりに、いろんな話を聞かせてもらうようになったの。それでわかったのだけど、この湖で溺れて死ぬ人って案外多いの。それも何だか同じような死に方」
 「それは知りませんでした」コトシロヌシが、まんじゅうをつまみながら言った。「ちょっと恐いな」
 「いえ、聞いて見れば、他愛もないことなのよ。ここから見ると右の方に、ちょっと岸が坂道のようになってるところがあるでしょう? そのさきが湖に入ってるようなかたちの。あそこ、いきなり深くなっていて、泳げない人がうっかり入ると、急に深みにはまってそのまま抜け出せなくて沈んでしまうらしいのよ」
 「はあ」
 「一人で歩いていたりしたら、皆気をつけるんだけどね。荷車とか、子どものおもちゃの手押し車とか、とにかく何かそういうものを押していて、何かのはずみにあの坂道に行ってしまうと、押していた車が、ずるずる前にすべり出すでしょ。そのまま、それに引きずられて、水に落ちてしまうの。誰もかれもが」
 「だけど、それって、手を離したら、車だけ落ちて行くんじゃないんですか?」タカヒコネがけげんそうに言った。
 「ところがなぜか、手が離せないらしいのよ。縛られているわけでもないのに、しっかりつかんだ取っ手をますます強くにぎりしめて、しがみついたまま、皆ずるずる落ちて行って、そのまま溺れてしまうんですって」
 「わあ、恐い」ミヅハが両手を握りしめた。
     ※
 「ああ、それは、ふしぎでも何でもない。畑でもどこででも、わりとよくあることですよ」ちょっと安心したようにコトシロヌシがそう言った。「何かを積んでた車とか、そういうのが坂道でとまらなくなって、下にすべり落ちて行くとき、手をはなせばすむことなのに、必ず皆、しがみついて、いっしょに落ちて行ってしまうんです。それで大けがをしたり、時には死んでしまったりする。あの気分って何なのでしょうね。このまま、つかんでいたら、いっしょに落ちて行くしかないとわかっているのに、そこでとっさに手を離して、押してきた車や荷物と別れてしまえる人というのは、めったにいない」
 「知らなかったわ、そういうものなの?」スセリは驚いたようだった。「でも、それはそれでまた、何だか恐い話よね」
 「そうなんですよ。しかし、さっき話しておられたことを考えると、母上はどうやらためらわずに手を離してしまえる、数少ない人の一人のようですね」コトシロヌシは笑った。
 「それを言うなら、ミヅハも何だかすぐ手放しそう」スセリは少女にほほえみかけた。
 「はいはい、どうせおれなんかは」まんじゅうをかじりながら、タカヒコネがひねくれて見せた。「しがみついたまま、大して好きでもなかったのに押し続けてきたものと縁が切れずに、いっしょに溺れてしまうんでしょうね」
 「それはそれでもいいのじゃないの?」スセリは笑いをかみ殺しながらタカヒコネをなぐさめた。「そうやって、大事なものや、そんなに大事でもなかったものを、手放せないでつかんだまま、いっしょに沈んで死んで行った人たちがいるから、あの湖の色はあんなに青くて、きれいなのかもしれなくってよ」

 水の王子・湖よ   (完)  2024.2.18.

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