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蛇の顔(4)ーオオカミの消えた森ー

ディズニーのアニメ映画「ジャングルブック」2を見た。2003年公開で、何と36年後の続編だそうだ。ちなみに日本では公開はされていない。DVDだけが出ている。

わりと最近の映画だから、色彩や映像もとても美しく、人間の村で暮らすモウグリの様子も愛らしく、まるでどこかサザエさん風でもある幸福感が漂う村の描写に、冒頭から魅了された。更にモウグリがなつかしんで迷い込むジャングルの雰囲気も、たとえようなく美しく楽しかった。

私は子どものころ、本で読んだ「ピーターパン」の夢の島に夢中になって、家の中のそこかしこでも、庭のあちこちでも、近くの川でも、長いことたった一人で、そこにいる気分で遊んでいたことがある。何時間でもあきなかった。そこでは海賊のフックも恐ろしいが欠かせない悪役として大切な存在だった。

今の小さい子たちが、この映画を見たら同じように、平和な村と危険なジャングルにうっとりし、その中に暮らすことを夢見て毎日過ごすだろうと、よくわかった。何もかもが恐いほど蠱惑的だった。フックと同じくトラのシア・カーンさえ、大事な素敵なパーツだった。

ちなみに、蛇のカーは、ますます滑稽な小物の悪役に成り下がっていて、まるで歌舞伎の鷺坂伴内である(笑)。

そんなわけで、前半に近い三分の一ほどまでは、ただもう楽しさにひたって、うっとりしていたのだが、最後に近くなって、突然何と、オオカミが一匹も出ていないことに気がついた。ずっとどこかで、気にはなっていたのだが。

この設定は大胆というか、驚くべきことである。最後まで見て、信じられなくて、ジャングルの楽しさを謳歌するクライマックスの、猿の宮殿での一大ショーまでもう一度見て確認した。あらゆる動物が登場するモブの中にも、オオカミの姿はまったくない。

このアニメは、村がそれなりの秩序と規則で動いているのに対し、ジャングルは自由で気ままという設定で両者を描いている。だから、人間社会以上の掟と規律で運営されるオオカミ社会を描いては、その構造が崩れるのかもしれない。だが、そこは何とか工夫してみてほしかった。

ネットの感想など見ても、オオカミが出ないことを気にしている人は皆無に近い。私が見たのではたった一例だけだった。それほど、原作の中心精神だったオオカミ社会を消し去って、見る人に不自然さを感じさせないのは、これはこれで成功なのかもしれない。

だが私は、前半魅了されていただけに、見終わってみると、それこそカーの催眠術にかかっていたようで、ものすごくぞっとする。

あのジャングルの魅力を謳い上げる一大ショーの舞台が、原作では衆愚政治の象徴として軽蔑と嫌悪をこめて描かれていた、猿たちの宮殿であることも重なって、まるでもう笑えない。

浮かれて騒いで、自由で楽しい。それももちろん、あっていい。だが、その中で徹底的に排除され、あとかたもなく消されたオオカミたちはどうなったのか。どこへ行ったのか。その社会は。その精神は。

いったんは、あれだけ楽しく酔わされただけに、オオカミたちの消えた森は、今私にはたとえようもなく、虚しくて無気味で、恐ろしい。

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カツジ猫