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発表資料(5)

(発表資料です。受講生は読んでおいて下さい。)

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いかさん

「江戸時代の人の理屈っぽさについて」

 

①「芋洗ふ」女たち : 近世の「女性」(<特集>近世の女)

濱 森太郎 日本文学 46(10), 1-13, 1997 日本文学協会

 

概要

井原西鶴の作品や、芭蕉の作品、日本の作品ではないドン・キホーテなどの女性に関する描写を比較し遊女として描かれていたり、仕事に一生懸命な姿であったりというように、近世の女性像、描かれ方について述べられている。

 

江戸時代の人々が理屈っぽかったかという記述はみられなかった。

 

②江戸文学と珠算

概要

日本のそろばんの歴史、キリスト教との関連について江戸時代に書かれた文学の中から見られたものについて述べられている。

 

江戸時代の人々が理屈っぽかったかという記述はみられなかった。

 

③公開講演 江戸文学のユーモア

Hibbett Howard S   /  ヒベート ハワード

国際日本文学研究集会会議録

号          8

ページ   83 - 97

発行年   1985-03-01

出版者   国文学研究資料館

 

概要

物語に出てくる人物に関するものから、言葉の使い方、表現に関する、ユーモア(日本語のユーモアではなく英語の意味としてのユーモア)について述べられていた。

 

江戸時代の人々が理屈っぽかったかという記述はみられなかった。

 

3つの論文を読んだが、なかなか理屈っぽかったかという記述がみられなかったため、理屈らしい記述に着目して以下の江戸時代に書かれた作品を読んだ。

 

「西鶴諸国ばなし」 「男地蔵」

あらすじ

京の町の外れで、幼い娘と一緒に遊ぶのが唯一の楽しみだった男の話である。その男に近隣の子供が集まり、仕事に忙しい親たちから仏のようにありがたがられていた。しかしその男はいつしか夜な夜な京の町中に出かけ、美しい娘をさらうようになる。そして幼女誘拐事件として大騒ぎになる。それがエスカレートし、ある時、日のある時間で、乳母が付き添っていた幼女を奪った。

 

理屈らしいところは見つからなかった。 

 

「本朝二十不孝」 「今の都も世は借物」

遊女などに親から譲り受けたお金を使いすぎて、お金が無くなり、借金させてくれる人のところに行く話である。死一倍という親の遺産で借りた金額の倍を返すという高利の借金をする。父親が死なないとお金が手に入らないため、男は親が早死にするように日々拝んだ。その願いが叶い、ある日父親が倒れた。男は、薬をといい毒を口移しで飲ませようとしたが、自分が毒を飲んで死んでしまった。その後父親は意識を取り戻したが、子供がなぜ死んだのかも知らずにその死を嘆いた。

 

死一倍を男が頼むときに、貸す側の人が、男の親がどれくらいの年でどのくらい死にそうなのか知るための会話がある。男は早く親が死ぬと思わせたく、貸す側の人はそれがほんとかどうか見極めようとしている。早く死ぬという説明、対抗する貸す側それぞれに理屈好きを感じた。

「私は親が年を取ってから生まれた子なんです。もう親は70歳にほど近いんですよ。」

「この間も見ておりましたのですが、台風の過ぎた朝に、吹き飛んだ屋根板を拾わせなさった心遣い、あのように倹約なさるご様子でしたらお身体も十分に節制なさることでしょう。まだ、20年や15年では、骨拾いなんてことはないはずです。死一倍はお貸しできませんねえ。」

「持病にめまいがありますし、特に、だんだん太ってきたところからしていかにも脳卒中になりそうです。長くみてもせいぜい5年か3年といったところですよ。」

 

「本朝桜陰比事」 「落とし手有り拾い手有り」

お金を拾った、貧しいが潔癖な男と、落とし主である金に困っていない町人が、互いに譲り合い、裁判に発展した。それに感銘を受けた所司代が裁判で同じ額のお金を出して事態をおさめ、この二人を「今の世も聖賢」であるとたたえて話が一件落着する。しかし、それを聞いた御前はそれに納得せず、二人が仕組んだ狂言であり、二人は「聖人」ではなく「悪人」であると見抜いたという話である。

 

以下のところから理屈っぽさが感じられる。

お金を拾ったときの二人のセリフから

落とし主「確かに自分が落としたものだが、あなたの手に入ったのだから、あなたのものだ。」

拾い主「個の持ち主がないにしてもそのまま持っては帰れません。まして、持ち主のある金をとって帰るわけにはいかない」

 

御前が二人が嘘をついていると見抜いたところから

「その型どもの考え方は間違っている。これはその二人が仕組んだ狂言だ。というのは、拾ったものはその持ち主と議論などしなくても、金の捨て方はいくらでもある。それをわざわざ役所に訴え出たというのが第一に怪しい。世間に正直者と思わせておいて、後で人を騙そうと企んだ。ものに違いない。」

 

「日本永代蔵」 「茶の十徳も一度に皆」

妻子もなく独身で、肩に担ぐ移動式の茶屋をしている男がいた。その男はお金がたまることを楽しみに一人で過ごしていた。ある時、悪心が起こり染め物に使うと言って捨てられる茶がらを買い集め商売の葉茶に混ぜて売った。大儲けはしたが、天が悪事をとがめたからか、自分で自分の不正を言い回り、人々からの信用がなくなった。そして衰弱したが、誰も医者を呼んだり看病したりしてくれなかった。死んでから自分で稼いだ金銀が他人のものになることが悔しいと金銀にしがみつき、血の涙を流して死に、その執念が幻影となって部屋中を飛び回った。奉公人たちも恐れ病室に行くことも出来なかった。それが知れ渡り、恐ろしく思われその金銀を相続する者もあらわれず全額菩薩寺に納められた。住職は思いがけない幸運と供養に使わず、色遊びに使った。

 

理屈らしいところは見られなかった。

 

「万の文反古」 「百三十里のところを十匁の無心」

お酒で失敗した男が、兄に相談せずに江戸へ下ったがお金が稼げなかった。江戸で一緒になった妻子をすて、大阪へ帰る旅費を兄にせびるという話である。

 

理屈らしいところは見られなかった。

 

「西鶴諸国ばなし」 「大晦日はあはぬ算用 義理」

浪人である内助が、大晦日に兄にお金を借りて仲間と宴会を開いた。その時、10両もらったのだが1両足りない。着物をゆすって盗んでいないことを皆が示したところ、一人の男が盗んでいないが今日1両持っていた。自分は不運だ。といい、自害しようとしたところ、何者かが「ここに一両ある」と影から一両投げた。十一両になってしまい、内助が一両は持ち主に返したいといい、一両を庭に置き、宴会の帰り際に一人ずつ、その都度戸を閉め、だれがとったかわからぬようにして帰らせた。最後に内助が確認すると一両はなくなっていた。いかにも武士らしい付き合いである。

 

理屈らしいところは見られなかった。

 

出典

西鶴が語る江戸のダークサイド 暗黒奇談集 西鶴研究会編 ぺりかん社

 

論文、作品を読み、私が実際に読んだ限りでは多くその記述があるわけではないことが分かった。理屈っぽいかどうかを知るにはもっと多くの作品を知る必要があるはずだ。

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カツジ猫